オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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新・幻の「アタミセンター」を求めて(4):初日の記録その3

2024年04月21日 17時09分02秒 | 歴史

【前回のあらすじ】
●初日の午後、図書館を出て、熱海のレゲエスポット「和田たばこ店」と、熱海に唯一残る射的場「ゆしま遊技場」を巡ったが、収穫と呼べるものはなかった。
●「加奈」の近くにある開業75年の老舗喫茶店「ボンネット」で、
 ・アタミセンターはキャバレーだった時期がある。
 ・アタミセンターは射的屋だった時期がある。
 ・加奈は開店当初から1Fだった。
とのお話を聞くことができた。

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「ボンネット」を出たのが午後2時半ころ。そろそろチェックインが始まる頃合いなので、ホテルに向かいました。

今回宿泊する「ニューフジヤホテル」は、図書館や加奈のすぐ近くという格好の立地だっただけでなく、朝食付きで8000円ちょっと(但し部屋の眺望は無し)と、コロナ禍前のラスベガスの中堅ホテル並みにリーズナブルでした。

ニューフジヤホテルのエントランス付近。往年の大型豪華ホテルの威容は今も残る。右手に少し見える白い建物は別館の一部。

1960年代から70年代にかけて、東京のTVでは温泉ホテルのCMが良く流れていました。「ニューフジヤホテル」はそのある時期、冒頭で「Las Vegas On Ice!」と謳い、最後にコーカソイド系外国人のショーガールたちがカタコトの日本語で「アタミニキテネ」と言って終わるCMを流しており、中学進学前から「いつか必ずラスベガスに行くのだ」と心に決めていたワタシの記憶に強く残っていました。

ワタシの記憶に残るニューフジヤホテルのTVCM。この画像のソースはYouTube。放映時期ははっきりしないが、ワタシが多少なりとも英語を解しているので、中学生か高校生だった1975年±2年の範囲と思われる。

海外からショウの一座を呼ぶなど今では到底考えられないことですが、当時の大ホテルはどこも豪華さを競っていたように思います。あれからおよそ半世紀を経て泊まる事になるとは、タイムスリップでもしているかのような気になります。

レセプションの列に並んでチェックイン手続きをしたのは午後2時40分頃でしたが、ルームキーの引き渡しは3時からとのことで、別の行列に並ぶ必要がありました。キーを受け取り、別館に続く地下通路の手前にある棚から浴衣を選んで部屋に向かいました。

受け取った館内案内図より、部屋の構成の部分。ワタシは9階の45号室(赤丸内)で、外界に向かう面が無いが、角部屋だったのは良かった。

部屋の広さは18平米くらいでしょうか。ビジネスホテルの狭いシングルルームよりはずっとゆとりはありますが、机もしくはテーブルが無いのでパソコンの作業をするには若干不便ではありました。窓は開かず、開いたとしても向かいの16~21号室の窓が見えただけでしょう。しかし、それも承知の上での選択です。

部屋の様子。窓は採光のためのもので、開かない。

部屋に荷物を置き、まだ日はあるので再び外に出て繁華街や海岸などをうろつき、いくらかの熱海観光らしきものをしてみました。

静岡県に唯一残るストリップ劇場「銀座劇場」。

画像:①「加奈」の脇を流れる「糸川」は、渚町から河原に降りられるようになっている。 ②河原にはベンチがあり寛ぐことができる。 ③橋の下。満潮時にはかなり足元まで水が迫ってくるようだ。 ④河口の先はヨットハーバー。

画像:①渚町から海側は「熱海親水公園」となっている。 ②1950年の熱海大火の火元となった、渚町の北端付近。 ③熱海の興隆と凋落の差を示す廃墟の一つ、旧熱海海浜ホテル。現在再開発計画が進行中とのこと。 ④「金色夜叉」の像。バカボンのパパとママの馴れ初めのモチーフなのだが、ナウなヤングはわかるだろうか。

銀座町に戻るとすっかり暗くなっていました。メイン通りの「熱海銀座」は意外と早い時間に多くの店が閉まり、中央町の旧赤線地帯は元々仕舞屋が多く、日が暮れるとやることがあまり無くなってしまいました(大人にはそれなりの遊び場があるのかもしれないけどワタシはケチなので興味がないので知らない)。開いている数少ない店の一つで、ゲストハウスを名乗る「マルヤテラス」で鹿のソーセージだという「ジビエドッグ」(750円)をテイクアウトして、さらにコンビニでいくらかの食料と飲み物を買い足してホテルの部屋に戻り、夕食としました。

メニューに記載されているジビエドッグ(750円)と、その実物。珍しいから試してはみるし、うまくないというわけでもないが、積極的にリピートしようと思うほどでもない。

食後は、別館3階にあるゲームコーナーに行きました。本館と別館は道を隔ててはいますが、地下通路でつながっており、外に出ずとも行き来できます。温泉ホテルのゲームコーナーはレトロゲームの宝庫であることが多いので期待していたのですが。

ニューフジヤホテルのゲームコーナーの1。メカ系の一部。


ニューフジヤホテルのゲームコーナーの2。メダル機の一部。


ニューフジヤホテルのゲームコーナーの3。ビデオ系の一部。

むむむ・・・ 期待していたようなレトロゲームが殆ど無いのは仕方ないとして、コンセプトというものが全く感じられない、空いているスペースにただ漫然と機械を並べているだけの、悪い意味での昔ながらのゲームコーナーです。

例えば昔のピンボール機を多数置いてピンボールの聖地を謳うとか、台場一丁目商店街のようにレトロゲームで昭和の雰囲気を再現する(関連記事:セガのエレメカ機「MOTOPOLO」 (1968))など、今だからこそできる施策はあるはずだと思うのですが、せっかくこれだけのスペースがあるのに、なんとももったいないことです。どうせ手をかけないのなら、定見なく新台と入れ替えるより、いっそ1960年代のままでいてくれた方が今の時代には良かったのではないかと思います。

全くお布施をする気にもならず部屋に戻った後、せっかく熱海に来たのだからと本館屋上の露天風呂に行ったのですが、3月半ばの気候では洗い場で濡れた体に風が吹くと滅法寒く、屋内の大浴場に行けばよかったと後悔しました。

(つづく・次回から二日目)


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2 コメント

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Unknown (Liner)
2024-04-24 15:12:57
ニューフジヤホテルは現在伊東園ホテルズ系列で、元の経営母体はもう手放しているというのもあり、ゲームコーナーは悪い意味で放置(というかおそらくホテルが業者に外部委託している可能性すらある)でしょうね…ローコストホテルなので。
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Unknown (nazox2016)
2024-04-26 23:28:27
Linerさん、お久しぶりです。コメントをありがとうございます。
温泉ホテルのゲームコーナーは外部委託が多いようですね。おそらくニューフジヤホテルもそうでしょう。それにしても、全く見どころのない残念なロケでした。
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