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本日発売!

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※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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レストランで毎日会う人がいてね。

「なんであなたは毎晩レストランで食事してるんですか?」って聞いたら

「いや、女房が食事を作らないもんだから……」って。

「ああ、そうですか。こっちは女房が食事を作るから」ってのもなんですけどね、


まぁその人が食事の前にね、ウイスキーをショットグラスで二つとるの。

それでこう交互に、飲んでる。

毎日やってるから気になってね。


「あの、お客さん、失礼ですがお伺いしてよろしいですか?」

「え? どうぞどうぞ。なに?」

「お客さん、いつもグラス二つ注文されて交互にお飲みになってますけど、アレ何かワケがあるんですか? いや、差し障りがあるなら無理にとは言いませんが」

「いやいや、差し障りなんて何も無いよ。むしろ聞いてくれて嬉しい。

実は僕の友達、本当の親友、お互いに愚痴ったり、夢を語ったり。酒が好きなヤツでね。

で、ヤツと毎晩飲んでたんだけど、遠いとこ行っちゃったんだ。

いや、死んだってことじゃないよ。遠い国に行ってね、当分会えないだろう。

きっとヤツもいまごろ俺のことを思って、そこで飲んでるんじゃないかと思ってね。俺も彼のことを思う。

で、彼と二人で飲んでいるということの証のために、こうして二つ頼んでるんですよ」

「いい話ですね」

「いや、照れるね~」

なんてことをね。


で、しばらくするとその客が「今日は一つでいいよ」と。

その翌日も「今日も一つ」。そのまた翌日も「一つ」。

で、一つがずっと続いたの。

これ気になるね。


「お客さん、たしかいつも二つおとりになってた方ですよね」

「うん? そうそう」

「それはなぜかとワケを聞いた時、お酒が好きなお知り合いの方が遠い国に行かれて、それでいつも一緒に飲んでたのが飲めない、で、お互いがお互いを思って、二つ頼んで、二人で飲んでると……」

「うん、そうそう」

「それがこの、ここんところ、ずっと一つですよね」

「うん」

「失礼ですが、お友達に何かあったんですか。怪我をなされたとか、病気になったとか、失礼ですがお亡くなりになったりとか。そういうことですか?」

「え? いやいやいや。俺が禁酒しただけだよ」



(立川談志:ある日の落語のまくらにて)




いや~、まさか談志師匠とかぶるとはね。びっくりですよ。

コメント欄にツイッター、出張から帰宅後、妻からふられた話題もそのことでした。

結構な反響だったものですから、「雲 黒斎」というそのキーワードから、これまでまったく繋がりのなかった方々からのアクセスがどっと増えたりとか、そういうことが……

なんてことを思いながら就寝し、今朝起きてからアクセス解析ログを確認しました。


……はい、いつもと変わらぬ朝を迎えた黒斎です。

おはようございます。(ポーカーフェイスで)


さて、そういう感じで迎えた本日、11月25日(金)は、

阿雲の呼吸DVD第二弾、『降参のススメ』の発売日でございます!




アマゾンでご予約いただいていた皆様にも、本日お手元に届くことと思います。

なぜか「お笑い部門」にランキングされたこのライブ、お楽しみ頂ければ幸いです。

そうそう、プレゼントキャンペーンもございますので、こちらもどしどしご応募ください。

また、全国の書店さんでも、取り扱いが始まりますので、是非、よろしくお願い致します!


それと、お知らせがもう一つ。

同じく、本日発売となった季刊誌「スターピープル(39号)」に、原稿を入れさせて頂きました。




「アセンションのコペルニクス的転回」という今回のテーマに合わせて、色々な方がアセンション関連のお話を寄せておりまして、その中の一人として、参加させていただいてます。

また、この号の巻頭特集は「レナード・ジェイコブソン×阿部敏郎」対談インタビュー。

ご興味をお寄せ頂きましたなら、こちらもよろしくお願いいたします。


あ、それと。

昨日ツイートしたんですけども、「月刊アレ!」の12月号も昨日配信開始となりましたので、こちらも合わせてよろしくお願いします。



といったところで、いつもの如く〆切の迫っている執筆作業に戻りますです。

よっしゃ。(談志師匠チックにヘアバンドを巻きながら)



←孤高の落語家、談志師匠のご冥福をお祈り致します。
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明日の札幌ソロライブの件

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明日開催の「あの世に聞いた、この世の仕組み in 札幌」についてのお知らせです。


本日数名の方からお問い合わせをいただいて気づいたのですが、チケットの販売をお願いしている「イープラス」の登録時に入力をミスっていたようで、昨日の時点で受付が終了していたそうです。

あっれ~?

