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ふと、以前トークライブでお話した内容を思い出しましたので、今日はそのお話をしてみようかと思います。


それは、かつて雲さんに、

( ̄д ̄ ) 「ねぇ雲さん。なんだって僕はこの世に生まれてきたんですか?いや、『何言ってるんだよ。お前は生まれてなんてないよ』とか、そういうのはナシね。雲さんはよく『生まれていない』とか『この世は幻想だよ』とかいうけれど、でも、そうだとしても僕は現に今、その“幻想”をこうして生きているワケで…。幻想が幻想だとしても、なぜその幻想をみているんでしょう?なんのために幻想をみているんですか?」

という質問をしたときのお話です。


その質問には、いくつもの答えがあったのですが、その中の一つにこんなものがあったんです。


(  ̄Д ̄) 『なんのために……。そう、それはね…』

( ̄д ̄;)ゴクリ… 「それは?」

(  ̄Д ̄) 『苦しむために』

Σ( ̄д ̄;) 「え?」

(  ̄Д ̄) 『おまえ自身が苦しむことを望み、それを実現するために生まれてきたんだ』

( ̄д ̄;) 「……」

(  ̄ー ̄) 『……』

( ̄д ̄;) 「マジで?」

(  ̄Д ̄) 『マジで』

( ̄д ̄;) 「……」

(  ̄Д ̄) 『なぁ』

( ̄д ̄;) 「はい?」

(  ̄Д ̄) 『人生は壮大なゲーム、そういう比喩を聞いたことがあるよね』

( ̄д ̄;) 「はい。ありますね」

(  ̄Д ̄) 『そういうことなんだよ』

( ̄д ̄;) 「はい? すんません。話がみえないのですが…」

(  ̄Д ̄) 『お前はどこから来たと思う?』

( ̄д ̄;) 「え?」

(  ̄Д ̄) 『お前は生まれる前、どんな世界にいたと思う?』

( ̄д ̄;) 「あの世…ですか?」

(  ̄Д ̄) 『だから、その「あの世」とは、どんな世界だったと思う?』

( ̄д ̄;) 「いや、さっぱり見当がつきませんが…」

(  ̄Д ̄) 『お前はね、苦しみ(ストレス)のない世界にいたの』

( ̄д ̄;) 「え?」

(  ̄Д ̄) 『……』

( ̄д ̄;) 「あの…。ますますわからないんですけど…」

(  ̄Д ̄) 『何が』

( ̄д ̄;) 「僕は、苦しみの無い世界から、わざわざ苦しむために、苦しみのある世界に生まれてきたと?」

(  ̄Д ̄) 『だから最初からそう言ってるじゃないか』

( ̄д ̄ ;) 「……」

(  ̄Д ̄) 『想像してごらん』

( ̄д ̄ ;) 「なにを?」

(  ̄Д ̄) 『お前が生まれる前の世界のことを』

( ̄д ̄ ;) 「?」

(  ̄Д ̄) 『お前はね、すべてが思い通りになる世界にいたんだ。それってどういう事だと思う?』

( ̄д ̄ ;) 「???」

(  ̄Д ̄) 『すべてが思い通りなんだよ。あらゆる望み・願いが、寸分の狂いもなく、数秒のタイムラグもなく目の前に現れる世界だ。そういう世界に自分がいると思ってごらん。お前はそんな世界で何を望む?』


( ̄д ̄ ;) 「すべてが思い通り…」


( ̄д ̄ ;) 「あらゆる望みが目の前で実現する世界………」


( ̄д ̄ ;) 「………………」


Σ( ̄Д ̄;)ハッ!


(  ̄Д ̄) 『な。お前の望みは、今まさに叶えられているんだよ。ゲームはね、思い通りにいかないからこそゲームなんだ』

( ̄Д ̄;) 「………………」

(  ̄Д ̄) 『思う存分楽しみたまえ』



←なかなか思い通りにならないのが、この世のさだめでございます。
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「この世」とは何か

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前回のコメント欄にて、この様なコメントをいただいたので、今日はそこからお話を進めさせていただきます。


*****

個人の魂が元からないのなら、
どうしてこの世があるのですか?
なんのためにこの世があるのですか?

