いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

英語教育の小学校化。 education of english in a primary school style

2013-06-01 19:40:20 | 日記
 (1)日本人と英語教育とのかかわりは長らく受験対策という観念が強かったので、経済、社会が国際化して海外との交流、機会が一般的に格段に増えてくると、英語で意思を伝えること、会話能力の不足が現実のものとなっている。

 日本人がこの国に生まれて誰に教わることもなく、日常生活の中でむづかしい日本語の文法を習得していくように、英語も英語圏の国に成人なら2年も生活すれば意思を伝えること、会話能力は自然に身につくものであるから、「必要」を感じる人、組織はそういう手段もあるし、以前から企業は現地に従業員を送り込んで教育、訓練を実施してきた。

 (2)近年は経済のグローバル化に適応するために社内公用語を英語にする企業も一部には出てきている。国内で社内公用語を英語にする意図は、国内の圧倒的な日本語社会での経済活動との整理、煩雑、調整も必要で経済効果、企業益効果に結びつくかは課題もあり、それほど浸透していないのが現実だ。

 英語会話能力の必要性は理解できるが、日本にいて英語ですべて社内対応をすることがグローバル化なのかはちょっと考えさせられる。

 (3)政府(教育再生実行会議)は、日本人が英語力を身につけるために英語教育を小学校の段階(education of english in a primary school style)から正式授業科目にするよう提言している。

 基本的には、生まれて初めて自意識として新しいものに触れる機会の多い(またはすべてがそうでもある)初等教育(小学校)では、知識欲(intellectual desire)、興味、関心、習得力も一般的に高くて、得手、不得手のつきにくい低学年からの英語教育の導入は習得対効果も高くて方法論でもある。

 (4)正式授業科目となると、すぐ「評価」ということになって今度は教える側の指導力、能力、適性が問題視されることが日本の教育の本質を歪めてきたが、この際初等教育の「あり方」についても同時に考える機会にすべきだ。

 発展途上の子どものその中でも最初の知識、文化、教育に遭遇(encounter)する初等教育では、知識、文化「遭遇」こそが貴重な大事な経験であり、それは評価で区分するものではない。

 (5)初等教育は、幅広く一般的に知識、文化、教育に遭遇する多くの機会提供の場所で知識欲、習得欲を高め、維持することが大切だ。
 発展途上の子どもの未知能力を無分別に評価で区分してきたことが、得手、不得手をつくり、旺盛な興味、関心力を削(そ)いできたのは間違いない。
 もちろん、そんな初等教育であるから教員資質の適性、向上は避けては通れない。そうした教育の比較対効果論が日本の教育論には不足している。

 (6)小学校への英語教育の正式導入は、教育の基本構造の変革につなげなければならないし、機会でもある。

 さて、経済、社会のグローバル化に対応するため公立高校では英語の授業を「英語で行うことが基本」(新学習指導要領)とされた。日常生活の中で英語を身につける自然な習得方法論ではあるが、1日のカリキュラムの英語科目だけというのではなく夏休みを利用した集中講義とか海外研修の時間的担保、工夫が習得効果には必要だ。

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