たくさんの硫黄島の本を読んでいますと、八丈島とかかわる場面もでてきます。
硫黄島に米軍の上陸がはじまって3日目、1945年2月21日、八丈島の飛行場にときならぬ戦闘機の大編隊が着陸しました。千葉県香取飛行場から飛来した、「御盾特別攻撃隊」50機です。
島の人たちにも、かれらの行く先は知らされていません。燃料を補給して、あわただしく飛び立っていく50機は、激戦の硫黄島をめざしていました。
八丈島から南方950キロの海上にうかぶ硫黄島。航続距離が長い零戦でも、往復はできません。帰還がありえない特攻隊です。50人の若者たちは、離陸しながら上空からの八丈島をどのようにながめていたのでしょうか。
全機、未帰還です。
私が住む八丈島には、旧日本軍がつくった地下壕が無数にあります。これも、硫黄島の激戦以降に変更された旧日本軍の新しい離島守備方針にもとづくものです。
硫黄島に米軍の上陸がはじまって3日目、1945年2月21日、八丈島の飛行場にときならぬ戦闘機の大編隊が着陸しました。千葉県香取飛行場から飛来した、「御盾特別攻撃隊」50機です。
島の人たちにも、かれらの行く先は知らされていません。燃料を補給して、あわただしく飛び立っていく50機は、激戦の硫黄島をめざしていました。
八丈島から南方950キロの海上にうかぶ硫黄島。航続距離が長い零戦でも、往復はできません。帰還がありえない特攻隊です。50人の若者たちは、離陸しながら上空からの八丈島をどのようにながめていたのでしょうか。
全機、未帰還です。
私が住む八丈島には、旧日本軍がつくった地下壕が無数にあります。これも、硫黄島の激戦以降に変更された旧日本軍の新しい離島守備方針にもとづくものです。
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