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闇を光に

2010-11-14 21:23:47 | 読書/新聞/映画など

近藤宏一『闇を光にーーハンセン病を生きて』(みすず書房、2010年10月5日、2400円+税)

新幹線の中で読んでいて、涙があふれてこまりました。

戦前、らい予防法のもとで、各自治体は警察を動員して強制的な患者の隔離政策をすすめていた。筆者は、家族と離れて、11歳で瀬戸内海の長島愛生園へ送られました。その途中でみたのは、一本の縄につながれた4人の患者が、「患者用専用列車」で送られていく様子でした。

近藤宏一、これは、かれが生まれたときにつけられた名前ではありません。家族の秘密を守るために、入園のときに勝手にあたえられた名前でした。その年の長島愛生園に1,391人が収容されていました。このころ、全国では、約3万人が強制収容されていたといわれます。

病気が悪化し、かれは、失明する。かれは、「人生のすべてを失った者の失楽園」と愛生園をよぶ。「失明は私を苦しみのどん底に落とし入れた。混濁した闇と向かい合い、命を絶つ方法を模索し、絶望の谷間で悩み続け、自分自身を嫌悪する歳月が続いた。」

そして太平洋戦争。1945年には、入園者1,478名の実に332名が飢餓と結核で命を失いました。

手の疾患で、かれは指先で点字を読むことができない。唇と舌で、点字を真っ赤に血で染めながら読み取るすべを身につけ、楽譜をよみ、ハーモニカの楽団青い鳥のリーダーになる。

「自らが燃えなければどこにも光はない」闇の中で、自ら燃える。

発病し悪化する前に、10歳のかれは、知人のおじさんにつれられ四国八十八か所のお札詣り1,400キロの巡礼にたびだった。このときの文章は、あまりにもすばらしく哀しい。「美しかったあの山や川、優しかった土地の人々、木賃宿で会ったあの哀しいだけの人々、さようなら四国、さようなら無数の仏たち。」
行き倒れの人たちの「墓標がわりの金剛杖が影のように立ち並んでいた」草むら。「おじさんは枯草の上に正座して、般若心経を唱え始めた。僕もあとにつづいてあわせたが、声が風の中でいつまでもふるえたいた。」・・・死ぬまで巡礼をくりかえす人たち・・・。「哀しいだけの人々」。

もうだいぶ前ですが、わたしのよく知っている知人が、長島愛生園の医者になりました。ほかの医者が庭先で問診するときに、かれだけは部屋にあがりこんで患者と向かい合って診察していたと誰かが書いていたのをどこかで読みました。
別の知り合いの医者が長島愛生園に行ったときに、患者と握手をしたが勇気がいったと率直に語っていました。
ハンセン病の本は、いままで何冊か読みました。それはドキュメントであったり、さまざまな本でしたが、近藤宏一さんのような患者自身が書いた文章を読んだのはそう多くありません。
この本は、ぜひ読んでほしいと思います。

 

 



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