いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

戦争がなくなる新年の誓い。 the oath of the new year to renounce war

2014-01-04 19:29:44 | 日記
 (1)1年の計は元旦にありと昔はよく使われたものだが、情報化時代、社会を迎えて元旦だけで1年を見通せることなどむずかしい情報量、変化の激しい現在だ。それでも毎年新年を迎えると、この世界、地球上から戦争がなくならないものかと誓い(the oath of the new year to renounce war)をあらたにする。

 昨年末から南スーダンの政府軍と反乱軍の内戦は国連PKO派遣軍を交えて激しい戦闘が続き、シリア内戦は国際管理下のもとに化学兵器の国外撤去、廃棄に向けて動きだしているが政府軍と反政府組織の内戦は続いており、当初反政府組織寄りだった米国が国際テロ組織の台頭で一転シリア政府支持に向かうなど混迷を深めている。
 ロシアでは2月のソチオリンピックほかの開催に向けて自爆テロが相次いでおり、厳戒態勢が敷かれている。

 (2)すでに世界の趨(すう)勢は先進国G8から新興国を含めたG20に影響力が移り、国連はいまだに米国、ロシア、中国の拒否権が支配する硬直したままの組織で、世界平和への貢献もできない有様だ。

 その国連事務総長は出身国の韓国で日韓歴史認識問題で一方的に日本の立場を批判し、安倍首相の靖国参拝問題にまで触れて懸念を表明する本来的使命を度外視しての無節操ぶりだ。
 安倍首相は自らの政策による国民情報統制の中で、集団的自衛権行使容認をにらんで憲法改正、軍事戦略の拡大を目指す意向だ。靖国参拝で国のために戦争で命を落とした英霊に尊崇の念を示すと言いながら、パラドックス(paradox)として着々と軍備拡大路線を進めて領有権問題でこじれる中国の軍事力拡大との対峙に向かおうとしている。

 (3)人類が人間と人間同士が殺し合う悲惨な戦争を愚かにもなぜ行い、それを止められないのか。戦争は国益の名のもとに為政者の独善、独断、独占欲がもたらす狂気(madness)だ。

 人類はオリンピックに代表されるように、常に競争し征服し、闘う本能に支配されて興味と興奮を覚える生命体だ。その延長上に狂気の戦争も存在する。
 米国が覇権主義のもとに軍事力を世界に展開して自国民を犠牲にして、これが国民の反対を受けて「割の合わないこと」がわかり、それではと今度は自国民の犠牲者をださないように自国からコントロールする無人戦闘機で他国を攻撃するという理不尽さ(unreasonableness)だ。

 (4)われわれ人類はなぜ戦争を止めることができないのか。割の合わないこと(it does't pay)を認識させるしかない。
 米国ほかによるシリア軍事介入も、「割の合わないこと」を悟った米議会、米国民の圧倒的な反対でオバマ大統領、政府は中止に追い込まれた。

 これは今後の世界戦争観に大きなヒントを与える判断になるだろう。為政者に戦争は割の合わないことを悟らせることだ。

 (5)まず時代に対応できない国連が組織ごと変わらなければならない。国連の制度改革、組織改革、意識改革が必要だ。
 そしてG8からG20への基軸の変化、国際的影響力の変化、流れをさらに世界に広く深く浸透させる努力も必要だ。

 アフリカ大陸が平和になれば世界平和の実現に大きく前進することになる。今年も新年に戦争がなくならないものかと誓った。

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