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セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(1) まずは過去記事から概説

2020年03月29日 18時33分51秒 | 歴史

セガ・エンタープライゼス」ができたのは1965年ですが、セガオフィシャルではセガの創立は1960年という認識だそうです。従って今年はセガ創立60周年の節目の年ということで、セガはイベントやらなにやらいろいろ画策しているらしいですね。

セガの歴史を調べると、1960年と言う年は、「セガ・エンタープライゼス」の前身となる「日本娯楽物産」と「日本機械製造」の2社ができた年です。これを公式の創立年とすること自体に異論を唱えるつもりはありません。オフィシャルでそう判断したのであればそう理解します。ただ、物好きな皆さんの間では、日本娯楽物産と日本機械製造は「サービスゲームズ」という前身が分割されてできたものであるということはよく知られています。さらにまた、このサービスゲームズの前には「レメアー&スチュワート(Lemaire & Stewart)」という会社があったということも比較的知られているように思います。

レメアー&スチュワート以前については、2016年04月13日にアップした記事「セガのスロットマシンに関する思いつき話」で、ニューヨーク生まれの「マーティ・ブロムリー(Marty Bromley)と言う人物がスロットマシンを製造販売するために日本に会社を作った」という旨を述べています。

上記記事では名前を「マーティン・ブロムリー」としていますが、どちらの記述も複数の資料で見られます。ただし、彼は元々「マーティン・ブロンバーグ(Martin Jerome Bromberg)という名前でしたが、どこかのタイミングで(それがいつのことかは不明)現在知られている名前に改名しています。


マーティ(マーティン)・ブロムリー(左)。背の高い人だったようだ。ワタシはその風貌から、いつもトロル人形を想起する。

また、2018年1月14日にアップした記事「セガの歴史を調べていたら意外な話につながった話(1)」では、日本にセガ・エンタープライゼスができるに至るまでの経緯について大雑把なタイムラインを揚げているので、ここに再録しておきます。

1940 ブロムリー、ホノルルに「スタンダード・ゲームズ」設立
1945 「スタンダード・ゲームズ」が「Service Games」となる
1952 ブロムリー、日本に「レメアー&スチュワート」設立
1954 デイビッド・ローゼン、日本に「ローゼン・エンタープライゼス」設立
1957 「レメアー&スチュワート」が「Service Games Japan」となる
1960 Service Games Japan、日本娯楽物産と日本機械製造に分裂
1964 日本娯楽物産、日本機械製造を吸収し再び統一する(存続会社は日本娯楽物産)
1965 日本娯楽物産とローゼン・エンタープライゼスが合併、「セガ・エンタープライゼス」となる


「プレセガ期」とも言うべき時期については確かな記録がほとんどないため、例えばこのタイムラインでは1957年としている「サービスゲームズジャパン」ができた時期を1953年としている資料もあるなど、諸説あります。日本国内において「Service Games」あるいは「SEGA」という名称は「レメアー&スチュワート」のころから使われていた形跡もあるらしいのですが、それがコーポレートネームなのかトレードネームなのか、どういうシチュエーションで使われていたのかもよくわかっていません。

ところで、ブロムリーはなぜ日本にレメアー&スチュワートを設立したのか。ごく簡単に言うと、アジア圏の米軍基地にスロットマシンを売り込むためでした。もう少し詳しく言うと、ブロムリーは1945年、米軍基地を相手にスロットマシンを売る「Service Games」と言う会社をハワイ(ホノルル)に立ち上げていましたが、1951年、一般に「ジョンソン法(Johnson Act)」と呼ばれている、州を超えてスロットマシンを運ぶことを禁じる法律が成立したため、それならばと日本、韓国、フィリピンなどアジア圏の米軍基地を相手にするつもりで、その拠点を直前まで米国の占領下にあった日本に設立し、腹心の部下だったレメアーとスチュワートを送り込んだのでした。

ブロムリーは当時の米国の大手スロットマシンメーカーだったMills社の金型と権利を買い取って、日本でスロットマシンを作って売る体制を構築しました。Millsにとってもジョンソン法は打撃だったのでしょう。なお、ある資料では、ブロムリーはスロットマシンの在庫を大量に抱えていたとするものもあります。本当のところはわかりませんが、日本のサービスゲームズは、1956年の日付けが入ったMills製品のサービスマニュアルを、「太平洋地域の独占的ディストリビューター」を名乗って発行しているので、自社生産品とは別に、在庫は在庫であったのかもしれません。


1956年9月1日の日付が記載された、日本のサービスゲームズが頒布していたミルズのサービスマニュアルの表紙。

今回の最後に余談。1956年当時の日本のサービスゲームズの所在地は品川区西大崎1丁目(現在の西五反田4丁目から大崎4丁目辺りらしい)となっています。その後セガ・エンタープライゼスの本社は大田区羽田1丁目におちつき、そこで長く営業していましたが、2019年に品川区西品川(最寄り駅はJR大崎駅)に移転しました。この新しいセガのオフィスは、サービスゲームズがあった辺りから1~数㎞程度しか離れていません。これが期してのことか期せずしてのことかは知りませんが、事実としてセガは60年以上前の古巣のご近所に戻ってきた形となりました。

(つづく)


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