いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

宗教国家とオウム事件。 religious state and aum affairs

2014-01-17 19:40:08 | 日記
 (1)宗教は、唯一絶対的で排他的で閉鎖的なものの代表だから、宗教力を信じないものへの影響力がどれほどのものなのか理解も出来ないし想像もつかない。
 日本は国家としてひとつの宗教に支配され拘束されない伝統文化(あえていうなら儒教思想)を持つ国だから、思想信条に究極の(ultimate)自由があるしパラドックス(paradox)としてどんなものも信じる自由もある。
 自由の保障として、政治は政教分離を理念原則として一線を画して信仰の自由も保障される。

 欧米、中東世界は、米国、英国のキリスト教社会にイランのイスラム教国とはっきりと社会思想、倫理観にひとつの宗教が支配して、宗教そのものが国是(these)、主義となっている宗教国家(religious state)もめずらしくない。

 (2)宗教が唯一絶対で排他的である特性から、それ以外の国、勢力とは相容れない主義、主張を持って過去から現在にいたるまで大きな国際戦争、紛争は宗教戦争が中心となり、近年はそれに中東の豊富な天然資源を巡って覇権主義の米国キリスト教主義国とイランのイスラム教国との長い反目、対立が続いている。

 宗教の主義、主張そのものが国家対立を生んでいるのだから、宗教が世界平和に果たした役割については記憶にないし、成果と言うものを見たこともない。唯一絶対的で排他的で閉鎖的な宗教特性をみれば、宗教は価値観が混在して多様な世界平和には無力なのはいたしかたもないところだ。
 
 (3)そんな日本で新興宗教が政治に面と向かって進出しようとし、同時多発社会的テロで国家転覆(あるいは宗教国家成立)をはかろうとしたと見るのが、一連のオウム真理教事件だ。

 オウム真理教は代表の松本智津夫ほかが国政選挙に立候補して国政参加に意欲を示したが目的を達成できずに、95年3月20日に都内の地下鉄にサリンを散布して同時多発テロを起こして日本を社会不安に巻き込んだ。
 サリンによる同時多発テロで国家転覆も目論んだのか、その後の計画を含めてどこまで大それた成算があったのか、組織的にも大それた目的を目指すほどの力があったとも思えない中で、非現実的(妄想)で無謀、刹那(せつな)な行動であった。

 (4)サリン事件を契機にオウム真理教は代表の松本智津夫をはじめ教団幹部が逮捕されて組織は解体された。松本智津夫はじめほとんどの教団幹部関係者は裁判で死刑が確定したが、一連のオウム真理教事件の本質、核心についてはついぞ同時多発サリン事件で被害を受けた社会には憎悪の実態が伝わることはなかった。

 あれから17年余の歳月、逃げのびたオウム真理教指名手配の3名が相次いで逮捕されて、昨日平田信の初公判が開かれた。
 時代は裁判員裁判に変わって被害者遺族も裁判に参加し、判決確定した死刑因3名も出廷して尋問を受けるという前代未聞の裁判だ。伝えられるところでは判決確定者からは松本智津夫への信仰心はなくなっていると言われているが、それに呼応した社会が納得できる証言は聞かれていない。いまだにオウム真理教事件は何だったのかのままだ。

 (5)せめて過酷な被害を受けた社会、被害者、遺族も参加する裁判員裁判でどう変わるのか、3月までの裁判審理だ。
 オウム真理教の教団能力で国政参加で、同時多発サリンテロで国家転覆をはかろうとすれば、あまりにも無謀で妄想、微力で狂信的であり理解に苦しむが、つながりの意図は見える。

 宗教国家では起こり得ない、究極の自由の中での無分別な自由だ。オウム真理教の解体により分派したアレフは、最近若者への勧誘活動を活発化させているとの報道もある。

 (6)社会が見過ごしてきたあるいは放置してきた究極の自由の中での自由が、その代償として社会に押し付ける対価を味わう現実だ。

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