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キーワード

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えーと…

そろそろ続きを書いてもいい?


以前もこういった話題に触れたとき、同じような状況でしたよね。

この先がとっても重要なんだけど…


とりあえず、これまでも何度か書いてきたことですが、改めてこのブログのスタンスをお話させていただきます。

ここは、アナタになんらかの「答え」を提供する場ではありません。

僕の体験したことを情報化して配信することを目指しているのではなく、その同じ体験を、皆さん自身で経験していただく為の「切っ掛け」、経験を促す為の様々な「キーワード」を提供することを目的としています。

当初のトーンで表現するなら、守護霊から受け取ったメッセージを発表することに主眼を向けたモノではなく、皆さん自身が守護霊とコンタクト出来るよう、その切っ掛けを促すことを目的としています。

ですから、「自分で経験するなんて、そんな面倒なことなんてしたくない。何が起こるのかわからない、不確かなものを追い求めるなんてまっぴら。そんなことより、いま自分が知りたい答えをピンポイントで提供して欲しい。」という方のご要望にお応えできるものではありません。

また、そういった方にとっては、この先も、僕が投稿する記事に「考えてみましょう」ですとか「実際にチャレンジしてみましょう」という要素が増えるにつれ、「読み物」としての面白さは下降線を辿ることになると思います。

しかしながら、これまで僕の投げかけに興味をもっていただき、いくつかの「気付き」を実際に経験できている方であれば、さらに面白くなっていくと思います。


『私は誰か。自己とは何か。』

これは、神様が僕たちにプレゼントしてくれた「究極のゲーム」を解くためのキーワードです。

何せ神様が用意したゲームですから、(知識ではなく、体験としての)クリアの末にあるのは、アナタの想像を遙かに超えたリウォード(報酬・ご褒美)です。

賞品は、「マトリックスから抜け出し、リアルワールドへ入る為のパスポート」。

このゲームに参加するのも、先延ばしにするのも、アナタの自由意思です。


また、このゲームを進めるにあたり、このブログが必ず必要になるというものでもありません。

プレイの仕方も、ヒントの探し方も、人それぞれですから。

ただ、僕はこのゲームに一足先に参加した一人として、これまでクリアしてきたステージの攻略法を知っていますので、僕の知っている範囲でのヒントやキーワードを提供する事が出来ます。

でも、アナタの代わりにゲームを代行プレイすることはありません。

それでは、せっかくの楽しみやクリア時の喜びをアナタから奪ってしまうことになってしまいますから。


僕がここに用意した攻略法を信用するか否かもあなた次第です。

クリアの仕方は人それぞれです。

僕がお話するヒントでクリアできる人もいれば、余計混乱してしまう人もいるでしょう。


これまで、沢山の方から何度も書き込まれてきたコメントの一つ。

「このブログに意味はあるのか」

その答えは、このブログにではなく、アナタ自身にあります。

もちろん僕は、その重要な意味を出来るだけ受け取っていただけるよう、日々工夫しながら綴っています。

どんなにふざけたものであれ、僕はいつだって誠実に書いています。

沢山の方々に受け取っていただけるよう、色々な方向・トーン・表現方法を模索しています。

しかしながら、僕はどんなに頑張っても、僕が書けるようにしか書くことが出来ません。

それを意味あるものにできるか否かは、僕ではなく、あなたの側にあるんです。

ですから、僕を信用するかしないかも、アナタ次第です。

信用できないのであればあるほど、そこに「意味」を見出す事は困難を極めます。

また、信用したからといって、必ずクリアに行き着けるという保証がある話でもありません。

それは、このゲームの仕組み自体がそうなっているから、どうにもできないことなんです。


ゲームの仕組みは「アハ体験」と同じ構造です。

「ひらめき」や「気付き」はいつ起こるか予測できないし、コントロールも出来ない代物です。

人生を覆す「究極のアハ体験」。それがこのゲームです。


このブログの意味を、この「アハ体験」を例にとって御説明してみましょう。


皆さんは「アハ・センテンス」をご存じでしょうか?(以前ご紹介した茂木健一郎さんの著書「ひらめき脳」をご覧になられた方ならすでにご存じだと思います。)

これは「言葉としては成立しているのに、その意味が一向にわからない、という文章(センテンス)」のことを指しています。

例えば、こんな具合

『時速20キロで走っている友人と、時速10キロで走りながら会話した。』

どうでしょう。

これだけを見ても、どういう状況か分からないと思います。

でも、この釈然としない文章に対して、ある「キーワード」を与えると、「気付き」が生まれるんです。

上記のセンテンスに対するキーワードは「スポーツジム」です。

どうです?ひらめきました?