*****

さて、Unknownさんの質問の真意に沿えるかどうかはわかりませんが、この疑問を僕なりに考えてみたいと思います。

なにせこのブログのタイトルはまさに「あの世に聞いた、この世の仕組み」ですからね。

これ以上ドンピシャなテーマもないでしょう。


( ̄д ̄ ) 「と、言うわけで雲さん、よろしく!」

(  ̄Д ̄) 『何が「よろしく!」だよ。自分で「僕なりに考えてみたいと思います」とか言っておきながら。』

( ̄д ̄ ) 「固いことは言いっこなし。雲さんだっていつも言ってるでしょ。“私はお前だ”って。」

(  ̄Д ̄) 『よし。じゃあまず疑問そのものを考える前に前提としての「この世」を考えてみよう。辞書ではなんと書いてある?』

( ̄д ̄ ) 「“今、生活している現実のこの世界”、とありました。」

(  ̄Д ̄) 『では、“今、生活している現実のこの世界”とは何を指した世界だろうね。先日話した「2つの現実」のうちの、どちらの「現実世界」を話していることになる?』

( ̄д ̄;) 「ん?」

(  ̄Д ̄) 『もし、“今、生活している現実のこの世界”が、自分の思考を通して認識した世界(A)のことを指しているのであれば、「この世」とは単なる主観によって生まれた幻想・マトリックスのことだ。もし、思考を通さずありのままに捉えた世界(B)のことなのであれば、そこにはすでに「この世」「あの世」などと言った定義や区別そのものがなくなっている。』

Σ( ̄д ̄ ) 「あっ、そうか。だとしたら、Bの認識においては、“なんのためにこの世があるのか”という疑問そのものが成り立たない。」

(  ̄Д ̄) 『そういうことだね。Bの認識においては「全ては一つ」なのだから、「区別」がない。だから「この世」という風に切り分けられた世界は無いわけだ。「この世」とは「この世」に対する他の世界(あの世)があると仮定した場合の事だからね。(B)の場合の「世界」とは、イコール「存在」そのものを指しているのであってそれ以上でも以下でもない。』

( ̄д ̄ ) 「と、すると。“この世”という定義そのものが幻想だということになりますね。」

(  ̄Д ̄) 『そう。究極的には「この世」「あの世」という区別はできないんだ。前から何度も言っているだろ「あの世とこの世は別物ではない」と。「この世」とは本来切り分けることのできない「存在」のある側面だけを抜き出して捉えた「定義」「観念」だ。本来切り分けることが出来ないものを切り分けて考えてしまうから本質を見失うんだよ。』

( ̄д ̄ ) 「ってことは、裏を返せば“あの世”もないわけで…」

(  ̄Д ̄) 『そうだよ。』

( ̄д ̄ ) 「じゃ、雲さんは“あの世”にいるわけじゃないのか。ん?ということは雲さんて、どこにいることになるの?」

_(*_ _)ノ彡☆ギャハハハ!!バンバン!! 『あはは!』

( ̄д ̄;) 「え?」

(  ̄▽ ̄) 『「いまここ」にいるじゃないですか。(阿部さんのモノマネで)』

Σ( ̄д ̄;) 「あ。」

(  ̄▽ ̄) 『いいかい。ここで一度整理しよう。つまりこういうことだ。本来切り分けることのできない「存在」そのもの、それがあるのは時間でも空間でもない「いまここ」だ。人間は「思考」によって本来ない「時間」という概念や「空間」という概念をつくりだし「ある」ことにした。その概念がさらに発展して出来上がった概念が「この世」であり「あの世」。それによって人は本当の世界を見失ってしまったんだ。』

