福澤諭吉の自伝を読みました。
福澤諭吉『福翁自伝』(PHP研究所、2009年5月7日、1200円+税)
「何事によらず新工夫をめぐらしてこれを実地におこなうことは、その事の大小を問わず、よほどの無鉄砲でなければできたことではない。」
しかし、
「さる代わりにそれが首尾よく参って、いつの間にか世間一般の風になれば、私のためにはあたかも心願成就で、こんな愉快なことはありません。」
ところで、全体の印象としては、なんともなまなましい自伝だ。江戸時代から明治にかけて生き抜いた人の生きざまかもしれない。
おなじ時代に、さまざまな生き方の選択があっただろう。
自らすすんで海外渡航の機会をつかみ、そこから、文化の核心にふれていく。「東洋の儒教主義と西洋の文明主義を比較してみるに、東洋になきものは、有形においては数理学と、無形においては独立心と、この二点である」今日の企業研修においても、この2点は、依然として最重要課題のひとつであろう。
諭吉は、20歳になるまでの4,5年間、白石という先生に漢書を習った。「経書を専らにして論語、孟子はもちろん、すべての経義の研究を努め、殊に先生が好きとみえて詩経に書経というものは本当に講義をしてもらってよく読みました。それから、蒙救、世説、左伝、戦国策、老子、荘子というものもよく講義を聞き、その先は私ひとりの勉強、歴史は史記をはじめ、前後漢書、晋書、五代史、元明史略というものを読み、殊に私は左伝が得意で、たいがいの書生は左伝十五巻のうち三、四巻でしまうのを、私は全部通読、およそ十一度読み返して、面白いところは暗記していた。」のです。
ふと、ここにあげられた本を私は読んでいないことに気がつく。もしかして、文化の根底にあるものを学んでいないのではないか?読むべきなのではないか?
福澤諭吉『福翁自伝』(PHP研究所、2009年5月7日、1200円+税)
「何事によらず新工夫をめぐらしてこれを実地におこなうことは、その事の大小を問わず、よほどの無鉄砲でなければできたことではない。」
しかし、
「さる代わりにそれが首尾よく参って、いつの間にか世間一般の風になれば、私のためにはあたかも心願成就で、こんな愉快なことはありません。」
ところで、全体の印象としては、なんともなまなましい自伝だ。江戸時代から明治にかけて生き抜いた人の生きざまかもしれない。
おなじ時代に、さまざまな生き方の選択があっただろう。
自らすすんで海外渡航の機会をつかみ、そこから、文化の核心にふれていく。「東洋の儒教主義と西洋の文明主義を比較してみるに、東洋になきものは、有形においては数理学と、無形においては独立心と、この二点である」今日の企業研修においても、この2点は、依然として最重要課題のひとつであろう。
諭吉は、20歳になるまでの4,5年間、白石という先生に漢書を習った。「経書を専らにして論語、孟子はもちろん、すべての経義の研究を努め、殊に先生が好きとみえて詩経に書経というものは本当に講義をしてもらってよく読みました。それから、蒙救、世説、左伝、戦国策、老子、荘子というものもよく講義を聞き、その先は私ひとりの勉強、歴史は史記をはじめ、前後漢書、晋書、五代史、元明史略というものを読み、殊に私は左伝が得意で、たいがいの書生は左伝十五巻のうち三、四巻でしまうのを、私は全部通読、およそ十一度読み返して、面白いところは暗記していた。」のです。
ふと、ここにあげられた本を私は読んでいないことに気がつく。もしかして、文化の根底にあるものを学んでいないのではないか?読むべきなのではないか?
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