そう、二人は「ルームランナーでトレーニングしながら話していた」という「明確な意味」が見えてきます。


もう一つ、同じく「ひらめき脳」から転載してみます。

『布が破れると、藁(わら)の山が重要になる。』

どうでしょう?

どういう事かわかりますか?

キーワードは「パラシュート」です。

すると、「パラシュートの布が破れた状態で着陸しなければならなくなった場合、藁の山に降りられるかどうかが命の分かれ目になる」という意味が、同じ文章から浮かび上がります。

同じ文章を見ていても、キーワードを掴んだか否かで、見え方も意味もまったく変わってしまいます。


このブログは、この「キーワード」に位置するものです。

最終最後のひらめきに行き着くまでのキーワードを、あらゆる角度から発信することを目指しています。

僕たちが神様から出題された「言葉なきアハ・センテンス」を解くキーワードは、精神世界や宗教などで良く言われるものです。

例えば、

「全ては一つ」とか

「自分はいない」とか

「時間も空間も幻想」とか。

その問題をとくキーワードを、僕は綴り続けています。


ちなみに、阿部さんを始め多くの「クリア経験者」が一様に提示するキーワードが「いまここ」や「あるがまま」。

ただし、これらのキーワードも、さらに「アハ・センテンス」となってしまっているのでややこしいんです。


えー…

そんなこんなで…

お付き合いいただける方は、今後ともよろしくお願いいたします。



←このブログを応援するか否かは、やはりご覧の皆様が決めることです。僕はお願いすることは出来ても、コントロールすることはできません。

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反射代名詞

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思考も、感情も、感覚も、行動も、新陳代謝も、生理現象も、記憶も、予測も、希望も、失望も、わたしの全ては脳がコントロールしている。

結局は、身も心も、「脳」がコントロールしているじゃないか。

だから、「自分」とは、この「脳」のことなのだ。

と、考えた場合…

その「脳(自分)」をコントロールしているのは誰なのか。


母親の胎内で成長を続ける胎児の脳は、脳として機能できるまでの過程は誰なのか。

「自分」なのか。「母」なのか。


生まれたての子に、「自分」という意識は、あるのか、ないのか。


「自分」という、自と他を分ける「分離意識」は、いつ、どこで生まれたものなのか。

いつから「わたし」は「わたし」になったのか。

逆に、「わたし」は、どうすれば「わたし」でなくなることができるのか。

「わたし」が「わたし」でなくなったとしたら、そのとき「自分」は何なのか。






さて。

上記の問いかけの意味、通じますか?



←さて、このボタンの意味、通じますか?

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データベース

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結局ね、「目覚めている」ってどんなことかと言うと、「今を完全に受け入れられている」っていう状態なワケですよ。

