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心境の変化

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さて、前回「割り箸を噛む」というお話をしたのですが、正直なところ、僕はこういった「~をしてみましょう」という感じの話が好きじゃありません。

その理由は、このブログでも度々お話してきた通り、人生において重要なことは「何をするか」や「何を成すか」ではなく、「いま、どうあるか」ということに尽きるからです。

(過去記事参照:2008年8月14日投稿「あり方」


だからこそ、世の中にある様々な「ああしてみよう、こうしてみよう」というもの、また、色々なメソッド、そういったものの多くに違和感を感じていました。

そしてまた、そういうものを目にしたとき、結構露骨に「けっ」という、『やっぱりおおかみ』的な態度をとっていました。


『How to』に嵌ることで、「Do」ばかりに目が向いてしまい、「Be」がないがしろになっている。

いくら本を読んで「良いことを知った!」と嬉々としても、そこに書かれていることを本当に実践・継続している人は稀で、結局、本質を掴むことができないまま、「次のメソッド」「別なメソッド」と渡り歩いているだけではないかと。

やる前に、読んだことに満足しちゃう人って、多いでしょ?

そう思っていたんです。というか、いまだその思いは残っているんですけどね。

だって、僕自身がそうですから。

基本「面倒臭がり」だから、その時は「ああ、良いこと知ったな~」とか思っても、結局いつの間にか忘れてるもん(苦笑)。


たとえばね、僕のトークライブにきてくれた方でも、ライブ終了後、実際に「自宅を引き寄せる」ということに取り組んでいる人は、全体の何割でしょうね。

ライブが終わって、会場を出た途端に忘れてる人も多いと思います。

いや、責めてるんじゃないですよ。そういうもんだと思うんです、実際。


だからこそ、僕はこのブログで「○○をしましょう」という内容を語ることは、できるだけ避けていました。

また、そんなに書きたいとも思っていませんでした。


しかし、僕がそう思っている反面、「具体的に何をすればいいのか教えてください」といった質問が繰り返し寄せられているのも事実。

これまでは、「だから!僕が話しているのはそういうことじゃないんだって!!」と、繰り返して来たのですが、最近、少々心境の変化が出てきました。

本当は、いまだ「わざわざDoを経由するなんて、まどろっこしいな」という気持ちもあるんです。

でも、「それを経由することで、初めてBeの大切さに気づく、そういうタイプの人も多いのかもしれない」、そう思うようにもなったのです。

実際、そういった方法に出会うことで、シフト出来た人もいるのだろうし、そんなに求められるなら、僕も何か答えてみようかと。


なんなんでしょうね。この心境の変化は。

自分でもよく分かりませんが、これまで意固地になっていた何かから離れ、「柔軟に対応してみよう」という感じになってきました。

ということで、これからはこういったお話も少しずつしていきたいと思います。

よろしくどーぞ。



【本日の『月イチ☆』にご来場の皆様へ】

そんなわけで、今日の『月イチ☆』では、簡単なワークショップをやってみようかと思っています。

よろしければ、ご来場の際に「500mlペットボトル(空でもOK)」をご持参ください。

これで何をするのかは、まだ秘密です。

( ̄ー ̄)ニヤリ



【トークライブのお知らせ】

このライブでも、あたらしい試みにチャレンジしてみたいと思っています。

ヲタのシミに!(←久々に使うフレーズ)

雲黒斎講演会 in 福岡

【日時】 2012年2月11日(祝・土)14:00(開場 13:30)

【会場】 春日クローバープラザ 508研修室AB
   福岡県春日市原町3丁目1-7(JR春日駅すぐ)

【参加費】 お一人様3,000円

【お申込み方法】
氏名、希望枚数、連絡先電話番号をお書きの上、下記メールアドレスへお申し込み下さい。

un.kokusai.fukuoka@gmail.com

【主催】 雲黒斎講演会 in 福岡実行委員会



←これまで意固地になっていたアナタも、柔軟に対応してみよう。
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微笑みの達人

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やってる?