当日券(前売りと同額)対応の設定もしていたつもりになっていたのですが、なっていませんでした……。

まだお席には余裕がございますので、予定通り当日対応をさせていただきます。


もし、「明日のライブに行ってみたいけど、チケットを購入してなかったし…」という方がいらっしゃいましたら、会場にて受付させていただきますので、会場(札幌市教育文化会館 研修室301)入口にてお声がけください。

よろしくお願い致します。( ̄Д ̄)ゞ



それでは明日、札幌でお会いしましょう!



←札幌で会えないアナタは、夢でお会いしましょう。(白い歯を爽やかに輝かせながら)
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フラクタル

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フラクタル(仏:fractale)は、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロ (Benoît Mandelbrot) が導入した幾何学の概念。図形の部分と全体が自己相似になっているものなどをいう。

Wikipediaより



それは、夢駆さん&まるの日さんと、王子にてトークライブをしたときのこと。

ライブ終了後、ある男性が話しかけてくれました。


「さっき黒斎さんがお話してくれた『風船とホースの例え』、あれ、まるで『マンデルブロ集合』みたいですね」って。


「図形の部分と全体が自己相似になっている」

フラクタルを解説するその言葉と、「神は自らの御姿に似せて人をつくりし給ふ」という言葉が、妙に重なった出来事でした。




【トークライブ・インフォメーション】


札幌ソロライブ。いよいよ来週です!

◎11月23日(水・祝) 札幌ソロライブ
 ※携帯からお申し込みの方は【こちら】

◎12月3日(土)阿雲の呼吸 in 東京(Thank you! Sold out!)
◎12月4日(日)阿雲の呼吸 in 大阪(Thank you! 第一部 Sold out!)


第一部『EGO~偽の自分のメカニズム~』
第二部『他言無用の禁断トーク』

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←今日はつぶやきのみ、です。
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鬱積

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昨日のエントリの補足程度に……と呟いてみたら、思いの外長文になっちゃった。

で、それなりに反響もあったようなので、せっかくなので、昨日の呟きに加筆して、こちらにまとめてみたいと思います。

tweetをまとめたものなので、いつもより断定的な物言いとなっています。

人によってはその文体に、高圧的な印象を受けるかもしれませんが、あんまり気にしないでください。

では。


……………


怒りや悲しみなどの感情は、抑えてはいけません。

抑制や我慢によって感情を抑えると、その感情は消化されることなく、歪んだカタチでそのまま心に蓄積されてしまいます。

いわば、「感情の冷凍保存」とでもいうような状態です。

そして、知らず知らずのうちに鬱積され、巨大化したそれらの感情はいずれ何かを切っ掛けに大爆発を起こしてしまいます。

そのエネルギーが外側に向けば「攻撃」となり、内側に向けば「自傷」となります。

感情は外界からもたらされるものではなく、僕たちの内側にすでに蓄積されているものです。

そしてその蓄積には、いわゆる今生で積み上げられたものだけではなく、過去世から引き継いでいるものも多々あります。

ただしそれは、多くの方が信じている過去世の考え方、「永続する個的魂」として引き継がれたものではなく、実際は、現在保有している「自分」という感覚とはまったく関連のない、いわば「赤の他人」の記憶(未練)の継承です。

また、これまでお話してきた通り、「個人」という分離意識自体が錯覚であるため(本来は一つの同じものであるため)、「個人が所有してる感情」や「私のカルマ」などといった観念もすべて錯覚です。

感情もカルマも、生命エネルギー同様、我々が共有しているものです。

「誰かにあって、誰かにない」、という性質のものではありません。

その影響を多く受ける状態にあるか否か、という違いです。

いわゆる「目覚め」や「さとり」と呼ばれる状態は、僕たちの中に鬱積されていた膨大な記憶のエネルギーが一気に放出され、歪んだ感情エネルギーの影響を受けづらくなったものです。


僕たちの前に日々現れる、一見不都合な出来事の数々。

それらは、僕たちの心の奥深くに蓄積している、それらの感情の存在を思い出させてくれる「スイッチ」や「サイン」なのです。

その切っ掛けに反応して出てくる感情の多くは、劣等感や罪悪感、恨みや後悔などと呼ばれている記憶と連動しているため、僕たちにとっては、決して心地のよいエネルギーではありません。

