さぁ、準備をしよう。お参り道具のほか何を持って行くか。取りあえず、必要と思われるものを集める。あれもこれもと、あっという間に重くなる。担いで歩けなくはないが…。
10キロ以下を目指したい。だから、すべて持っていけない。で、検討に入る。前回、前々回のリストは大切な指針。この時期何が必要かを考え、削ってく。前回までで利用頻度の低かった物は持って行かない。ある物が一つの目的にしか使えないなら、その目的をも兼ね備えられるものに変える。どれだけ落とせるか、考えるのが楽しい。しかも、この結果次第で、道中がずいぶん変わる。足りない物があれば辛いだろう。使わない物がでれば、送り返してしまえばいい。が、余計なものを運んでいたことになる。無駄なこと、それはさけたい。道中の事も想像しながらだから、余計楽しくなる。
ふと我が身、我が部屋を眺めた。あれもこれもと、いつの間にか荷が増えた。中には、要るのか要らないのかさえ判らないものまである。そう、まず100歳まで生きられない、とうに半分はこした。同じように集めてばかりではいられない。価値のある荷ならいいが、そうでないものは早く捨てねばならぬ。そして、身軽になって、最期を迎えよう。
ふと思う、まるでお遍路は生き方のシミュレーションだと。どう準備し、どう取捨選択し歩んでゆくか。八十八番に着いた時、何を思うか。最期を迎える時、何を思う…か。準備をしていて、こんなことをも示唆してくれていることに気付いた。あぁ、ついに罹ってしまったなぁ、お四国病。
今日の一枚:最愛の友、足元から支えてくれる。