骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

高野倉・逝く秋を骨で聴く

2007-11-22 10:24:12 | 骨で聴く癒しの世界

 今回で4回目の高野倉です。

 1回 高野倉大師堂を骨で聴く
 2回 高野倉ふれあい自然公園を骨で聴く
 3回 高野倉百観音を骨で聴く
 4回 高野倉百観音・秋の静寂を骨で聴く

 今回は高野倉八十八ヵ所です。
 主役は山崎家です。この地方の名主であると同時に近隣地域の代表的存在だった家柄です。

 時代は1871年(明治4年)にさかのぼります。

 この時代の当主・万右衛門が38歳の若さで急死しました。さらにその2年後には、娘のセイも18歳で急死してしまいました。

 このごく短期間に名門山崎家の当主と愛娘を亡くした夫人のひでは、絶望的な気持ちになったことでしょう。時代はまさに近代化の波が押し寄せています。封建制度が解体し、新しい日本の黎明期を迎え、激動の時代になっていました。
 こんな劇的変化の中で一人取り残されたひでは、絶望を乗り越え、山崎家の維持と再興を図ろうと考えました。

 そこで考えたのが開運祈願でした。そのために西国観音巡礼と四国八十八ヵ所遍路をすることを決意したのです。使用人や関係者の中から2人を抜擢し、3人で巡礼の旅に出かけたのです。一心に開運を祈願することは、山崎家の将来がすべて託されていることを意味していたかもしれません。
 
 しかしこの時代の交通事情は江戸時代と何ら変わりません。齢78才の女性にしてはつらい旅だったに相違ないでしょう。それほどまでの一大決意であり、努力だったということは現代の私たちには簡単に想像できないかもしれません。

 そして晴れて結願・満願となってひでは故郷に帰ってきました。
 高野倉に各寺々を参拝して受けたお砂を埋め、八十八ヵ所石塔を建立しました。

 高野倉の御堂山東南側から八十八ヵ所石塔が建ち、北東上り口には阿弥陀堂があります。

 逝く秋の今、落ち葉が参道に舞い降り、赤い絨毯のような自然な演出がされています。この八十八ヵ所参道からから御堂山の頂上へかけて幾筋かの道があります。そこには百地蔵や百観音が祀られてます。

 石塔の石代は家々の寄進によるものだそうで、願主(寄進者)の名が刻まれてます。

 山自体が信仰と祈願の聖地にしたことは、ひでが山崎家の再興に命をかけた結果だったといえるでしょう。齢78才でこうした事業を成し遂げたことは、高齢化社会の現代の今、改めて賞賛されるべきことでしょう。

 ここで登場した御堂山は、高野倉のシンボル的存在です。
 標高はおそらく50m程度でしょう。東側斜面には八十八ヵ所と百観音がありますが、頂上には大黒天が祀られています。小高い丘のような山ですが、四季折々の花が咲き誇る場所でもあります。

 さて、この高野倉ですが、一体どこにあるのでしょう?

 観光ガイドブックを見てもおそらく見つけられないでしょう。
 埼玉県の鳩山町と聞いても、近隣の人でない限り、どのへんかは想像できないでしょう。しかも鳩山町の西端で、比企丘陵の連なる小さな集落ですから、これは地図を見なければわからくて当然です。

  ⇒ gooの地図で確認する高野倉 

  御堂山頂上の大黒天は、明治24年3月に建立されました。

 その後まもなくひでは養子を迎えました。名前は茂八でした。これにより山崎家は次第に復興してきたのです。 経済的にも恵まれ、名主制度こそなくなりましたが、以前のように高野倉のリーダー的存在として栄えるようになったのです。

 観光客が訪れることもない高野倉に骨伝導の旅をしてみてはいかがでしょうか? これから冬へと向かう高野倉の景色と、山崎ひでの悲願達成のエネルギーを耳だけでは聞き取れない音として、骨で聴くのです。

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