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校則.2

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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『モーセの十戒』はご存じでしょうか。

まぁ、有名ですから、キリスト教徒であろうとなかろうと、一度は耳にしたことはあるかと思います。

一 汝、我のほか何物も神とすべからず
二 汝、己の為に偶像を刻むべからず
三 汝、主の名を濫りに唱うべからず
四 汝、安息日を覚えて聖とすべし
五 汝、父母を敬うべし
六 汝、殺すべからず
七 汝、姦淫すべからず
八 汝、盗むべからず
九 汝、隣人に関し偽証すべからず
十 汝、隣人の妻・財産を貪るべからず


仏教にも、似たような『五戒』というものがありますね。

一 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物を殺してはいけない。
二 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 他人のものを盗んではいけない。
三 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。
四 不妄語戒(ふもうごかい) うそをついてはいけない。
五 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではいけない。


凄く近いと言うか、似てると言うか… 数は違えど結局は言ってることほとんど同じですよね。

ってことで、なんとなく

( ̄д ̄ ) 「これが宇宙立この世学院の校則なんじゃないの?」

みたいに思ってたんですけどね、例のオッサンとやり取りを続けていると、

(  ̄Д ̄) 『違うよ。』

なんて言われて戸惑うわけですよ。


(  ̄Д ̄) 『そもそも宇宙立この世学院に校則はない。』

( ̄д ̄;) 「ないの?」

(  ̄Д ̄) 『ないよ。』

( ̄д ̄;) 「なんで?」

(  ̄Д ̄) 『なしても。』

( ̄д ̄;) …

(  ̄Д ̄) 『何か問題でも?』

( ̄д ̄;) 「じゃあ、モーセの十戒とか、仏教の五戒とか、あれ何?」

(  ̄Д ̄) 『あれは「校則」ではないよ。課題に対する「解答」の一つだ。』

Σ( ̄д ̄;) ぁ

(  ̄Д ̄) 『気付いたかい?この世学院での課題は「善とは何か」を学ぶことだった。だとしたら、「あれをしろ、これをするな」と予め教えられていたらおかしいじゃないか。「何を為し、何を為さないか」を選ぶのは自分だ。その学び場がこの世だ。だからこそ、この学校に校則はない。』

( ̄д ̄;) 「なるほど…」

(  ̄Д ̄) 『モーセはね、戒律を述べたのではないんだよ。』

( ̄д ̄ ) ふむふむ

(  ̄Д ̄) 『訳し方・伝わり方が違ってるんだ。「十戒」とは、後に他者が当てた言葉だよ。原語のヘブライ語では、単に「十の言葉」となるんだ。だから、もともと戒律・規則を語っているわけではない。「汝、殺すべからず」なんかも訳し方が違う。ヘブライ語を直訳すれば「殺してはいけない」ではなく、「あなたは殺さない」となる。つまり、これは命令や強制ではなく、「あなたに限って、人を殺すはずがない」という、自発的な行いを促した言葉なんだ。いわずもがな、他の言葉もそうだよ、「あなたに限って、道義に背いたセックスを望むはずがない」「まさかまさか。あなたに限って、盗むはずはない」ってね。ホントはそういうニュアンスなんだ。』

( ̄д ̄ ) へー

(  ̄Д ̄) 『宇宙立この世学院の校訓は「自由」だ。「自由に善を学べ」と言っている学校が、「~すべからず」「~べし」なんて命令・強制していたらナンセンスだろ。生徒自身が自分で答えを導き出す前に「これが悪だ、これが善だ」と押しつけることになるんだから。』



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