本日は、河堀口駅前のいのちの会へ。お昼をよばれて、駒川中野駅まで。
近鉄南大阪線のガード沿いに駒川中野駅まで自転車で。
いのちの会を出て間もなく、だんじりばやしの音が・・。
音が聞こえてくる方向に行くと、だんじり巡行が、、
ついていきました。
方向転換。
町中あちこちにのぼり旗が。
先頭を行くのはちびっこたち。
だんじり(地車)と言えば、20-30万人の観客を集める、お隣の平野郷・杭全神社のだんじりが有名ですが、東住吉区桑津地区にも、だんじりがあるとは、初めて知りました。
桑津天神社って、どこにあるのか、祭りのハッピを着ている人に尋ねました。
桑津天神社へ。
東住吉区の神社って、たいていが古すぎて、いつできたか不明というものばかりです。
中井神社にしろ、山阪神社にしろ。1100年以上昔からと書かれています。それは、1100年前に書かれた文献に、すでに存在しているところから来ています。
東住吉区や住吉区、平野区、天王寺区の神社は、たいていは、西暦3-5世紀ごろにできたとみられています。
ちなみに、東住吉区や住吉区の住吉という地名は、住吉大社から来ています。
住吉大社は、全国にある住吉神社の総本山です。
桑津天神社も東住吉区のホームページにある東住吉100物語によると、以下のように書かれています。
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「日本書記」によると応神天皇(4世紀)の頃、日向の国から美女の誉高い、髪長媛(かみながひめ)※ を召され桑津の地に住まわせたと記されています。媛はのちに仁徳天皇の妃となられました。
髪長媛は桑津天神社に奉祀される以前は、明治6年廃寺となった金蓮寺が髪長媛の宮跡であった関係で、境内の八幡宮に奉祀されています。
また桑津天神社には少彦名命(すくなひこなのみこと)も祀られていますが、これは髪長媛の病気祈願のため医薬の祖神である少彦名命が祀られたとの伝えによっています。
※髪長媛(かみながひめ)
髪長媛は、現在の宮崎県都城市早水町の早水神社の早水池のほとりに生まれたという伝説があります。 早水神社の祭神は応神天皇・牛諸井(うしもろい)・髪長媛の三柱です。
髪長媛と仁徳天皇との間に、大草香皇子と幡梭皇女(はたびのひめこ)が生まれました。
「日本書紀」によると、大草香皇子は妹の幡梭皇女と結婚する大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に美麗な「押木玉縵(おしきのたまかずら)」を献上したと記されています。
しかし、大草香皇子は根使主のざん言により安康天皇に刺殺され、髪長媛と娘の幡梭皇女の最後は不明となっています。
髪長媛の名前は桑津天神社におまつりしているだけではなく、同じ名前でいろいろな地方にも見られます。
伝説的色彩がきわめて強く、古代では「髪」は人名ではなく一般に若い女性をさし、機織り(はたおり)の名手で黒髪長く背丈以上もあったのでこう呼ばれたともいわれています。
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桑津天神社へ。
もちろん、初めて行くことになります。
東住吉区の区役所や警察署は、東田辺。郵便局は中野にあり(いずれも最寄り駅は駒川中野駅)、桑津には、行く機会がなく、初めて町中を自転車で通りました。
七五三の儀式が行なわれていました。
ちなみに、私は、三歳の時、西区阿波座に住んでいた関係で、難波神社で七五三の儀式を受けました。
こちらが、仁徳天皇の奥様がまつられている末社。
桑津天神社のだんじりについてのいわれ。
本殿・拝殿 と 右側が 八幡宮。
台風21号による被害が。
社務所の横にあるお稲荷様にもごあいさつ。
社務所の前にあるおみくじ箱に100円を入れて、おみくじを引きました。
1番 大吉でした。
七五三が終わったので、再び本殿・拝殿へ。
神様にごあいさつ。
由緒書きが完全に消えていたので、なんの神様かはわかりませんでした。
少彦名命(すくなひこなのみこと)とわかっていれば、糖尿が治りますようにとお願いしていたのですが、、
そして、神社向かいの公園へ。
こちらに、今、練り歩いているだんじりの保管庫が。
本日は、秋祭りの日でもないのに、だんじりが練り歩いているって。
でも、本当に偶然です。
この神社にお参りすることになったのは、。。
少彦名の神様が、私を招いたとしか考えられません。
公園内に神社のようなものが、
歳徳神社と書かれていました。
桑津天神社の摂社・末社なのか、無
そして、偶然、お参りすることになった桑津天神社をあとに。
駒川中野駅へ。