いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
スクールライフ
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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えー。
昨日に引き続きwakaさんのご質問に返答する形で、話を進めさせていただきます。
2008年02月04日投稿「校則」、wakaさんのコメント(後半)より。
現代日本で普通の生活をしている人に、
守護霊さんや天使さんが話しかけて来る意味がわからないのです。
戦争が始まる時や飢饉、地震のときなど、どうだったのでしょうか?
むしろそういうときにこそ必要だったのでは。。
これに関しても、僕は「学校」という考え方で捉えています。
人生には、それがどんな人であっても「特に何かを意識しているわけでもないのに、何の問題もなくスムーズに運ぶ時」や、反対に「どんなに気をつけていても困難にぶち当たって仕舞う時」などがあると思います。
これを、僕は「学校の年間スケジュール」として考えているんです。
学校生活は、1年次・2年次・3年次、1学期・2学期・3学期、その学期の前期・後期、さらには1日の中でも1校時目・2校時目…と言った具合で、その時に合わせた行事やカリキュラムが組まれています。
人生も、これと同じだと思うんです。
(それが当たっているとか、いないとか、その存在の是非は別として)例えば、細木さんの占いに出てくる「小殺界」「中殺界」「大殺界」なんかも、別に「罰の当たりやすい時期」とか「不幸に見舞われやすい時期」などといったことではなくて、
小殺界 → 1学期期末試験
中殺界 → 2学期期末試験
大殺界 → 3学期期末試験(進級試験)
みたいな事なんじゃないかと思うんです。
これ以外にも、学校の正式なカリキュラムから外れた先生の独断で行われる「抜き打ちテスト」がたまにあったりね。
日々コツコツと勉強している人にとっては、試験は別に怖い物でもないですよね。ちょっとした「腕試し」といった所でしょう。
でも、いつも遊んでばかりで、さっぱり勉強していない人にとっては、それはそれは恐ろしい行事になってしまう。
テストの結果は、そのまま自分に帰ってきてしまいますから。
進級試験で合格点を取れなければ、当然そのまま留年です。もう一度、1から同じ問題のやり直し。
勉強しなくても、別に「地獄に落ちるわよ!」なんてことはなくて、単に「進級出来ないわよ!」ってことだと思うんですよね。
留年がイヤなら勉強すりゃいいんですよ。
自分の前に現れる「困難」は、「罰」でも「神様のイタズラ」でもなく、一つの「テスト」なんだと思うんです。
先生は、テストの最中に、答えを教えてくれるなんてことはないですよね。与えてたら、テストにならないんだから。
そんな感じで考えております。
次はこちらのご質問。
2005年を過ぎたあたりから、スピリチュアル分野のHPやブログが
急に多くなってきたように感じるので気になりました。
最近急に守護霊さんや天使さんの声を聞く人が増えたのでしょうか?
それとも昔から守護霊さんの声を聞く人が口にはしないだけで本当はたくさん存在したのでしょうか。。?
これはですね…
ちょっと想像してみてください。
仮にあなたが高校生だとして、自分の通っている高校が不良の巣窟状態だったとしたら。
あなたはその教室で、声高らかに「さぁみんなっ!勉強しよう!」なんて言えますか?
一人静かに机に向い、「私は勉強しています。邪魔しないでください。」というオーラを出せますか?
しませんよね。そんなこと。
(`⌒´メ) 「ああん?お前なに勉強なんかしてんだよ。優等生面しやがって。」
なんて感じで、ソッコー袋だたきですよ。そんなことしてたら。
だからほら、かの有名な救世主だって、「ほら、私を見習って勉強してごらん。」なんて言って現れても、結果十字架に張り付けにされて集団リンチで殺されちゃったじゃないですか。
「Imagine there's no heaven …」なんて言ってくれる彼だって、「HELP!」っていう暇もなく撃ち殺されちゃうじゃないですか。
あー怖い。ここでは勉強を推奨すると、大変なことになっちゃう。
でもね、ここ最近は、そうやって体を張って頑張ってくれた先輩達のおかげで、徐々に「あ。もしかして勉強から逃げているより、むしろ頑張った方がいいの?」って感じで、気付いてきた人が増えてきているんだと思うんです。
教室全体が、徐々にそういう「勉強してみようぜ!」ムードになっていったら、ツッパリ君にビビることなく、みんな素直に勉強できる状況が出来るじゃないですか。
これが正しいか間違ってるかは分かりませんが…
とりあえず、僕はそういう風に考えております。
←ご存じですか?今日はバレンタインデーです。もう一度言います。バレンタインデーです。
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えー。
昨日に引き続きwakaさんのご質問に返答する形で、話を進めさせていただきます。
2008年02月04日投稿「校則」、wakaさんのコメント(後半)より。
現代日本で普通の生活をしている人に、
守護霊さんや天使さんが話しかけて来る意味がわからないのです。
戦争が始まる時や飢饉、地震のときなど、どうだったのでしょうか?
