水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

出山横穴墓群8号墓

2007-11-26 09:26:44 | 三鷹・歴史/地史
 しんぐるま の対岸(野川の左岸)には湿生花園が整備され、段丘崖の樹林帯・がけ下の水田・わさび田など、里山の風情を楽しむ工夫が施されている。

 その一角、段丘崖の中腹に横穴墓(7群、63基)が散在し、そのうちの8号墓が保存・公開されている。

 墓前域から発掘された須恵器から、この墓が造られた時代は7世紀、と推定されている。7世紀といえば、大化の改新や壬申の乱の時代だ。また、あの高松塚は700年頃の造成らしい。なんと、ちょうどそんなころ、ここ大沢にも、これほどまでの墓を作る力をもった人々が生活していた、ということだ。
もっとも、段丘の上、天文台の中などでは、縄文遺跡や旧石器遺物も発見されているから、この大沢一帯は一万年ぐらい前から人間の生活が連綿と続いてきている地域だ。

 公開されている墓は、奥行き約5m、入り口幅・高さとも約1m、最奥部幅・高さとも約2mで、床は全面玉石(おそらく、直線距離約5kmの多摩川の河原のものであろう)で敷き詰めてある。
 説明パンフレットに「横穴墓の位置する高さは、東京パミス(軽石層)の高さと関係するようです」とある。
東京パミス層は、武蔵野ローム層中に挟まる他の火山(古富士火山?)を起源とする火山噴火物である。東京パミス層の数メートル下には、地下水が豊富な武蔵野礫層がある。墓の底を東京パミス層の高さにしたのは、武蔵野礫層の地下水の影響がでて、墓の内部環境が悪化することを恐れたからだ、と考える。
生活の知恵だろうが、賢い、とつくづく思う。

 また、墓前域から出土した須恵器とは次のようなものだ。

1 土器(野焼き、800度程度で焼いた縄文・弥生時代の焼き物)の長い時代のあと、半島から伝来した、穴釜で焼成する陶器。陶をスエとも読む。須恵を陶と書き替えたほうがよいのではないか。全国で1000基以上の古代穴釜跡があるらしい。
2 意識して釉薬は使用していないが、焼成中の灰が自然にかかるものもある。
3 焼成温度は1100度位だったらしいが、燻しを強く施し、強度を得た。おそらく、強還元状態を作ったのであろう。陶土の違いや還元状態の違いによって、色の微妙な違いが表れた。
4 古代土器は現代陶器の「素焼き」と同じ(焼成温度約700度)だ。しかし、焼成温度が1100度程度ということであれば、須恵器は備前焼と同じ、現代陶器と変わりはない。

 
 しんぐるま を含め、大沢周辺は歴史や文化に親しむ地域への整備が着々と進行している。8号墓付近の民家(明治初期建造か?)が市の管理下に入ったし、天文台の古い官舎(大正初期建造)も保存対象になったようだ。興味の対象が尽きることがなく、楽しみだ。