いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

憲法9条がノーベル賞になったら。 if article 9 in the constitution of japan has a nobel prizes

2014-10-04 20:05:34 | 日記
 (1)今年もノーベル賞ウィーク(nobel prizes week)が近づいてきた。物理学賞では何人か日本人科学者の名前も候補者に名前を連ねている。
 その中で日本国憲法9条を保持してきた日本国民にノーベル平和賞を予想する話題が出ている。報道によるとその例年ノーベル平和賞を予想する機関(国際平和研究所)の的中率は高くなく、過去10年で予想が当たったのは1度というから話題優先のものでしかない。

 他分野の同賞の予想や他の有力科学賞授賞との因果関係説ほどの授賞確率には遠く及ばないものだ。

 (2)ノーベル平和賞は10年に中国の反体制人権活動家が授賞したが当人は中国国内ですでに拘束されており授賞式への出席は叶わずに、中国政府は夫人などの代理出席も認めなかった。

 中国政府は内政干渉だと主張して厳重抗議している。通常、ノーベル賞は授賞決定すると本人への確認を得て発表されるといわれており、本人への決定確認の手間によっては発表時間がズレることもある。
 候補にあがっていても「関心」がなく、その時間に食事に向かう途中で授賞決定の確認連絡を受けたという授賞科学者のエピソードも聞く。

 (3)中国の反体制人権活動家のノーベル平和賞の授賞は、その時すでに中国政府側に本人は拘束されており、確認しようもない中での決定だった。
 中国政府の人権抑圧政策に対する国際世論を喚起(または操作)する政治的意図があったと思われても仕方のないものではあった。
 当然のように中国政府の強い内政干渉との抗議を受けて、本人の授賞式出席はならなかった。

 (4)同じような例は91年当時の軍事独裁政権時代のミャンマーで政府に対峙する野党を率いたアウンサンスーチーさんにノーベル平和賞が授与されたが、本人は自宅軟禁中でやはり授賞式に出席できずに近年になってようやくミャンマーの民主化により政治活動自由、復帰が叶い、20数年遅れでノルウェー訪問の際にノーベル平和賞を授賞したケースがある。

 (5)世界の人権平和問題は、もちろん政治にだけ解決をまかせておけばいいというものでもなく、科学、経済、文化の立場からも関与することは大切なことではある。
 ノーベル平和賞も科学者である創始者A.ノーベルの世界平和を希求する精神を具現化するために設けられたものといわれており、主旨と意義のあるものだ。

 (6)ただし、他国の内政に風穴を開けるかのようなあまりに意図的、作為的、政治的(political)と受け取られるような授賞決定は賛否両論がある。
 むしろ、先端的高度な専門分野の研究、業績評価で人類歴史の発展、進化に寄与するものを讃えるノーベル賞としては、あまりに政治的影響力を示すことは権力的(powerful)に走り、ふさわしいものとは言い難いところはある。

 (7)そこで仮に日本国憲法9条を保持してきた日本国民にノーベル平和賞が授与されたら(if article 9 in the constitution of japan has a nobel prizes)、安倍首相はこれにどうコメントするのだろうか。

 戦力を持たず、交戦権を有しない同憲法9条をなし崩しにして、政府の一方的な「憲法解釈変更」による集団的自衛権の行使容認を閣議決定して、攻撃された同盟国とともに自衛隊を海外紛争地に派遣して戦うことを決定している。

 (8)まさか中国政府のように内政干渉とも言えずに、しかしそもそも改憲論者としてこれからもノーベル平和賞授賞に応えて平和憲法(9条)を守るとも言えずに、困ったことにはなるのだろう。

 

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