P.S.
今年は、「人生がときめく わりばしの魔法」という二番煎じのタイトルでヒットを狙いたいと思います。



【トークライブのお知らせ】

割り箸をくわえながら、お気軽にご参加ください。

雲黒斎講演会 in 福岡

【日時】 2012年2月11日(祝・土)14:00(開場 13:30)

【会場】 春日クローバープラザ 508研修室AB
   福岡県春日市原町3丁目1-7(JR春日駅すぐ)

【参加費】 お一人様3,000円

【お申込み方法】
氏名、希望枚数、連絡先電話番号をお書きの上、下記メールアドレスへお申し込み下さい。

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←オサレヌト・ザ・ピンチ
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引き寄せの法則 ~割り箸メソッド~

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我が家では玄関に、横浜中華街へ遊びに行った時に中国の書家さんに書いてもらった花鳥文字を飾っています。





龍や鯉、太陽に竹、お花や鳥などといった、縁起の良いモチーフを巧みに組み合わせて書かれたこの額。(ちなみに、パンダやクジャクも描かれているんですけど、どこにいるかわかりますか?)

「笑門福来」と書かれています。おなじみの「笑う門には福来たる」ってやつですね。

僕も幼いころからよく耳にしていた言葉ですが、この言葉の奥深さをヒシヒシと感じるようになったのは、ここ数年のことです。


「笑う門には福来たる」。

侮ってはいけません。これ、ホントにホントです。

この言葉の意味を、「知識」としてではなく「体感」として得ることができたら、次から次へと、おもわず笑っちゃうほどの幸運が舞い込みだします。

おもわず笑っちゃうから、そこにはさらに福来たる。

そして気づけば、いつの間にか「流れに乗る」といわれる状態になっています。


と、いうものね、実は「笑う門には福来たる」というたった一言に、いわゆる「引き寄せの法則」のエッセンスがギュッと凝縮されているんです。

で、その本質の意味がわかっていようといまいと、やってみれば「必ずそうなる」から不思議なの。

ホント、昔の人は上手いこと言うものだと感動してしまいます。


もし、「流れには乗りたい。でも、その『流れ』が何なのかもわからないし、どうやってその流れに乗ればいいのかも分からないんだ!」という方や「笑いたくても笑えない」とか、「最近ちょっと鬱ぎみで」いう方がいらっしゃいましたら、これからのお話を是非お試しください。