それがどんな内容であれ、「現状を受け入れられない」という“自分のあり方”が「苦(ストレス)」なワケだから。


目の前にある現状を受け入れられないということは、必然的に思考(意識)が「今」ではないどこか、「ここ」ではないどこかに向かうことになります。

「あの時、ああだったら良かったのに…」という後悔は「過去」、「もっと、こうならなければ…」と、何かを追い求めているのであれば「未来」に縛られます。

過ぎ去ってしまった過去の出来事を変えようだとか、いまの自分には何かが欠けているから、その穴を埋めなければならないという努力は、「新たな苦」へと変貌します。

過去の出来事は変えることが出来ません。出来ないからこそ「思い通りにならない」という苦しみを生み、「現状を受け入れられない」という出発点に戻ってしまいます。

変えられるのは「出来事の意味をどう捉えるか」という「今の自分のあり方」だけです。

「未来」もコレと同じです。

「現状ではダメだ」という思考がベースとなり「今」から目を背けている以上、欠乏感が無くなることはありません。

「満足」とは「いまを良しとする」という以外の何ものでもないからです。


覚者とは、優れている人のことではありません。偉大な人のことでもありません。感情の起伏がない人でもありません。

完全に、今を受け入れることができている人のことです。


では逆に、なぜ凡夫は「いま」を受け入れることが出来ないのでしょうか。

その理由は、頭の中にある「データベース」のせいなのです。


脳は、経験をある程度蓄えると、新しいモノを受け入れなくなっていく傾向があります。

いま感じている「体感」を、そのまま新たな情報として取り入れるのではなく、過去にあった「似たような状況」を検索し、比較・分類し、データベースを整理しようとします。

新旧の情報を照らし合わせ、合致出来た情報だけを受け入れ、認識範囲を超えてしまった新たな情報は切り捨ててしまうんです。


例えば、お母さんが作ってくれる、お味噌汁の味。

同じお母さんが作るお味噌汁でも、厳密には日によって味が異なっているはず。

「まったく同じ味」を再現することは不可能なんです。

プロの料理でも同じです。

同じ店の同じメニューでも、「まったく同じ味」を再現することはできません。

「因」と「縁」が、以前と今では、まるっきり変わってしまっているからです。

それでも「同じ味」として認識してしまうのは、「いま得た味覚」ではなく、「データベース(味の記憶)を頼りにした味覚」で味わっているからです。

フレッシュなはずの情報が、蓄積されたデータベースによって、古い情報に書き換えられてしまっているんです。


何か新しい行動を起こすときも、データベースを検索し、シミュレーションが行われます。

でも、シミュレーションはあくまでもシミュレーションであり、真実ではありません。

以前出来なかった事が、今は出来るかもしれません。逆に、昔出来ていたことが、今は出来なくなっているかもしれません。


その「データベース」のことを「固定観念」って言うんだけどね、コレがあればあるほど、結果自分が苦しむことになるんです。


固定観念をスッパリ捨てて、新鮮な情報は新鮮なまま、過去のデータと比較・分類することなく素直に受け取ることができること。

それが「今を受け入れる」ってことなんです。

そこにはもう「いい」も「悪い」もないんです。

だって、「いい」とか「悪い」って捉えるためには、何かと「比較」しなくちゃならないでしょ。

比較するデータを持ち出さなければ、その情報はオンリーワン(あるがまま)でいられるわけです。



←諸行無常

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受容

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前回記事のコメント欄で、こんなご質問をいただきました。


*****

相手からのネガティブなエネルギーから自分を守るためには、どのような方法が有効でしょうか?