むしろそういうときにこそ必要だったのでは。。
これに関しても、僕は「学校」という考え方で捉えています。
人生には、それがどんな人であっても「特に何かを意識しているわけでもないのに、何の問題もなくスムーズに運ぶ時」や、反対に「どんなに気をつけていても困難にぶち当たって仕舞う時」などがあると思います。
これを、僕は「学校の年間スケジュール」として考えているんです。
学校生活は、1年次・2年次・3年次、1学期・2学期・3学期、その学期の前期・後期、さらには1日の中でも1校時目・2校時目…と言った具合で、その時に合わせた行事やカリキュラムが組まれています。
人生も、これと同じだと思うんです。
(それが当たっているとか、いないとか、その存在の是非は別として)例えば、細木さんの占いに出てくる「小殺界」「中殺界」「大殺界」なんかも、別に「罰の当たりやすい時期」とか「不幸に見舞われやすい時期」などといったことではなくて、
小殺界 → 1学期期末試験
中殺界 → 2学期期末試験
大殺界 → 3学期期末試験(進級試験)
みたいな事なんじゃないかと思うんです。
これ以外にも、学校の正式なカリキュラムから外れた先生の独断で行われる「抜き打ちテスト」がたまにあったりね。
日々コツコツと勉強している人にとっては、試験は別に怖い物でもないですよね。ちょっとした「腕試し」といった所でしょう。
でも、いつも遊んでばかりで、さっぱり勉強していない人にとっては、それはそれは恐ろしい行事になってしまう。
テストの結果は、そのまま自分に帰ってきてしまいますから。
進級試験で合格点を取れなければ、当然そのまま留年です。もう一度、1から同じ問題のやり直し。
勉強しなくても、別に「地獄に落ちるわよ!」なんてことはなくて、単に「進級出来ないわよ!」ってことだと思うんですよね。
留年がイヤなら勉強すりゃいいんですよ。
自分の前に現れる「困難」は、「罰」でも「神様のイタズラ」でもなく、一つの「テスト」なんだと思うんです。
先生は、テストの最中に、答えを教えてくれるなんてことはないですよね。与えてたら、テストにならないんだから。
そんな感じで考えております。
次はこちらのご質問。
2005年を過ぎたあたりから、スピリチュアル分野のHPやブログが
急に多くなってきたように感じるので気になりました。
最近急に守護霊さんや天使さんの声を聞く人が増えたのでしょうか?
それとも昔から守護霊さんの声を聞く人が口にはしないだけで本当はたくさん存在したのでしょうか。。?
これはですね…
ちょっと想像してみてください。
仮にあなたが高校生だとして、自分の通っている高校が不良の巣窟状態だったとしたら。
あなたはその教室で、声高らかに「さぁみんなっ!勉強しよう!」なんて言えますか?
一人静かに机に向い、「私は勉強しています。邪魔しないでください。」というオーラを出せますか?
しませんよね。そんなこと。
(`⌒´メ) 「ああん?お前なに勉強なんかしてんだよ。優等生面しやがって。」
なんて感じで、ソッコー袋だたきですよ。そんなことしてたら。
だからほら、かの有名な救世主だって、「ほら、私を見習って勉強してごらん。」なんて言って現れても、結果十字架に張り付けにされて集団リンチで殺されちゃったじゃないですか。
「Imagine there's no heaven …」なんて言ってくれる彼だって、「HELP!」っていう暇もなく撃ち殺されちゃうじゃないですか。
あー怖い。ここでは勉強を推奨すると、大変なことになっちゃう。
でもね、ここ最近は、そうやって体を張って頑張ってくれた先輩達のおかげで、徐々に「あ。もしかして勉強から逃げているより、むしろ頑張った方がいいの?」って感じで、気付いてきた人が増えてきているんだと思うんです。
教室全体が、徐々にそういう「勉強してみようぜ!」ムードになっていったら、ツッパリ君にビビることなく、みんな素直に勉強できる状況が出来るじゃないですか。
これが正しいか間違ってるかは分かりませんが…
とりあえず、僕はそういう風に考えております。
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