これは、自分の反省です。
豊かになりすぎると、ものをおろそかにする。
こどものころ、畳敷の部屋にはなにもなかった。寝具はおしいれに、衣類はタンスにしまわれて、かたすみに高さ20センチほどの籐であんだちいさなゴミかごがあるだけ。縁側から庭につながり、風がいつも部屋の中を吹き抜けていた。茶の間も食器だな、仏壇や食事のテーブルがあるだけ。食事はシンプルだった。昔は、ちいさなゴミ箱にほとんどゴミははいらなかった。
いまは、部屋の中にはものがあふれている。食事は外食が多い。トマトは一年中ある。衣類も、外で着るものはほとんどクリーニングにだす。しばしば、季節や自然とのふれあいも失っている。いまは、ゴミをすてるのがひと仕事だ。
生活そのもの、生きることそのものである衣食住は、大切なものではなくなってしまった。あたかも、いのちが大切なものでなくなったように。
衣食住そのものが、結局、自分を形成している。人間関係も形成している。
衣食住を大切にしようと、反省しています。
豊かになりすぎると、ものをおろそかにする。
こどものころ、畳敷の部屋にはなにもなかった。寝具はおしいれに、衣類はタンスにしまわれて、かたすみに高さ20センチほどの籐であんだちいさなゴミかごがあるだけ。縁側から庭につながり、風がいつも部屋の中を吹き抜けていた。茶の間も食器だな、仏壇や食事のテーブルがあるだけ。食事はシンプルだった。昔は、ちいさなゴミ箱にほとんどゴミははいらなかった。
いまは、部屋の中にはものがあふれている。食事は外食が多い。トマトは一年中ある。衣類も、外で着るものはほとんどクリーニングにだす。しばしば、季節や自然とのふれあいも失っている。いまは、ゴミをすてるのがひと仕事だ。
生活そのもの、生きることそのものである衣食住は、大切なものではなくなってしまった。あたかも、いのちが大切なものでなくなったように。
衣食住そのものが、結局、自分を形成している。人間関係も形成している。
衣食住を大切にしようと、反省しています。
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