初代フェアレディZがS30型です。先代モデルは、オープンボディのダットサン・フェアレディでした。「Z」の名を冠してからは、ヨーロッパ車なみの高級GTとアメリカ的なスポーツカーのスタイルを兼ね備えたクルマとして位置づけられました。それでいて、当時のヨーロッパ車と比較すると格段に廉価でした。そのため、北米市場を中心に大ヒットを記録しました。
日産自動車としてはまさにイメージリーダーカーになったといえます。
当時のスポーツカーとしては空前の販売記録を樹立し、その数は世界総販売台数55万台でした。日本国内の販売数はその中で8万台という記録です。
それだけマーケットを魅了したクルマではありましたが、主力エンジンは重量級の実用型量産SOHCのL型・水冷直列6気筒を搭載していました。北米向けには排気量をアップさせたL24エンジンでしたが、このモデルのカタログスペックは最高120 mphでしたから、それなりに速いとはいえましたが、決して俊敏とはいえませんでした。当時のヨーロッパのスポーツカーを凌駕するまでには至っていませんでした。
それでもこのL型エンジンは、もともと実用者向けのものなので、実用面での低速域のトルクは十分に富んでいたせいで、大排気量のアメリカ車と同じような扱いやすさがありました。ポルシェのような高性能車の場合、どうしても複雑なパワーユニットになっていますが、フェアレディZのL型エンジンは単純な設計のおかげで整備が容易であったという利点をもたらしました。
日本での最強モデルは1969年に登場しました。それまで国内ではSUツインキャブレターを装備したSOHCのL20型でしたが、スカイライン2000GT-Rに搭載されていたソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCのS20型の2種類の直列6気筒2.0 Lエンジンが設定されるようになりました。
スカイライン2000GT-Rのエンジンだけあって、これは別格な扱いともいえる存在でした。
往年の名車とよべるクルマですが、日本経済の発展とともに存在感も誇示できるものでした。今でも街中で見かけると、つい見入ってしまいます。
このエンジン音を骨伝導を使って聴くと、それはある意味官能的といえます。米軍で採用された骨伝導の技術と、北米で人気を誇ったフェアレディZの組み合わせは、それだけで意味があります。
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