いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

科目としての道徳論。 morality theory for curriculum

2014-10-23 19:48:45 | 日記
 (1)「道徳(morality)」という授業、子どもの頃にあったような気がするがいったいどんな授業だったのかまったく思い出せない。だから不徳のいたすところなのだろう。

 現在も「教科外活動」で道徳授業が実施されている。学習指導要領では①自分自身に関すること、②他の人との関わり、③自然や崇高なものとの関わり、④集団や社会との関わりについて教育をすることになっており(報道)、国民の一員(ひとり)として社会生活をまっとうするための心構え(preparation)を説く学習のようである。

 (2)テーマが相当高度な人生哲学論でもあるので、教える方としてもさぞかし大変苦労がいる。
 戦後の学習指導方法が民主的に一変した初等、中等義務教育では、家族形態も子だくさんで複数世代の同居が普通だったので、家庭に社会性も多く取り入れられて共同性、協力性、協調性に慣れて学校に行くこと自体が多くの他人と交わることへの興味、関心も高くて、それ自体が楽しみな時代でもあった。

 格別に道徳など学ばなくても家庭が社会学習の場であり、自然に社会生活のルールが身についていたように思う。

 (3)その後、日本は高度経済成長時代に入り、社会生活をまっとうすることが他人を蹴落としてでも自分だけが成功することが生き残りのルールのようにはやしたてられて、競争偏向社会を迎える。

 社会が共同性、協調性、協力性、共益性が薄れていって、これと歩調を合わせるように少子化が進んでいく。義務教育では1クラス50人以上が当たり前のクラス編成が30人程度になって、家庭は核家族化して当然のように人と人のつながりが希薄に向かいひとりひとりが孤立して人間関係がギクシャクしてくる。

 (4)国と教育現場は教育の自由、自主独立で対立して政治性、思想性が強まり、教育現場にも職能性が取り入れられて教育も産業化していく。
 その結果として教員の資質、能力、視野、人格(personality)に変化、劣化が見られて、登校拒否やいじめ問題が日常化して学校現場が荒れ始め改善もなく今日を迎えている。

 この間、教育環境の変化、変遷の中でよくわからない道徳教育の役割、成果がまったく見られずに、詰め込み式からゆとり教育そしてまた成果主義へと義務教育方針が揺れ続けている。

 (5)安倍首相が意欲を示す「道徳」教育を中教審は18年度から「特別の教科」として、現行内容に「情報モラルや生命倫理といった社会問題」(報道)も加えて教えるよう答申した。

 本来教えてどうなるものでもない人間成長に従って身につく道徳性について、教科として成績評価(記述式)をする授業だから教える側も苦労するし、教員の人材確保、育成も必要だ。

 (6)現在の教員の資質、能力、人格に問題が指摘され、発生している教育現場を見れば、道徳教育の教科化推進は険しいものがある。
 道徳教育はむしろ教員(の人格形成)にこそ必要と思えるからだ。

 安倍首相は「愛国心(patriotism)」を義務教育に取り入れる(学習指導要領)ことに意欲を見せている。国を愛する心は誰にももちろん大事だ。
 グローバル化した時代では、国際協調主義の中での視野の広い愛国心の意義、意味が問われなければならない。むしろ教えてどうにかなるものでもない広い視野力の問題だ。

 (7)偏向した愛国心と道徳教育が結びつけば、また教育現場の混乱を招く。

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