怒りでいっぱいになった夫が会社から帰宅して、帰ってくるなり私に怒りをぶつけます。

たまりません。

夫の被害妄想が原因だとわかっているし、どれだけ苦しんでいるかを思うと、怒らず理解しようとしていますが、その後何日かはわたしの気分も晴れません。

夫の怒りの波動が私に伝染しているのがわかりますが

よくスピリチュアルな方法で、例えば、何色の光で自分を包む・・の様なことも試みていますが、
今ひとつ、効果の程が実感できません。

*****



うんうん。良く分かります。

かく言う僕も、会社帰りは色んなもの抱えて帰宅するらしく、家に着くなり妻から煙たがられるダンナの一人ですから。あはは…。

そんな僕が答えるっていうのもなんなんで、久々にこの方にでも登場してもらいますか。リクエストも多いし。


…ってことで。


∠( ̄д ̄ ) 「雲さ~~~ん!」

(  ̄Д ̄)ノ 『おうっ!毎度!』

( ̄д ̄ ) 「ネガティブなエネルギーがら自分を守るためには、どのような方法が有効かって話なんだけど。」

(  ̄Д ̄) 『うん。』

( ̄д ̄ ) 「どうなの?」

(  ̄Д ̄) 『結局はね、最終的な解決方法は、自分自身が目覚めることだと思うよ。』

( ̄д ̄ ) 「どういうこと?」

(  ̄Д ̄) 『前にさ、“酔っぱらい”の例えで話をしたことがあったでしょ。』

( ̄д ̄ ) 「ありましたね。(過去記事「酔っぱらい」シリーズをご参照ください。)」

(  ̄Д ̄) 『今回の質問を、そのままこの例えで置き換えてみようよ。』


*****

「怒りでいっぱいになった夫が会社から帰宅して、帰ってくるなり私に怒りをぶつけます。たまりません。」

   ↓ 変換

「お酒で酔っぱらいになった夫が会社から帰宅して、帰ってくるなり私にお酒を呑ませます。たまりません。」

*****


(  ̄Д ̄) 『誰かの「怒りをぶつけてくる」という行為を「お酌をしてくる」と考えてみよう。「怒りに対して怒りで反応する」ということは、「お酌を受け入れ自分も一緒に酔い、さらにご返杯する」ということと同じだ。怒り(お酒)に対して怒り(お酒)で返すと、相手はさらに怒る(酔う)。』

( ̄д ̄ ) 「なるほど。」

(  ̄Д ̄) 『酔っぱらいを介抱するには、まず自分が醒めていることが一番。冷静に対応できるし、対処も的確に行えるでしょ。相手が「執拗に怒り続ける」ということは、例えるなら「へべれけに酔っぱらっているのに、まだ吞み続けようとしている」ということ。まず、酔いを止めてあげたいのであれば、これ以上お酒を呑まないようにしてあげることが大事になるよね。』

( ̄д ̄ ) 「具体的にはどうしたらいい?」

(  ̄Д ̄) 『それは一概には答えられない。相手の状況によるよ。酔っぱらいにもいろいろいるだろ?こっちも一緒に呑んであげているふりをして、徐々になだめる事がいいこともあるし、強制的にお酒を取り上げるのが効果的な場合だってある。状況を見ながら創意工夫して対応しなきゃ。だからこそ、介抱する側はシラフでいないとね。ただ、ハッキリいえることは、自分が醒めていれば醒めているほど、そこにはアルコールがなくなるということだから、相手にこれ以上アルコールを摂取させないことが出来るよね。』

( ̄д ̄ ) 「そうかぁ…」

(  ̄Д ̄) 『あとは…』

( ̄д ̄ ) 「あとは?」

(  ̄Д ̄) 『愛だね。』

( ̄д ̄ ) 「愛?」

(  ̄Д ̄) 『その酔っぱらいを介抱してあげたいと思えるか否か。酔っぱらいを受け入れることができるか否か。ここにきて「受け入れる」というキーワードの重要さが出てくるんだ。』

( ̄д ̄ ) 「と言うと?」

(  ̄Д ̄) 『もし、だよ。夫婦間の絆において「酔っぱらっているあなたは許せない」という想いがあるのなら、それは厳密には「愛」じゃなくて「取引」なんだ。「こういう条件を満たしていなければ、私はあなたをパートナーとして受け入れない」という絆なら「取引」だよね。そこに本当の愛があるのなら「受け入れるための条件」は無いはずなんだ。そして…』

( ̄д ̄ ) 「そして?」

(  ̄Д ̄) 『人間は「相手を受け入れるための条件」を自分の中に作るそのことによって、自分自身を苦しめることになってしまうんだよ。』

( ̄д ̄;) 「?」

(  ̄Д ̄) 『例えパートナーが酔っぱらっていても、その相手を「キライ」と思うか「可哀想」と思うか「愛おしい」と思うかは自分次第だろ? だから、相手を受け入れるための条件が厳しくなればなるほど、自分にとって「受け入れがたい現実」を膨らませてしまうんだよ。「夫とはかくあるべき」とか「妻とは、子供とはこうあるべき」とか、「会社員とはこうあるべき」とか「政治家とはこうでなければならない」とか「学生だからこれはしてはならない」とか、そういう役割や肩書きに「受け入れルール」を作るから窮屈な人生になるんだよ。人間は「夫」にも「妻」にも「子供」にも「会社員」にも「政治家」にも「学生」にもなれない。本当は「その人自身」でしかいられない。』

