相維辟公、天子穆穆(八佾第三の2)
相(タス)くるはこれ辟公(ヘキコウ)、天子穆穆(ボクボク)
大辞林によれば、
穆穆(ボクボク)=やわらぎうるわしいさま。つつましく威儀のあるさま
(天子の家来である)辟公(諸侯)による補佐がきちんとしていれば、天子は安泰だ、ということだと思う。
前回と同様、今回も孔子は、分をわきまえよ、つまり、諸侯の家来がいかに天子を大事に祭ろうと天子が喜ぶことはない、と言っているらしい。
江戸時代、同じ500石の武士であっても、大名の家臣は陪臣と呼ばれ、直参旗本より一段低く見られていた。
支配のためのピラミット構造を支える基本理念ととらえるべきであろう。
相(タス)くるはこれ辟公(ヘキコウ)、天子穆穆(ボクボク)
大辞林によれば、
穆穆(ボクボク)=やわらぎうるわしいさま。つつましく威儀のあるさま
(天子の家来である)辟公(諸侯)による補佐がきちんとしていれば、天子は安泰だ、ということだと思う。
前回と同様、今回も孔子は、分をわきまえよ、つまり、諸侯の家来がいかに天子を大事に祭ろうと天子が喜ぶことはない、と言っているらしい。
江戸時代、同じ500石の武士であっても、大名の家臣は陪臣と呼ばれ、直参旗本より一段低く見られていた。
支配のためのピラミット構造を支える基本理念ととらえるべきであろう。