( ̄д ̄ ) 「だとすると、そこからまた良くあるあの質問に帰っていくよね。じゃあなんで人間はわざわざその本当のことを忘れる必要があったのさって。」

(  ̄▽ ̄) 『なんの為に忘れたのって?』

( ̄д ̄ ) 「うん。」

(  ̄▽ ̄) 『思い出すためだよ。』


←忘れないでください

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天国と地獄

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久々に、天国と地獄のお話をしてみたいと思います。


この世が「アルコール依存症更正施設」だとしたら、あの世は「社会全体」といったところでしょうか。

「死」は、この「アルコール依存症更正施設(この世)」を出て、社会(あの世)へ戻るのだと考えると分かりやすいかと思います。

で、その戻る先・帰る先がどこなのか。

施設を出た者が行く先が、「天国」とか「地獄」と呼ばれるところです。

簡単に言うと、「天国」は「お酒と無縁の世界」。

「地獄」は「酒場」。

どこでも、お好きな所へおいでください。

お酒好きな人にとっては「酒場」はある意味「天国」でしょう。なんせ、呑み放題ですから。

居酒屋・バー・スナック・もっきり…種類も店舗も選び放題。お好きなお店をお選び下さい。

周りもお酒好きの方々ばかりです。(無理に連れてこられた人はいません。自分の意志で酒場に集まった方々ばかりです。)

ただし…

あの世は「おもうがまま」の世界なので、いかんせん「限度」というものがありません。「無限」です。

ですから、ここに集っている方たちは、お酒に呑まれた重度の依存症の方々だと思ってください。

「お酒が私を幸せにしてくれるに違いない。」

そう信じて疑わず、来る日も来る日も吞み続けます。

例え具合が悪くなろうとも、例え理性を失っても、例え身動きが取れなくなろうとも、例え体中を這う虫たちが幻覚として現れようとも…。

「おかしい、こんなはずじゃない。もっと幸せになれるはずだ。そうだ、きっとまだ呑みが足りないんだ。もっと呑まなきゃ!ほら、そこのアナタも休んでないでもう1杯!」

そうして酔っぱらいたちがせっせせっせと大酒を呑み交わしています。

酒場は連日大繁盛。

匂いだけでも酔えそうなほど酒臭く、床はゲロまみれ。

どんなに具合が悪くても、「まだまだ呑みが足りん!」とお酒を注がれます。

あちらを見れば理性を失った者達が喧嘩をし、そちらを見ればただただ泣き崩れている者、こちらでは白目をむいて口中泡だらけにしている者に、酒の奪い合いをしている者。

どっちを向いても酔っぱらいだらけです。


そんな中、

( ̄д ̄;) 「あれ?もしかして俺が不幸なのは、この酒のせいなのか? 幸せと酒って、実は無関係? あれ? 俺、病気?」

そう気付いた者達は、自ら「更正施設(この世)」へとやって来ます。





僕は、何度この更正施設に帰ってくれば気が済むんですかね?




(; ̄Д ̄) 『はよ退院せーや。』


( ̄ε ̄;|||・・・



←ほら、そこのアナタも休んでないでもう1押し!

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輪廻転生

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おらは死んじまっただ おらは死んじまっただ

おらは死んじまっただ 天国に行っただ

長い階段を 雲の階段を

おらはのぼっただ ふらふらと

おらはよたよたと のぼりつづけただ

やっと天国の門についただ


天国よいとこ一度はおいで

酒はうまいしねえちゃんはきれいだ

ワー ワー ワッワー


おらが死んだのはよっぱらい運転で

「アレーッ!」

おらは死んじまっただ おらは死んじまっただ

おらは死んじまっただ 天国に行っただ

だけど天国にゃ こわい神様が

酒をとりあげて いつもどなるんだ

「なあおまえ 天国ちゅうとこは

そんなにあまいもんやおまへんにゃ

もっとまじめにやれ」


天国よいとこ一度はおいで

酒はうまいしねえちゃんはきれいだ

ワー ワー ワッワー


毎日酒を おらはのみつづけ

神様のことを おらは忘れただ

「なあおまえ まだそんなことばかり

やってんのでっか ほならでてゆけ」

そんな訳で おらはおいだされ

雲の階段を おりて行っただ

長い階段を おらはおりただ

ちょっとふみはずして


おらの目がさめた 畑のどまんなか

おらは生きかえっただ

おらは生きかえっただ



『帰って来たヨッパライ』(1967年:ザ・フォーク・クルセダーズ デビューシングル)



