水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(262)

2012-12-04 09:12:34 | 論語
以吾従大夫之後、不可徒行也(先進第十一の8)

吾、大夫の後に従えるを以って、徒行(トコウ)すべからずなり

私(孔子)も高級官僚のはしくれですから、歩くことはできません(移動は必ず車でなければなりません)。


儒教の権威主義的性向が表れた文章だ、と感じます。


顔回が亡くなった時、その父親が孔子に対して次のような願いを出した。

「先生(孔子)のお車を解体し、椁(カク)の材料にさせていただけないでしょうか?」

椁=棺の外側

顔の家は、椁を作る金をひねり出せなかった。しかし、見栄を張って、椁を作り出したいがために、孔子に対し、(暗に金を無心するために)上のような表現で頼んだ。

それに対し、孔子は次のように答えた。

「私の息子の鯉(リ)が亡くなった時、私は椁を作らず棺だけにしました。そのとき、私の車を棺に作り替えてまでして歩こうとは思ってもみませんでした」

そして、上の文章に続く。

孔子が言いたいのは、

「見栄を張るなら、親族の葬式よりも今を生きる自分のために」ということなのでしょうか。

それとも、そこまでは言っていなくて、顔回のおとうさんの言い方にカチンときただけ、と解釈すべきでしょうか。
その場合は、「無理して見栄を張るのはやめましょう」とだけ、言いたかった、と解釈できます。

ただ、儒教が支配階級に都合よく使われた種が、こんなところにあるように思えてなりません。