わたしの死生観の基本は、母親との会話で形成されたと思う。
小学生のころ、なぜ人は死ぬのかと問うたとき、命というものの根本を母親が語ってくれた。
生きるということの意味だ。死と生きるということは、同じともいえる。死があるから生がある。無神論者の母親は、死をまったく恐れていなかった。
自分についてみれば、言葉だけでなく本当に命をかけて闘っているときは、死はまったく恐れるものではなかった。しかし、ただ生きるとなったとき、深淵に吸い込まれるような死の恐ろしさを感じた。存在しなくなる!
いまは、もう一度、母親の死生観の中にいる。わたしも、おなじように、自然に死を恐れていない。命を実感している。
小学生のころ、なぜ人は死ぬのかと問うたとき、命というものの根本を母親が語ってくれた。
生きるということの意味だ。死と生きるということは、同じともいえる。死があるから生がある。無神論者の母親は、死をまったく恐れていなかった。
自分についてみれば、言葉だけでなく本当に命をかけて闘っているときは、死はまったく恐れるものではなかった。しかし、ただ生きるとなったとき、深淵に吸い込まれるような死の恐ろしさを感じた。存在しなくなる!
いまは、もう一度、母親の死生観の中にいる。わたしも、おなじように、自然に死を恐れていない。命を実感している。
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