以前「阿雲の呼吸」のライブでも簡単に触れ、また、その内容はDVDにも収録されていますが、改めてご紹介します。


やることはとても簡単。

ただ、時間があるときに「割り箸を噛む」という、たったそれだけです。



これだけです。これだけですが、その効果は絶大です。

あ、なんだったら割り箸じゃなくても、鉛筆でもなんでもいいんですよ。

ただ、こうしてると、そんなに力を入れてなくても歯形がついちゃったりしますからね、気をつけてください。

それと、コレをやっているところを不意に見られると「???」って顔をされることがありますのでご注意ください。


テレビを見ながら、本を読みながら、お風呂に入りながら、トイレに入りながら…

どんなときでも構いませんので、日常生活の中に、できるだけ割り箸を噛む時間を取り入れてみてください。



以前から何度か話してきましたが、僕は以前、笑うことができませんでした。

セロトニン欠乏状態で、記憶と共に、感情が消えてしまっていたんですね。

もう、ホントに、何を目にしても笑えないの。

沢山の人が腹を抱えて笑っている芸人さんの漫才も、やたら馬鹿馬鹿しく見えるだけでね、ちっとも面白くない。

何をしても楽しくないし、嬉しくない。

そんな状態から僕が立ち直ることが出来たのは、抗うつ剤の力ではなく、雲さんからのアドバイスでした。

アドバイスはいくつかありましたが、その中で、具体的なものが二つありました。

それが、「寝起きの深呼吸」と「割り箸メソッド」だったんです。

深呼吸についてはまた別な機会に話すとして、割り箸の話に戻りましょうね。


その時ね、雲さんからこんな風に言われてたんですよ。

(  ̄Д ̄) 「面白くなくてもいい、顔だけでいいから笑っとけ。いや、むしろ、笑えない状況だからこそ笑え」

って。

でもね、その時はそれすらも難しかったんですよ。

人間の筋肉って、使わないでいると、想像以上に衰えるものでしてね。顔の筋肉もしかり、なんです。

僕が「笑えない」という期間が続くと、それに合わせて笑顔を作る筋力も衰えていました。

笑おうと思っても、笑えないの。作り笑いも作れないの。

で、

(  ̄Д ̄) 「じゃ、しばらく割り箸くわえてなよ」

ということに。



これがね、「笑顔のリハビリになるんだ」と、そう言うんですね。

実際にやってみるとわかるんですけど、確かにね、こうやって割り箸を噛むと、笑顔のときのように頬の筋肉がグッとあがるんですわ。


で、後日、この話の裏付けに出会ったんです。

それは、「感情と運動の関連」についての心理学実験・脳機能研究から発見されたものです。

僕たちは普段、「可笑しいから笑顔になる」「腹立たしいから眉間に皺が寄る」など、「感情があって、それに伴い運動に繋がる(『感情→表情』という流れ)」と感じているのですが、この逆(『表情→感情』という流れ)はありえるのか? という実験だったそうです。

その結果。「逆もあり得る」ということが分かったそうです。

つまり、「笑顔でいると楽しくなる」「不機嫌そうな顔をしているとイライラしだす」など、表情に伴った感情が現れてしまう、ということ。

だからね、気をつけないと。

僕らって、誰かに「自分がストレスを抱えている」という状況を知って欲しいがため、「わざと不機嫌そうな表情をして気を引こうとする」なんてことをしてしまいがちですが、それはあまりにもリスクが大きいんです。

自分で自分を苦しめる(自分のせいで気分を害す)ことになるし、さらには、それを切っ掛けに「不機嫌のループ」に突入してしまいかねない。

「怒りが、新たな怒りの矛先を探し出そうと動き出す」という感情主導の行動になってしまうんです。

逆に、面白くなくとも笑顔を継続することで、「ご機嫌のループ」に入ることが事が可能なんです。

最初は作り笑いでも、継続することで、徐々に本当の笑顔になっていきます。



「引き寄せの法則」の基本となるのは、「意識」です。

自分の意識の状態が「現実創造」に影響されるのですから、叶えたいものが何であろうと「笑顔」や「心の余裕」は大切な前提となります。


割り箸一本から出来る「笑顔のリハビリ」。

ぜひ一度お試しください。



【トークライブのお知らせ】

割り箸をくわえながら、お気軽にご参加ください。

雲黒斎講演会 in 福岡

【日時】 2012年2月11日(祝・土)14:00(開場 13:30)

【会場】 春日クローバープラザ 508研修室AB
   福岡県春日市原町3丁目1-7(JR春日駅すぐ)

【参加費】 お一人様3,000円

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←笑門福来 千客万来
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「進化」「成長」という罠

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あなたは今、何を求めていますか?

どんな夢を叶えたいと思っていますか?

才能、人望、素敵なパートナーとの出会い、妊娠、高度な運動能力、豊富な知識、的確な判断力、若さ、美貌、美声、健康、お金、肩書き、資格、笑いのセンス、ヒーリング能力、優雅な時間、神秘体験、賞賛、何事にも動揺しない心の強さ、不屈のモチベーション、目覚めた精神、チョメチョメ、それから……


本心では誰よりも優れたものを。でも、それはそれで大変そうだから、せめて人並み程度のものを。


ええ、僕にだって色々ありますよ。

僕の場合は……そうだなぁ、やっぱりね「何でもいいから褒められたい」っていう気持ちが強いかな。

褒めてもらえるなら、認めてもらえるなら、その要素は何だっていいんです。

「かっこいい!」とか、「すげー!なんでそんなことできるの!?」とか、「いいなぁ、うらやましいなぁ」とか、「本当にありがとう!」とか、「大好き!」とか、そんなこと言われたらもう、嬉しさを隠しきれません。

「いやいや、それほどでも」なんて言いながら謙遜してポーカーフェイスを気取っても、ついつい目尻が下がったり、口元に小栗旬ばりの「したりライン」が出てきちゃいます(笑)。


だからね、出来るだけ沢山の人にそう言ってもらえるように、アレが欲しいコレが欲しい、コレを向上させて、欠点は気づかれないように、もっと成長しなきゃ、精神を進化させなきゃ……って

