水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古文書講座(5)年貢割付状(4)

2011-03-08 09:56:21 | 三鷹・歴史/地史
大沢村には、土地以外にも、次のような年貢があった。

・ 水車運上 永220文

 天明7年(1787年)の割付状であるから、「しんぐるま」はまだ設置されていず、上流の「おおぐるま」に課せられた年貢であろう。運上=金納の年貢・雑税。商業・工業・漁業・運送業などに対する営業税もしくは免許税。

・ 御伝馬宿入用 米1斗9升4合

 布田5宿に供出していた、と思う。伝馬宿では公用の通信・連絡のために、人馬を常備しておかねばならなかった。
布田5宿、といっても、合計10軒の宿があるほどの小さな宿場であった。30軒以上もある隣の府中に比べ、運営は楽ではなかった、と思う。
「しんぐるま」の近くにある、近藤勇の生家・宮川家は甲州街道沿いに、あらゆる面で強い影響力を持っていた家だったそうだが、それは、この伝馬の調達に関する采配をふるっていたからだ(当然のことながら、幕府を後ろ盾にして、だ)、という話がある。非常に興味深い家なのだ。

・ 六尺給米・御蔵前入用 米永 助郷に付免除

 六尺=当時、幕府雇用の人足を呼ぶ公用語。江戸城の中にも大勢いたであろう。大沢村の供出米は蔵前用であった。ただし、これは助郷をすることによって、免除。
助郷=宿場(この場合、布田5宿)での人馬が不足した場合、その不足分を供出すること。

今日考えれば、六尺給米を負担し、助郷を免除してくださいと言えそうだ。が、たぶん、それは決して言えなかった。
つまり想像するに、これは、「助郷を出せ」という命令、だと思う。六尺給米免除は単なるカザリ。