これは、自分の反省です。
豊かになりすぎると、ものをおろそかにする。
こどものころ、畳敷の部屋にはなにもなかった。寝具はおしいれに、衣類はタンスにしまわれて、かたすみに高さ20センチほどの籐であんだちいさなゴミかごがあるだけ。縁側から庭につながり、風がいつも部屋の中を吹き抜けていた。茶の間も食器だな、仏壇や食事のテーブルがあるだけ。食事はシンプルだった。昔は、ちいさなゴミ箱にほとんどゴミははいらなかった。
いまは、部屋の中にはものがあふれている。食事は外食が多い。トマトは一年中ある。衣類も、外で着るものはほとんどクリーニングにだす。しばしば、季節や自然とのふれあいも失っている。いまは、ゴミをすてるのがひと仕事だ。
生活そのもの、生きることそのものである衣食住は、大切なものではなくなってしまった。あたかも、いのちが大切なものでなくなったように。
衣食住そのものが、結局、自分を形成している。人間関係も形成している。
衣食住を大切にしようと、反省しています。
豊かになりすぎると、ものをおろそかにする。
こどものころ、畳敷の部屋にはなにもなかった。寝具はおしいれに、衣類はタンスにしまわれて、かたすみに高さ20センチほどの籐であんだちいさなゴミかごがあるだけ。縁側から庭につながり、風がいつも部屋の中を吹き抜けていた。茶の間も食器だな、仏壇や食事のテーブルがあるだけ。食事はシンプルだった。昔は、ちいさなゴミ箱にほとんどゴミははいらなかった。
いまは、部屋の中にはものがあふれている。食事は外食が多い。トマトは一年中ある。衣類も、外で着るものはほとんどクリーニングにだす。しばしば、季節や自然とのふれあいも失っている。いまは、ゴミをすてるのがひと仕事だ。
生活そのもの、生きることそのものである衣食住は、大切なものではなくなってしまった。あたかも、いのちが大切なものでなくなったように。
衣食住そのものが、結局、自分を形成している。人間関係も形成している。
衣食住を大切にしようと、反省しています。
きょうの八丈島の空の便は、すべて欠航。連休に八丈島行きを楽しみにしていた人も、迎え入れの八丈島の人にも残念な天気でした。
今夜出発の定期船も、欠航。
朝からの雨量は、170ミリを超えています。最大瞬間風速は、8時21分の25.0メートル。
今夜出発の定期船も、欠航。
朝からの雨量は、170ミリを超えています。最大瞬間風速は、8時21分の25.0メートル。
首都直下型地震がさしせまっていると報道されている。
震度7は、想像をこえる。全壊の木造家屋が39万軒におよび、ビルも多数倒壊するという。
さまざまな備えを本格的に準備しなければならない。社員と家族の安全と生活をまもり、サービスを継続する社会的な責任もはたしていくことが求められる。
本格的なバックアップオフィスを八丈島に用意したいと思う。すしずめにすれば最大100名ほどは収容できる家屋も必要だ。
東京直下型地震でも、300キロはなれた八丈島ではそれほど被害はでないだろう。水や食料もなんとかなりそうだ。島内に地熱発電所もある。通信も確保されるだろう。総合病院もある。
島に出入りする交通には、多少課題があるかもしれない。
震度7は、想像をこえる。全壊の木造家屋が39万軒におよび、ビルも多数倒壊するという。
さまざまな備えを本格的に準備しなければならない。社員と家族の安全と生活をまもり、サービスを継続する社会的な責任もはたしていくことが求められる。
本格的なバックアップオフィスを八丈島に用意したいと思う。すしずめにすれば最大100名ほどは収容できる家屋も必要だ。
東京直下型地震でも、300キロはなれた八丈島ではそれほど被害はでないだろう。水や食料もなんとかなりそうだ。島内に地熱発電所もある。通信も確保されるだろう。総合病院もある。
島に出入りする交通には、多少課題があるかもしれない。
■女川沖の島で津波43メートル
宮城県女川町沖の無人島・笠貝島で、東日本大震災の津波のせり上がりが約43メートルに達したとみられることが、東京大地震研究所の都司嘉宣准教授の調査で分かった。
都司准教授によると、島は周辺の海の浅い部分から津波のエネルギーが集中し、津波が高くなりやすいという。
三陸のように湾が深く次第に細くなっていくところで津波がせりあがって行くのは理解しやすいのですが、海原の真ん中にある丸い島でも津波がせりあがることにも注意しなければいけないようだ。
島には、津波の言い伝えがいろいろ残っている。それを、教訓とすべきなのでしょう。
宮城県女川町沖の無人島・笠貝島で、東日本大震災の津波のせり上がりが約43メートルに達したとみられることが、東京大地震研究所の都司嘉宣准教授の調査で分かった。
都司准教授によると、島は周辺の海の浅い部分から津波のエネルギーが集中し、津波が高くなりやすいという。
三陸のように湾が深く次第に細くなっていくところで津波がせりあがって行くのは理解しやすいのですが、海原の真ん中にある丸い島でも津波がせりあがることにも注意しなければいけないようだ。
島には、津波の言い伝えがいろいろ残っている。それを、教訓とすべきなのでしょう。
昨日も書いたように、農業社会として組み立てられてきた日本では、基本所属共同体の役割が大きかった。
しばらくは、終身雇用の企業が、その役割をはたした時期もある。しかし、社員が転々と流動する社会では、企業もその役割を失っていく。