そうやって、日々色んな気持ちが湧いてくるんです。それも、次から次から、止めどなく。

で、ふと我に返ると、そんな気持ちに翻弄されて、いつの間にかヘトヘトになっている自分に気づくんですね。

「あぁ、また性懲りもなく無理しちゃってたよ、俺」って。


もう気づいてはいるんですよ、この止めどない衝動を支えている原動力が何であるかは。

それはね、「自分で自分のことを認めてあげられていない」っていうことなんです。

これはホント、自分でも呆れるほど根深い思い込みです。

気づいても気づいても、薄れはすれど、無くなりはしません。


でもね、原因がわかってるから、何だかんだと欲に振り回されていても、以前と比べたら随分と楽チンなんです。

そして、対応の仕方も、以前とは全然違うんです。

その原因に気づけずにいたときはね、「なんとしてでも夢を叶えねば!」って、とにかく表層的な達成目指してまっしぐらだったんです。

本当は、自分のことを認めてあげたいんです。

でも、どうしても、自分がそんなに出来た人間だとは思えなかったんですね。

絶えず何かが欠落していたり、満たされていなかったり、誰かより劣っているように思えたり。

自分を認めてあげられていないから、自分で自分を認めてあげることができるよう、「これができたら、自分を褒めてあげられる」というハードルをわざわざ自分で用意して、それに向かって奮闘していたんです。

で、そこに用意されたハードルが、過酷であればあるほど、自分を褒めてあげられるような気がします。

人一倍過酷な道を進み切ることが出来たら、もっともっと、自分を褒めてあげられそうです。

だから、沢山の苦難を乗り越えてきた実績のあるあの人は、尊敬するに値し、さほど苦労をしていないように見える人のことは、どこか軽蔑しています。

自分が誰かを見下しているから、「自分も誰かに見下されるかもしれない」という不安が同時に存在しています。

だからこそ、自分は軽蔑されないよう、少なくとも、人並み程度のハードルは越えなければならないと、さらにしゃかりきになって。

で、「人並み」っていうのは「イメージ」ですからね。基準のようで基準になりません。

どれぐらいのハードルが「人並み」なのかは曖昧にしかわからないから、「とりあえずこのぐらいは頑張らなきゃいけないのかな?」なんていう目標を自分で立ててみたりもします。

で、せっかくそこに達成できても、「いや、こんなに簡単に達成できるのはおかしい、きっとハードルの高さが人並みじゃなかったんだ」って、もっと大変なハードルに置き換えてみたり。

で、様々なメディアの向こうでキラキラ輝いて見えるアーティストや著名人、アスリートたちは、「自分の好きな道をトコトン究める」というハードルを越えたヒーローに見えます。

「いいなぁ。でも僕には、そこまで熱中できるほど好きなものもないんだよなぁ」

そこで僕は「何かの犠牲になる」というハードルを用意したんですね。

勿論、「何の犠牲になろうかなぁ」なんて、真剣に考えていたわけじゃないですよ。振り返ってみると、無意識にそういうことになっていたのが分かるんです。

たとえばね、そう、「仕事」。

「お金を得る」ということが、いつのまにか「何かや誰かの犠牲になったことへのご褒美」みたいな意味になっていたんですね。

「懸命に働く」=「人一倍ストレスと向き合ってるんだから、もっとお金くれよ」みたいな(笑)。

で、そんな思い込みが出来てるから、「もっとお金を得るためには、さらにストレスを感じなきゃならないんじゃないだろうか」っていう、また別な思い込みが出来て、「お金は欲しいけど先にも進みたくない」みたいな、妙なジレンマに嵌ったり。

で、さらに。

そんな思い込みがあるから、関連してこんな思い込みが生まれていたんです。

『苦労して手に入れるお金は善、楽して手に入れたお金は悪(慎ましく生活する人は、きっといい人。お金持ちは、きっと悪い人)(でも人一倍の苦労をしてお金持ちになったなら、悪い人じゃないかも)』

そういう思い込みに縛られて、自分でわざわざ「お金は苦労と引き替えじゃないと受け取ってはいけないもの」にしてしまっていたんですね。

「引き寄せの法則」ならぬ、「引き寄せない法則(受け取らない法則)」を生きてたの。

ホントは欲しいのにね。自分の中に「欲しい」と「受け取れない(僕に受け取る資格はない)」が混在してて、どちらかというと「受け取れない」の比重が大きかったんです。



えーと……。で、何を話そうとしてたんだっけ?(笑)