←クリックよいこと一度は押して ワー ワー ワッワー

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接触

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先日、コメント欄で、あるご質問があったので、今日はそのことについてお話してみたいと思います。


2008年02月04日投稿「校則」、wakaさんのコメントより。

この世に生まれてくる時にあの世での記憶を消して
この世で様々な経験をして苦しみながら自分で考えながら
生きていくことが大切??なのだとしたら、
守護霊さんが本人に話しかけてくるのは
「ルール違反」なのではないでしょうか?
本人が考える前に守護霊さんと話す事で
答えがわかってしまうのではないでしょうか。



はい。このご質問、実は、すごーく聞かれます。

で、これに対して、どう返答してよいものか、ぶっちゃけよく分かりません。

ですので、いいとか悪いとかは、とりあえず置いといて話を進めさせていただきたいと思います。


まず、僕自身の事でお答えいたしますと、「雲さん」は、僕が「守護霊」と表現していても、その本質は「僕自身」なんです。

僕と切り離された存在として存在しているわけではない「何か」のことを、とりあえずの便宜上「守護霊」とか「雲さん」と表現しています。

この感覚を、どのように表現したらいいのか、ホントに分からないんです。

なので、このblogを書き出した時に、

リアルに書こうとすると、ものすごく複雑で、わかりづらい話なんですよ。
で、一応見てくれている方々にわかりやすいように、かなり要約(翻訳)してあるんです。


という説明を挟ませていただいた次第です。


「自分の認識を超えた自分が、自分と認識している自分に接触している」とでも申しましょうか…

うん。言葉にしても、やっぱり何のことやら分からんちん_| ̄|○

とにかく、「それってルール違反なんじゃないの?」って聞かれても、「自分が自分に接触を図ることが、ルール違反なの?」って返すしかないと言いますか…

それと、これもどう説明したらいいのやら…なのですが、この「自分の認識を超えた自分」ってヤツは、どういうワケか自分でありながらも、僕に答えを教えてくれはしません。

差し示すのは、「答え」ではなく、あくまで「ヒント」なんです。

これがもう、さっぱり理解し難い。

自分でありながら、自分の知らない事を知っているのが分かる、という矛盾。

でも、チューニングが「シャキーーン!」って合うと、その矛盾が、ことごとく矛盾じゃなくなるんです。

つーか、これに限らず、この世のあらゆる物の矛盾が一切なくなる感じ。仕組みの中の自分ではなく、仕組みそのものになっていると言うか…

なので、こういう時は、コンタクトを取っていることに対しての罪悪感も恐怖感も一切ありません。

で、チューニングが微妙にずれている時は、自分が接触しているものが何なのか分かりづらい(ぼやける)んです。

何とコンタクトを取っているのか、把握しづらい。


あぁ…なんか余計話が分かりづらくなってない?_| ̄|○


とりあえず、僕はこのように考えています。

「仮に、この世が“全寮制の超不良学校”だとして、そんな所にわざわざ接触を図ってくる存在とは、何を目的とした、どんな存在なのだろう?」

そういう風に想像を巡らせて、


「勉強に関心を寄せて欲しい」と、努力している先生?

ヤクザな世界のスカウトマン?

我が子の様子が心配になったPTA?

卒業したものの、社会に出ることを拒み、学校へ侵入しようとしている不審者?

ただの通りすがり?

学校をちゃかしに来た暴走族?

学校の様子を見学にきた教育委員会や文部省のお偉いさん?

友達のご両親?

久しぶりに遊びに来た先輩?

などなど…


「それぞれのキャラクターなら、どのようなコンタクトを取ってくるだろう?」と想定してみる。


そうやって捉えると、メッセージの信憑性といいますか、存在に対しての信頼感といいますか、そういったものが判断できるのではなかろうかと、そういう風に思っております。





うん。

結局なんだかよく分からないね。


←「シャキーーン!」って感じで。

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