ワタシは、戦後以降の日本のゲーム場に設置されていたゲーム機であれば、たいていは実際に遊んだか、もしくは見た記憶があるか、最低でも何かの資料で知見を得ていると思っていたのですが、ときどき古い資料に全く知らないゲーム機が出てくることがあります。
未知のゲーム機があること自体はさほど驚くものではありませんが、その素性が何もわからないのが癪で、少なくともそれがいつ、誰が作ったのかだけでも知りたくなります。
今回は、アミューズメント産業76年4月号に掲載されていた写真から、そのような謎のメダルゲーム機を4機種をとり上げます。もし、ご高覧くださっている方々の中でこれらについて何かご存じのことがございましたら、コメント欄にてご教示いただけますと大変ありがたく存じます。
その1:ヤッジィ(YATZY)
日比谷のセガロケ「ゲームスポット日比谷」の店内とされる写真に写る「ヤッジィ(YATZY)」。アミューズメント産業76年4月号10ページより。
「ヤッジィ」は、6個のダイスを使ったゲームのようです。似たようなゲームに「ヤッツィー(Yahtzee)」があるので、てっきりその商標逃れのネーミングかと思いましたが、念のため調べたところ、ウィキペディア英語版に「(ヤッジィは)ヤッツィーとは似ているが異なるゲームなので混同しないように」と述べられていました。同記事の他言語版にはデンマーク語、ノルウェー語、フィンランド語、スウェーデン語と北欧の言語ばかりが並んでいるので、この機械はヨーロッパ製なのかもしれません。
ウィキペディア英語版の遊び方の説明を読むと、ゲームの進行はヤッツィーと良く似ており、これをエレメカで実現するのは結構大変そうです。1976年ともなればゲームの電子化が進んでいるので、この「ヤッジィ」もおそらくSS機なのだとは思います。思考と運のゲームとして「COOL 104」のような楽しみ方ができそうで、やってみたかったゲームではありますが、ワタシはこの機械をロケで見たことが無いし、他の資料でも見たことがありません。どなたかこの機械にご記憶のある方はいらっしゃいませんでしょうか。
【2023年2月14日追記】セシリアさんよりコメント欄にてYoutubeにプレイ動画があるとの情報をいただき、これにより「ヤッジィ」はデンマークの「CompuGame」というメーカーによるものであることが判明しました! セシリアさん、本当にありがとうございました!!
その2:DOUBLE OR NOTHING
こちらも前述ヤッジィと同じく日比谷のセガロケ「ゲームスポット日比谷」の店内とされる写真に写る「DOUBLE OR NOTHING」。アミューズメント産業76年4月号11ページより。
ゲームのタイトルとゲームの面から、ゲーム性自体は1975年にセガがリリースした「マッチマップ」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(1) マッチマップ(Match'em Up, SEGA, 1975))と同様のものに見受けられます。
ゲーム面の拡大図。明るさとコントラストを調整すると、かろうじて「64、32、16、8、4」と描かれていることがわかる(赤枠内)。
「マッチマップ」が出た後、その類似品として「ビッグチャンス」というゲーム機も出ましたが、どちらも1人用のアップライト筐体でした。しかし「DOUBLE OR NOTHING」は3席が繋がっており、しかもプレイヤーは椅子に座ってプレイする筐体になっています。このゲームは「マッチマップ」の影響を受けて作られたのか、はたまたまさかマッチマップの元ネタだったりするのでしょうか。一体誰がいつ作ったのでしょうか。
【2023年2月14日追記】kt2さんよりSNSにて「Double or Nothingは1975年のセガ製で、同年のMatch'em Upよりは後発みたい」との情報をいただきました。1977年のセガのプライスリストを確認すると、「SEGA Double Up セガ・ダブルアップ」の記載がありました。画像はなく、人数の記述もありませんが、ゲームスポット日比谷がセガロケであることや、マーキーのデザインがいかにも日本的であるところから、これでおそらく間違いなかろろうと思われます。本当にありがとうございました!!
1977年に頒布されたセガのプライスリストに「SEGA Double Up」が掲載されている。
【2023年2月15日訂正】14日の追記で示しているのは、「DOUBLE OR NOTHING」ではなく、「Double Up」でした。「Double Up」については、2018年3月21日にアップした記事「初期の国産メダルゲーム機(2) ダブルアップ / スピナコイン」で触れておりますので、「DOUBLE OR NOTHING」とは異なるものであることをご確認いただければ幸甚です。つきましては、Double Upに関する部分を削除して訂正いたします。つい焦って混同してしまいました。申し訳ありませんでした。
その3:SUPER TROPICANA
池袋のタイトーロケ「ラッキープラザ ロサ」の店内とされる写真に写る「SUPER TROPICANA」。アミューズメント産業76年4月号18ページより。
一見したところ、米国Bally社の「Super Continental」に見えます。しかし、フロントドアのリールウィンドウ左右の部分に曲線が用いられており、異なる筐体です。
Ballyの「Super Continental」。フロントドアのリールのウィンドウを取り巻く部分は直線で構成されている。
「SUPER TROPICANA」のアートワークはBallyの「Super Continental」とはずいぶん異なりますが、この部分は後から交換することは容易です。しかし、フロントドアはそうはいきません。つまりこの「SUPER TROPICANA」は、誰かがBallyの機械をコピーしたものと強く推察できます。ただ、だれがそれをやったのかと言うと、これが全然見当が付きません。
Ballyのコピーと言えば、セガが1974年前後に何機種か作っていますが、そのフロントドアも「SUPER TROPICANA」とは異なっており、セガ製ではなさそうです。
セガのBally製品のコピーのひとつ。フロントドアの、リール窓下部分のデザインは、Ballyのものとも「Super Continental」とも異なる。
そもそも、タイトーのロケにライバルのセガ製品が設置されるとも考えにくいです。とすると、「SUPER TROPICANA」はタイトーが作ったのかと考えたくもなりますが、この頃のタイトーのフライヤーや業界紙の記事、広告でこのようなスロットマシンが掲載されているものを見たことがありません。一体、どこのだれが作ったのでしょうか。
なお、この「SUPER TROPICANA」は、1976年1月20日に放映されたTVドラマ「大都会 -闘いの日々- 第3話「身がわり」」の一シーンに登場していたとTwitterで教えてくださる方がいらっしゃいました。こちらでは部分的ですがカラーで見ることができます。
その4:SUPER BINGO
SUPER TROPICANAに続き、こちらも池袋のタイトーロケ「ラッキープラザ ロサ」の店内とされる写真に写る「SUPER BINGO」。アミューズメント産業76年4月号17ページより。
これもBallyの筐体のようにも見えますが、これまでに見聞したBallyのスロットマシンでこのようなものはありません。Ballyの「Bingo Continental」(関連記事:「Continental Bingo」(Bally, 1972) 」の検証(1))もビンゴをテーマとしますが、それとは全く異なるゲームのようです。日本のメーカーがコピー機にこれだけオリジナリティを持たせるとも考えにくく、おそらくは海外の製品だと思うのですが、それ以上は全く見当が付きません。どなたかご存じありませんでしょうか。