イギリスのテンプル騎士団の本拠地、テンプル教会に行きました。
12世紀後半にテンプル騎士団イングランド本部として建てられた。現在はイギリスの法曹院4つのうち2つ、インナー・テンプルとミドル・テンプルが教会建物を使用している。
大学のキャンパスよりも広大な敷地のなかに、無数の建物があります。公開されている時間はかなり制限されています。昨日は非公開、きょうは、2時から4時までの2時間だけの公開です。
写真は、テンプル・チャーチの内部です。
12世紀後半にテンプル騎士団イングランド本部として建てられた。現在はイギリスの法曹院4つのうち2つ、インナー・テンプルとミドル・テンプルが教会建物を使用している。
大学のキャンパスよりも広大な敷地のなかに、無数の建物があります。公開されている時間はかなり制限されています。昨日は非公開、きょうは、2時から4時までの2時間だけの公開です。
写真は、テンプル・チャーチの内部です。
大英博物館に行きました。
大英帝国に圧倒されます。これだけのものを世界から奪ってきたのです。
すさまじいほどの人類の遺産です。
エジプトなどの権力をほしいままにした人たちも、限りあるいのちには逆らうことができなかった。ミイラとなり、あの世を信じていました。
たった2時間半ほどでは、ほとんどさわりだけになってしまいました。何日もかけてみることが必要です。
大英博物館のなかのマルクスが通った図書館は移転されており、大きなドーム空間と円筒の建物になっています。かれの常連だった磨り減った椅子を確かめることはできません。
マルクスが住んだ家は、大英博物館から歩いて10分ほど。SOHOの近くです。地図にはマークがありますが、建物には表示がないので、2,3軒のうちのどれか特定はできませんでした。昔の書店街がちかくにあります。
大英帝国に圧倒されます。これだけのものを世界から奪ってきたのです。
すさまじいほどの人類の遺産です。
エジプトなどの権力をほしいままにした人たちも、限りあるいのちには逆らうことができなかった。ミイラとなり、あの世を信じていました。
たった2時間半ほどでは、ほとんどさわりだけになってしまいました。何日もかけてみることが必要です。
大英博物館のなかのマルクスが通った図書館は移転されており、大きなドーム空間と円筒の建物になっています。かれの常連だった磨り減った椅子を確かめることはできません。
マルクスが住んだ家は、大英博物館から歩いて10分ほど。SOHOの近くです。地図にはマークがありますが、建物には表示がないので、2,3軒のうちのどれか特定はできませんでした。昔の書店街がちかくにあります。
写真は、ホテルのレストランで朝食をとりながらながめているロンドンのハイドパークの景色です。
紅葉がうつくしい。
午前7時になっても、まだ真っ暗です。2日目ときょうは、午前5時半ころから公園の散歩にでかけました。平日には、この時間に少し車がふえはじめます。
早朝は、かなり寒い。おどろいたことに、池の一角を50メートルほど区切ったところで、真っ暗ななかを10人近くの人が泳いでいました。特別のクラブに所属する人だけが、早朝の水泳を許可されていると、あとで昼間に看板で確認できました。
少し、薄明るくなるころには、ランニングの人もふえ、さらに乗馬のひとたちも増えてきました。池の周辺には、サイクリング専用道路、乗馬専用道路、歩道と3つの道が平行してあります。さっそうと乗馬する女性の姿もかなりありました。
日曜日には、サイクリングのイベントがあり、おびただしい自転車が走っていました。
紅葉がうつくしい。
午前7時になっても、まだ真っ暗です。2日目ときょうは、午前5時半ころから公園の散歩にでかけました。平日には、この時間に少し車がふえはじめます。
早朝は、かなり寒い。おどろいたことに、池の一角を50メートルほど区切ったところで、真っ暗ななかを10人近くの人が泳いでいました。特別のクラブに所属する人だけが、早朝の水泳を許可されていると、あとで昼間に看板で確認できました。
少し、薄明るくなるころには、ランニングの人もふえ、さらに乗馬のひとたちも増えてきました。池の周辺には、サイクリング専用道路、乗馬専用道路、歩道と3つの道が平行してあります。さっそうと乗馬する女性の姿もかなりありました。
日曜日には、サイクリングのイベントがあり、おびただしい自転車が走っていました。
ロンドンから西へ約200キロ。ソールズベリーの北13キロほどのところに、有名なストーンヘンジがあります。
4000年から5000年ほど前につくられ、その目的も作り方もなぞのままです。ガイドの話では、強い磁力があるそうです。石の重さは、ひとつが40トンから50トンに達し、付近では産出されない石です。
約1500年にわたって、増設など建造がつづけられました。当時、周辺は森だったのだろうか、それとも、いまのように草原だったのだろうか。
朝8時ごろに出発し、ロンドンにもどったのが午後6時ごろ。ウインザー城やオックスフォードもまわるバスツアーで行きました。
4000年から5000年ほど前につくられ、その目的も作り方もなぞのままです。ガイドの話では、強い磁力があるそうです。石の重さは、ひとつが40トンから50トンに達し、付近では産出されない石です。
約1500年にわたって、増設など建造がつづけられました。当時、周辺は森だったのだろうか、それとも、いまのように草原だったのだろうか。
朝8時ごろに出発し、ロンドンにもどったのが午後6時ごろ。ウインザー城やオックスフォードもまわるバスツアーで行きました。
ロンドンの休日、第一日目は、バッキンガム宮殿の衛兵の交代からはじまり、美術館まで、7時間ほど歩き回りました。
衛兵の交代は、午前11時半からときいて、タクシーで到着したのは、11時5分ごろ。すでに、周辺の道路も観客で一杯です。最終的には、5,000人をはるかにこえたのではないでしょうか。
騎馬警官もでて交通整理をしていました。たぶん、ロンドンではめずらしい快晴です。
門の近くにたどりついたものの、交代の現場をみるにははるかにはなれています。それでも、何組もの衛兵の集団が門に入っていくのを近くから見ることができました。
その国の首都に行くと、その国の成り立ちやよってたつ思想や基盤を感じ取ることができます。
ロンドンにきて、かつての大英帝国を少し実感しています。
衛兵の交代は、午前11時半からときいて、タクシーで到着したのは、11時5分ごろ。すでに、周辺の道路も観客で一杯です。最終的には、5,000人をはるかにこえたのではないでしょうか。
騎馬警官もでて交通整理をしていました。たぶん、ロンドンではめずらしい快晴です。
門の近くにたどりついたものの、交代の現場をみるにははるかにはなれています。それでも、何組もの衛兵の集団が門に入っていくのを近くから見ることができました。
その国の首都に行くと、その国の成り立ちやよってたつ思想や基盤を感じ取ることができます。
ロンドンにきて、かつての大英帝国を少し実感しています。