そのエネルギーと向き合うことが不快であるため、多くの人はそれに触れないよう、そのまま冷凍させて心の奥底に隠してしまうのです。


そのようにして僕たちの顕在意識は、心の奥底に隠した感情を見ないように努力しますが、潜在意識では、溜まりに溜まったそれら(未消化の感情)の解放を求めています。

怒りや悲しみは、ある日突然僕たちの外側からもたらされるのではなく、潜在意識が、日々それらを解放する切っ掛け・口実を探している、という状態にあります。

僕たちは普段、それらと向き合うことから逃げてしまいがちですが、「感じる」ということを通して、はじめて消化・解放されます。

泣きたいときは思いっきり泣き、怒りたいときは真剣に怒る。

ただしそれは、そのエネルギーを何かにぶつけることとは違います。

僕たちにとってその「現実」がどのように認識されていようとも、その感情があるのは、実は、誰かや何かのせいではないのです。

その感情の原因を探し、誰かや何かになすりつけることは、「感じる」ということを拒んでいる状態です。

それは決して「怒りや悲しみの発散」とはならず、「エネルギーに対しての抵抗反応」をしているにすぎません。

「感じる」というのは、その存在を受け入れるという自己処理であり、いわば「味わい」に近いものです。


また、いわゆる「引き寄せの法則」は、顕在意識ではなく、潜在意識によって発動されるものです。

つまり、怒りや悲しみなどのエネルギーの蓄積があれば、潜在意識はそれらの解放を求めて、一見不都合と思える事象を現象化させてしまうのです。

不都合な出来事によってその存在を知らしめられたエネルギーが、解消されずにそのまま心の中に残っていると、僕たちの潜在意識は何度でも解放を求め、繰り返し「サイン」を送り続けます。

内在していた怒りや悲しみが湧き出てきたときは、それが出てきた切っ掛けの側を責めるのではなく、自分が本来隔離、保有していたものだという認識のもとで、それらのエネルギーを「感じきる」ということを心がけましょう。

冷凍保存されていた数々の感情が解放されるたびに、僕たちはそれらのエネルギーの影響を受けづらい状態になっていきます。



《おまけ》
もうひとつのどうでもいいtweet。


ユンソナとコンソメの間で揺れる微妙な感じ。






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←何度でもクリックを求め、繰り返し「サイン」を送り続けます。
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座禅和讃

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【白隠禅師座禅和讃】

衆生本来仏なり
水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき

夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし

況や自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり



【ゆるゆる現代語訳】

ホントはみんな、最初っから仏なんだよね。

それはさ、例えるなら水と氷の関係みたいなもん。

水がなきゃ氷ができないでしょ?

水と氷。結局その差は、溶けてるか凍ってるかっていう「状態の違い」だけなんだよね。

それと同じようなもの。

仏が水なら、僕たちは氷。

つまり、仏も僕たちも、結局は同じものってことさ。

それなのに僕らときたら、その事実を知らないまま、「仏にはどこに行けば会えるんだ?」って、あちこち探し回ってるんだ。

な、馬鹿馬鹿しいだろ?

それじゃあまるで、水の中に入りながら「水くれ!喉が渇いた!」って叫んでるようなものさ。

せっかく裕福な家の子として生まれついたのに、わざわざ貧しい里を彷徨い歩いてるようなもんだよ。

いいかい? そうやっていつまでも迷いの世界から抜け出せないのは、ひとえに「僕たちは本来ひとつの同じもの」ってことを見失っているからなんだ。

ワタワタ・オロオロしたところで問題は解決されないし、深刻な表情を浮かべててもしょうがない。

そんなんじゃ、いつまで経っても救われやしないよ。


「じゃ、どうすればいいんだよ」って?

うん。それにはまず、具体的な行動を起こす前に、一度リラックスすることが大事なんじゃないかな。

「そんな余裕ぶっこいてる場合じゃねぇ!」って?

でもさ、そんなに慌てたままでいても、結局問題解決できずにさ、むしろミス連発しちゃいそうじゃない?

落ち着かないまま「ああしたらどうだ、こうしたらどうだ」って騒ぎ立てても、混乱が大混乱になるだけさ。

だから、ね。大きく一つ深呼吸。肩の力を抜いて……ほらほら、その眉間の皺もゆるめなきゃ。

まずは一度落ち着こう。気持ちを静めて、ゆったりと寛ぐ。

でね、そのくつろぎの先にあるのが、俗に言う「瞑想」っていう状態だよ。

そうそう。瞑想は行為でも手段でもない。リラックスして、心が静まりきっているその「状態」のことなんだ。

ん?

