民俗学者の柳田国男は、ほほ笑みと笑いについて、面白い指摘をしています。
笑いは、声を出す。したがって、ふすま越しに隣の部屋でも聞くことができる。つまり、広く共有されるものです。集団的なものといってよい。
ほほ笑みは、声を出さない。1人または、少数のひとに向けられる。個別的な共有です。
ところで、いま『からだの1日』というとても面白い本を読んでいます。そのなかに、ほほ笑みについて、人間は、100メートル先からほほ笑みを見分けることができるということがかかれています。ほほ笑みは、強力なメッセージであり、個別的コミュニケーションの方法なのです。
ここで、情報伝達の手段としての音と光のちがいにも興味がわく。音は、ふすま越しにも情報を共有できる。ひかりは、100メートル先でもコミュニケーションできる。光は方向性をもっている。
コミュニケーションにおいて、集団共有と個別共有が使い分けられている。
もちろん、ほほ笑みと笑いには、本質的なちがいがあります。
笑いは、声を出す。したがって、ふすま越しに隣の部屋でも聞くことができる。つまり、広く共有されるものです。集団的なものといってよい。
ほほ笑みは、声を出さない。1人または、少数のひとに向けられる。個別的な共有です。
ところで、いま『からだの1日』というとても面白い本を読んでいます。そのなかに、ほほ笑みについて、人間は、100メートル先からほほ笑みを見分けることができるということがかかれています。ほほ笑みは、強力なメッセージであり、個別的コミュニケーションの方法なのです。
ここで、情報伝達の手段としての音と光のちがいにも興味がわく。音は、ふすま越しにも情報を共有できる。ひかりは、100メートル先でもコミュニケーションできる。光は方向性をもっている。
コミュニケーションにおいて、集団共有と個別共有が使い分けられている。
もちろん、ほほ笑みと笑いには、本質的なちがいがあります。
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