そうそう、大元の原因は「自分で自分を認められない」っていうことなんだけど、その土台があると、ホントにもう、「こんな所にまで影響する!?」ってぐらい色んな所に歪みが出来て、どんどん「望んでいない現実」を作りあげることになっちゃうんです。

だからね、表層的な夢を叶えようとしゃかりきになっても、どうにも改善されないんですね。

「自分で自分を認められない」っていう根源を変えない限り、頑張れば頑張るほど悪循環に嵌ってしまいます。



「自分で自分を認める」ために必要なのは、実は「進化」や「成長」ではありません。

なぜなら「進化しなければ」「成長しなければ」という思いそのものが、いまの自分を認めてないからこそ生まれる発想だからです。


本当に必要なのは、「素の自分」をそのまま丸ごと認めてあげる、自分に対しての無償の愛です。

「これこれをクリアしたら愛してあげる」という条件を付けず、欠点も至らなさも丸ごと受け入れて愛してあげることです。

でも、長年「ありのままの自分」を否定し続けて来た自分は、なかなかそれを聞き入れてはくれません。

「至らない自分を受け入れるだって!? バカな事を言うな! そんなことをしたら、私の成長、進化の道が閉ざされてしまうじゃないか!これまでどれほど必死で歩いてきたと思ってるんだ!いままでの道のりも台無しになっちゃうじゃないか!」

って。


だからね、とってもへんな話なんですけど、自分で自分を愛すのは、すごく勇気がいるんです。




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福岡でのソロライブ、今回は東京で開催中の「月イチ☆」や「月刊アレ!」の連載でお話している事などを中心にお話してみたいと思っています。

初めての方もお一人様も、どうぞお気軽にご参加ください。

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←認めてもらえると安心します(笑)
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現実

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『そして今年は、その気づきを迎え入れる為の具体的な方法もお話したいと思っています』

前エントリにて、上記の様な事を書いてしまい、「本当に大丈夫?」となっている<低次の自分>こと黒斎です。こんばんは。


さて、唐突ではありますが、今日は「現実」というものを改めて考えてみたいと思います。


僕たちは日常生活を送っている中で、「いや、現実的に考えてさ…」なんて言葉を言ったり聞いたりしていますが、この「現実的に考えて」の「現実」って、一体なんですかね。

辞書では以下の通りでした。


*****

げん-じつ【現実】

いま目の前に事実として現れている事柄や状態。「夢と……」「……を直視する」「……に起きてしまった事故」

*****


「理想」の対義語や、「真実」と同じような感じで使われていることが多いように思います。


僕たちは皆、いま目の前に事実として現れている事柄や状態を「現実」と捉えて生活しています。

なのですが、あなたが「いま目の前に事実として現れている事柄や状態」は、本当に「現実」でしょうか。

実は、僕たちが普段「事実」や「現実」と捉えているもののほとんどは、個人的なフィルター(僕たち一人ひとりがこれまで生きてきた中で形成された、個人的な知識や思考回路)を通して歪められた世界「マトリックス」でしかありません。

僕たちは「現実、現実」と軽々しく口にしますが、実はこれっぽっちも現実をありのままに捉える事は出来ていません。

その可能性を認めて世界を見つめ直すと、徐々に世界の見え方が変わっていきます。


このこと、この調子のまま書いていくと、なんだかワケがわからない説明になってしまいそうなので、竹彩さんの「じゆうちょう」からあるネタをお借りして、ものっすごくユルい感じに変換してお話してみたいと思います。


こないだね、竹彩さんの「じゆうちょう」を何気に開いて見たら、こんなものを発見したんですよ。




ドン!


