回也視予猶父也、予不得視猶子也(先進第十一の11)
回、予(ワレ)を視ること猶(ナオ)父なり、予(ワレ)視ること、猶子なるを得ず
回(顔回のこと)は、私(孔子)をあたかも父親のようにしてくれましたが、私は、(顔回のことを)我が子のようにはしませんでした。
この節も、顔回の死に関連した孔子の考えを書いているのだが、よくわからない。
孔子の門人たちが、顔回の葬儀を手厚くとりおこないたい、と孔子に進言したが、孔子は「それはならぬ」と言った。しかし、門人たちは、それに逆らって、立派な葬儀をした。
それを受けた孔子が、上のように言った。
そして、さらに続けて、「私ではなく、みなさんなのですよ」(非我也、夫二三子也)
疑問
・ かわいがっていた回のために、立派な葬儀をしたいという弟子たちの進言をなぜ拒否したのか?
・ 「非我也、夫二三子也」の本意が、立派な葬儀をした実質的主催者を指摘しているのか?
孔子も、我々と同じく、矛盾を抱える普通の人だ、と考えていいのでしょうか?
回、予(ワレ)を視ること猶(ナオ)父なり、予(ワレ)視ること、猶子なるを得ず
回(顔回のこと)は、私(孔子)をあたかも父親のようにしてくれましたが、私は、(顔回のことを)我が子のようにはしませんでした。
この節も、顔回の死に関連した孔子の考えを書いているのだが、よくわからない。
孔子の門人たちが、顔回の葬儀を手厚くとりおこないたい、と孔子に進言したが、孔子は「それはならぬ」と言った。しかし、門人たちは、それに逆らって、立派な葬儀をした。
それを受けた孔子が、上のように言った。
そして、さらに続けて、「私ではなく、みなさんなのですよ」(非我也、夫二三子也)
疑問
・ かわいがっていた回のために、立派な葬儀をしたいという弟子たちの進言をなぜ拒否したのか?
・ 「非我也、夫二三子也」の本意が、立派な葬儀をした実質的主催者を指摘しているのか?
孔子も、我々と同じく、矛盾を抱える普通の人だ、と考えていいのでしょうか?