( ̄д ̄ ) 「ふむふむ。」

(  ̄Д ̄) 『ここで気付かないか?』

( ̄д ̄ ) 「へ?何に?」

(; ̄Д ̄) 『自分が「愛」でいられれば(全てを受け入れる事が出来たなら)、そこにはもう「苦悩」が無くなっているんだ。だって、そこにはもう「何かを拒否する理由」がないのだから。「現状を受け入れがたい」という抵抗が無いということは、そこにはストレスが無いとうことだ。あらゆる事を受け入れることができるようになればなるほど、自分が救われていくことに繋がるんだよ。「許す」と言うことの本当の意味はそこにあるんだ。「許し」は「相手の上位に立って大目にみること」じゃない。「自分自身を自縄自縛の苦しみから救うこと」なんだ。わかるかい?』

( ̄д ̄;) 「わかった。…と言いたいところだけど、じゃぁなんでもかんでも許せるかというと、正直許せないこともたくさんある。だから、わかっていないんだろうね。」



←押してくれない人も受け入れます。(でも、押してほしいです。)

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場の空気

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(今回のお話は、特に科学的な根拠と照らし合わせたものではなく、あくまで仮説です。)


先日ね、「脳波は外界のリズムとシンクロする性質がある」ってお話をしたじゃないですか。

それを踏まえてね、その「外界のリズム」に人間の脳波も含まれるんじゃないかって思うんですよ。


なんて説明すればいいのかな…

例えばね、周りにイライラした人がいたりすると、自分までイライラしちゃったりとか、ないですか?

あるレストランで、ものすごく優しい気持ちで家族団らんを楽しんでいたのに、何があったのかは分からないけど、店員さんにブチ切れして、声を張り上げて怒っている人を目撃した途端、優しい気持ちが吹っ飛んで、「何あの人!せっかく楽しい気分で食事してたのに!こんな所で声を張り上げるなんて、マナーがなっていないっ!」って、すっかり自分にも「怒り」が伝染してるの。

あと、凄く気持ちが落ち込んでいたんだけど、元気な人たちに囲まれていたらすっかり元気になっちゃったり、逆に、ものすごく元気だったのに、鬱々とした人たちに囲まれていたら、何だか自分まで意気消沈してしまったり。

感情や意識状態が、自分の意思とは別にシンクロしちゃう(伝染しちゃう)ってこと、ありますよね。

よく「その場の空気」みたいな表現をされることがあるけど、これ、単に「状況」とか「環境」とかだけじゃなくて、なんだか「その場の波動」的なものがあるんじゃないかと思うんです。


で、どんな分野でも「影響力のある人」と評される方々に共通しているように思うのは、「その場の空気を変えられる力のある人」だと思うんですよ。

別に何をするワケじゃないけど、そこに居るだけで場がパッと明るくなったり、グッと力がみなぎってきたり、逆にドヨヨ~ンと沈んじゃったり。

そんな人っているよね?


どうしてそういうことが起こるのかという科学的な根拠は僕にはよくわからないけど、でも、現にそういうことは起きているわけだから、それを利用しない手はないと思うんです。


で、何を言いたいかと言うとね、実は「瞑想」の話なの。

瞑想もね、コレと同じように、「場の空気」が大事なんじゃないかって思うんですよ。

だから、「瞑想ってなに?どうすればいいの?」っていう状態の人でも、瞑想の達人と一緒に座禅してみたら、スッと入れるんじゃないかと思うんです。


「気付き」についても同じでね、それまでいくらウンウン唸って考えてもわからなかったのに、覚醒している人の傍に居たら、フッと気付いちゃったり。

そんなことって、あると思うんです。

阿部さんの「いまここ塾」に行ったことのある人なら納得できると思うんだけど、あの場にいると、「あっ!なるほど!!」っていう嬉しい気付きがものすごく多いんです。

でも、会場から離れて、電車に乗った途端に、「あれ?さっきはものすごく『わかった!!』って思ってたのに、また何だかこんがらがってきた…」

なんて経験、ありませんか?


そんなこんなで…

「キャンプ」に続く、θオシレーションを掴むコツ・その2は、「目覚めている人の傍にいる」です。



←空気をかえよう。

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