ああ、そうだね。確かに君が言うとおり、本屋の精神世界コーナーにでもいけば、沢山の具体的なメソッドに出会えるだろう。

「これをすべし、あれはすべからず」っていう人生哲学や成功哲学も沢山あるだろうし、「線香は何本立てろ」とか「お月様に向かってお財布ヒラヒラさせなさい」なんて言う“まじない”もあるでしょう。

○○ヒーリングや○○クレンジングってのも沢山あるし、「『ありがとう』だけじゃ足りない、『ごめんなさい』と『愛してます』があった方がいいんだ」なんていう人もいるでしょう。

「君のここが悪いんだ」って指摘して、その改善のため、あれをしてみなさい、これをしてみなさいって色々な修行法や改善策を示してくれる本も沢山みつかるでしょう。

でもね、それらも結局、君が落ち着いていないことには何の役にも立ちはしないんだよ。

その本を読んだとしても、表層的な言葉ばかりを捉えて早とちりし、著者の思惑と違う解釈をしてしまいかねない。

人はどうしたって、自分の受け取りたいようにしか受け取れないからね。

だからね、まずはリラックス。何をするにせよ、結局はそこに帰るんだ。

一日のほんのひとときでいい。

心を落ち着けて、静かに座ることができたら、迷いや不安、高ぶった感情なんかも自然に消えていくよ。

「一大事だ!」って大騒ぎしていた人でも、いざ冷静になったら、「あれ?なんでこんなことで怒ったり、慌てふためいていたんだろ?」ってなったりするもんなんだ。

目の前にあるものを「どう解釈したか」がその人の「現実」として現れるわけだから、結局のところは「悪い出来事」ってのはどこにもないんだよ。

え?なに?

「そんなこと言ったって、彼のしたことは、私じゃなくたって許せないに決まってるわよ」って?

いや、だからさ。それは色々できる解釈の中の、一側面でしかないんだよ。

物事自体には、本来意味も価値もない。それらを与えているのは僕たち自身。もっと言えば、僕たちの「思考」なんだから。

そりゃ確かに彼のしたことに腹を立てることもできるよ。

でもさ、もう一方では、「君の心の奥底に眠っていた、未消化だったコンプレックスや感情、蟠り(わだかまり)なんかを思い出させてくれる切っ掛けを与えてくれた出来事」として捉えることも出来るんだ。

え? 「そんなこと思い出したくなかった」って?

でもさ、そうだとしたら、そのことは、ずっと君の心の奥底に残り続けるだけだからね。そのままにしていても決してなくなりはしない。ただ心に残り続けるだけだから、結局はそのうち何かの拍子で出てくることになるんだ。

それを引き出してくれたのが、たまたま彼だったってことだけさ。

いいかい? ホントの幸せってのはさ、遠くにあるんじゃないんだよ。「いまここ」にあるんだ。

ああ。ホントだよ。

たとえば今の話で言うとね、「彼がちゃんと詫びたら、私だって幸せな気持ちを取り戻せるわ」って言うなら、君の幸せは「彼の態度次第」ということになってしまう。

でもさ、幸せに対しての主導権をもっているのは、本当は君なんだ。

君が「いまここ」で、彼を赦すことができたなら、「いいわ、彼が謝ろうと、謝るまいと、私は幸せよ」って、「いまここ」で幸せになることが出来るだろ?

君は、今すぐに実現できる幸せよりも、腹を立てて嫌な気持ちで居続けることを選ぶの?

なに?それでも赦せない?

いや、そりゃ僕はそれでも構わないけどさ、それで嫌な思いをし続けるのは他でもない、君自身だからね。

でも、これだけは覚えておいてよ。

いま僕が話したことを聞き入れてくれたとしたら、必ず幸せになれるって。


そして、そのことを実体験を通して繰り返し経験することができたら、その幸せは徐々に本物になっていく。

つかのまの幸せではなく、君の中に永続的な至福をもたらしてくれるよ。

迷いや不安、未消化の感情たちを徐々に解放していった先には、「アタマだけでの理解」じゃなく、本当の意味で仏と一体となる事が出来るんだ。

僕たちの蟠りがほどけるほどに、氷は溶けて水になっていくのさ。

「本当の幸せ」を得る道は、そこにしかない。

事物そのものには、意味も価値もない。あるがままの姿は、すべて中立な存在としてそこにあるんだ。

幸せを探して行く道も、帰る道もない。それはいつだって「いまここ」にある。

いま君の心に残っている、その蟠りがほどけたら、何をするにも、最高のパフォーマンスを発揮出来るようになっているよ。

あらゆるこだわりや思い込みから離れた心は、あの大空のように果てしなく広がって、そこには月の輝きのように「さとり」という光が現れる。

そうなったらもう、「求めるもの」なんて、何一つないよね。

僕たちの心に静寂があれば、そこがすでに「究極の幸せ」だし、この身がそのまま仏なんだよ。




【トークライブ・インフォメーション】


札幌では2度目のソロライブ。
いよいよ来週です!

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←みんながちゃんと押してくれたら、僕だって幸せな気持ちを取り戻せるのに。(←黒斎くんに座禅和讃を教えてあげてください)
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