資本主義の競争原理のなかで病気やさまざまな要因で脱落した人たちへの、セイフティネットが消えいてしまっているのだ。
かつて、資本主義は、セイフティネットを用意できなければ、社会に対する正当性の主張もできないし、かつ、不満の充満は危険なことだと考えていた。しかし、危機が深刻化して、セイフティネットを用意する余裕さえ失っている。
社会保障制度さえ破綻する。そこまで危機は深刻なのだ。国家さえ破綻するとすれば、実質的に資本主義は破綻しているともいえるかもしれない。
そのような時代にいかに生きるのか。
家族は、資本主義の原理が入り込まない世界であり、経済行為でない助け合いが基本だ。家族はセイフティネットの基本である。しかし、崩壊的に人口が激しく減少していくなかで、単身家族がふえていく。家族のセフティネットとしての力が弱まっていく。
資本主義の組織である企業は、個別に社員をまもる努力をする会社がうまれたとしても、それにも限界がある。
本来セイフティネットの役割をはたすべき国家も、財政破綻のなかでその余裕をもたない。
のこされたのは、地域共同体だろう。地域でのともに生きるさまざまな組織が今後ますます重要になってくる。それぞれの地域で、すぐれたリーダーやわか者たちの知恵が発揮されて、個性的な地域共同体がうまれなければならない。生まれてくるのであろう。
残念ながら、都市では不可能だ。その意味でも、これからは、地方の役割が重要だ。未来の鍵は地方にある。
しばらくは、終身雇用の企業が、その役割をはたした時期もある。しかし、社員が転々と流動する社会では、企業もその役割を失っていく。
資本主義の競争原理のなかで病気やさまざまな要因で脱落した人たちへの、セイフティネットが消えいてしまっているのだ。
かつて、資本主義は、セイフティネットを用意できなければ、社会に対する正当性の主張もできないし、かつ、不満の充満は危険なことだと考えていた。しかし、危機が深刻化して、セイフティネットを用意する余裕さえ失っている。
社会保障制度さえ破綻する。そこまで危機は深刻なのだ。国家さえ破綻するとすれば、実質的に資本主義は破綻しているともいえるかもしれない。
そのような時代にいかに生きるのか。
家族は、資本主義の原理が入り込まない世界であり、経済行為でない助け合いが基本だ。家族はセイフティネットの基本である。しかし、崩壊的に人口が激しく減少していくなかで、単身家族がふえていく。家族のセフティネットとしての力が弱まっていく。
資本主義の組織である企業は、個別に社員をまもる努力をする会社がうまれたとしても、それにも限界がある。
本来セイフティネットの役割をはたすべき国家も、財政破綻のなかでその余裕をもたない。
のこされたのは、地域共同体だろう。地域でのともに生きるさまざまな組織が今後ますます重要になってくる。それぞれの地域で、すぐれたリーダーやわか者たちの知恵が発揮されて、個性的な地域共同体がうまれなければならない。生まれてくるのであろう。
残念ながら、都市では不可能だ。その意味でも、これからは、地方の役割が重要だ。未来の鍵は地方にある。
きのうとうってかわって、きょうは暖かい太陽もでて、おだやかな季節です。
午前中、第62回島民大学のあと、講師のかたとみんなで昼食。
写真は、初期のころのポスターです。
夕方の便で羽田にもどりました。
千葉の上空は、いく重にも重なる雲の中をゆれながら降下。くもの切れ目から地上も見えます。
と突然、雲の切れ目の眼下に大きく翼をかたむけながら旋回する飛行機が真下を横切っていきました。窓から見える両翼の先端が最初は視野の外だったので、かなり接近していたのはまちがいない。入道雲のような雲の合間にすぐ見えなくなりました。
とはいっても、こちらの飛行機は回避行動をとっていないので、実際には危険がない距離だったのでしょう。
その飛行機は、大きく旋回したあと、並行して隣の滑走路にほぼ同時に着陸していきました。同じタイミングの着陸機なので、やはり高度差は少なかったともいえますが。
そういえば、以前、アメリカ上空で相当の高度を並行して飛ぶもう一機がみえていました。ほぼ同じ高度で、なぜかしだいに近づいてくる。気がついていないらしい。このまま接近して大丈夫かなと思ったとき、両機が弾けるように左右に旋回して急速に離れていきました。たぶん、警報が鳴ったのでしょう。
午前中、第62回島民大学のあと、講師のかたとみんなで昼食。
写真は、初期のころのポスターです。
夕方の便で羽田にもどりました。
千葉の上空は、いく重にも重なる雲の中をゆれながら降下。くもの切れ目から地上も見えます。
と突然、雲の切れ目の眼下に大きく翼をかたむけながら旋回する飛行機が真下を横切っていきました。窓から見える両翼の先端が最初は視野の外だったので、かなり接近していたのはまちがいない。入道雲のような雲の合間にすぐ見えなくなりました。
とはいっても、こちらの飛行機は回避行動をとっていないので、実際には危険がない距離だったのでしょう。
その飛行機は、大きく旋回したあと、並行して隣の滑走路にほぼ同時に着陸していきました。同じタイミングの着陸機なので、やはり高度差は少なかったともいえますが。
そういえば、以前、アメリカ上空で相当の高度を並行して飛ぶもう一機がみえていました。ほぼ同じ高度で、なぜかしだいに近づいてくる。気がついていないらしい。このまま接近して大丈夫かなと思ったとき、両機が弾けるように左右に旋回して急速に離れていきました。たぶん、警報が鳴ったのでしょう。