…お嬢さん、ドライモンて。

藤子不二雄の名作も、カラッカラに干からびそうになってるじゃないですか。


そこでね、突っ込んでみたんですよ。

( ̄д ̄;) 「竹彩、おまえ、カタカナの『エ』と『イ』を間違えて覚えているぞ(他にもツッコミどころはあるけれど)」

と。

そしたらね、竹彩さんは、

川*≧д≦)ノ 「間違ってないもん!ちゃんと習ったもん!」

と、全力で反発するんですね。

で、つづけて

川*≧д≦)ノ 「ドライモンはドライモンでしょ!」

と。


(;゜ Д゜) ……あ、書き間違いじゃなくて、そこから間違ってたんですね。


で、「もしや」と思って、こんな質問をしてみたんです。


( ̄д ̄;) 「なぁ竹彩、これ、なんて言うか知ってる?」

と、ここを指差して聞いてみたんですね。




そうしたら、自信満々でこう答えました。

川*≧▽≦)ノ 「ご機嫌ポケット!


(;゜ Д゜) やっぱり違ってた!


竹彩さんにとっては、「ドラえもんの四次元ポケット」ではなく、「ドライモンのご機嫌ポケット」だったわけです。


でも、それは彼女の中では、「間違い」ではないんですね。ましてや「問題」でもない。

「間違いである」という認識すらなく、それが彼女の「事実」「現実」としてそこにあったわけです。


で、さらに。

今度は雲さんから僕にツッコミが入ります。


(  ̄Д ̄) 『思い込みってのは、いろんな所に潜んでるよな。竹彩同様、お前もまた自分の思い込みで、いままさに目の前にある事実を歪んで捉えてしまっていたんだから』

( ̄д ̄ ) 「え? 僕も?」

(  ̄Д ̄) 『だってそうだろ。竹彩は「ドラえもん」を「ドライモン」と覚えていたということを前にして、お前は竹彩が「エとイを間違えて覚えている」と勝手に勘違いしていたんだから』

Σ( ̄д ̄;) 「あ…」

(  ̄Д ̄) 『思考は、いつだって事実に自分独自のストーリーを書き加える。そして、そうやって自分で事実に脚色していることにも気づかぬまま、その脚色を加えられたストーリーを「現実(事実・真実)」だと信じて疑わない。そこに明らかな間違いがあったとしても、それは「現実」として認識されている。これはこういう意味だ、とか、これはきっとこういう価値だ、とか、そういう思い込みがあるかぎり、ありのままを捉える事はできないと、何度も話しているじゃないか』


自分の思い込みに気づくのって、ホントに難しいですよね。

だって、「そうだっ」て、心底思い込んでるんだから。

自分の認識が間違ってるだなんて、疑ってもいないから。

自分の認識したいように、認識しようとしてしまうから。

知らないことも、自分の知識の範囲で知ろうとしてしまうから。



と、いうことで。

あなたの目の前にある現実は、本当に「真実」ですか?

あなたが認識している世界は、本当に「リアルな世界」ですか?

あなたが思っている「自分」は、本当に「あなたが思っているような自分」ですか?

あなたが思っている「あの人」は、本当に「あなたが思っているようなあの人」ですか?

あなたが思っている「あの価値」は、本当に「あなたが思っているような価値」ですか?

あなたが思っている「あの出来事の意味」は、本当に「あなたが思っているようなあの出来事の意味」ですか?


「もしかしたら、私の認識は間違っているのかもしれない、歪んでいるのかもしれない」

その可能性を認めたとき、初めて「気づきの扉」が開きます。

しかし、その可能性を認めることは、とても屈辱的なことです。

だからこそ多くの人は、あらゆる思い込みや決めつけを手放したがりません。

「私はこういう人間である」「あいつはああいうヤツなんだ」「これはこういうことなんだ」「こういう現実が目の前にあるのだから、私は怒りを持って当然なんだ」「こんなことが起きたのだから、私は悲しんで当たり前なんだ」

そうやって、それがどんなに自分を苦しめるものであろうと、嫌な気分にさせるものであろうと、握り締め続けてしまいます。


でも、自分の認識を疑うという屈辱をあえて選択し、「気づきの扉」の向こうに出れば、そこには「ドライモンのご機嫌ポケット」が待っています。(←無理やりなオチの付け方ですが何か?)




【トークライブのお知らせ】

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初めての方もお一人様も、どうぞお気軽にご参加ください。

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←僕と同じように、かつて「LUPIN THE THIRD」を「ルパンでさぁ」だと思っていたあなたは必須
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