「東京―大垣駅(岐阜県)間を結び、かつて「大垣夜行」と呼ばれたJRの夜行快速「ムーンライトながら」の毎夜運行が今年度末で終わる可能性が強まっている。」という報道がありました。
1960年代のはじめのころ、東京発夜11時30分の大阪行き各駅停車がありました。京都まで帰省のときは、300円の急行券を節約するために、この列車にのりました。9時間ほどかかって、翌朝京都に到着します。各駅停車といっても、深夜の無人の駅は通過しながら、ゆっくりゆっくり走り続けます。乗車券は、700円でした。
年末は、毎年、この列車が超満員になります。しかし、その超満員の日が、12月30日であったり29日であったり、微妙に変動するので、みんな満員をさけようとかけをします。
この列車の廃止は、われわれ学生とってはショックでした。「68年10月のダイヤ改定で廃止される方向になると、存続を望む声がわき起こり、当時の石田礼助国鉄総裁の決断で、・・・残った。」と報道されています。
そうです、大垣どまりの各駅停車に、大垣始発の大阪行きが接続することになったのです。その結果、東京から京都まで、夜行をのりついでいくことができました。東京駅出発は、同じ夜11時半でした。変わったのは、列車から電車になったことです。電気機関車にけん引された昔ながらの列車が、普通のボックス席の電車になってしまいました。夜行列車にはみえません。列車は、蒸気機関車にけん引されていたときからのものでした。出発の時に、ガタンとゆれて動き始めます。
60年代初めに田んぼの中にクイを打たれた新幹線予定地が東海道線からみえていました。64年の東京オリンピックの前に開通しています。大垣行き夜行電車が走るころは新幹線もあったのですが、われわれ学生は、いままでどおり夜行列車ののりつぎでした。急行券300円よりもっと高額な新幹線代を節約できました。
その大垣行き夜行列車が、いよいよ廃止されるのですね。
1960年代のはじめのころ、東京発夜11時30分の大阪行き各駅停車がありました。京都まで帰省のときは、300円の急行券を節約するために、この列車にのりました。9時間ほどかかって、翌朝京都に到着します。各駅停車といっても、深夜の無人の駅は通過しながら、ゆっくりゆっくり走り続けます。乗車券は、700円でした。
年末は、毎年、この列車が超満員になります。しかし、その超満員の日が、12月30日であったり29日であったり、微妙に変動するので、みんな満員をさけようとかけをします。
この列車の廃止は、われわれ学生とってはショックでした。「68年10月のダイヤ改定で廃止される方向になると、存続を望む声がわき起こり、当時の石田礼助国鉄総裁の決断で、・・・残った。」と報道されています。
そうです、大垣どまりの各駅停車に、大垣始発の大阪行きが接続することになったのです。その結果、東京から京都まで、夜行をのりついでいくことができました。東京駅出発は、同じ夜11時半でした。変わったのは、列車から電車になったことです。電気機関車にけん引された昔ながらの列車が、普通のボックス席の電車になってしまいました。夜行列車にはみえません。列車は、蒸気機関車にけん引されていたときからのものでした。出発の時に、ガタンとゆれて動き始めます。
60年代初めに田んぼの中にクイを打たれた新幹線予定地が東海道線からみえていました。64年の東京オリンピックの前に開通しています。大垣行き夜行電車が走るころは新幹線もあったのですが、われわれ学生は、いままでどおり夜行列車ののりつぎでした。急行券300円よりもっと高額な新幹線代を節約できました。
その大垣行き夜行列車が、いよいよ廃止されるのですね。
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