いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
悪癖
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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バネ持ってこい!(訳:Spring has come!)
北の大地のしつこい雪もようやく溶け、今年も黒斎くんの自転車通勤が始まりましたよ!
春のキリッとした爽やかな風を感じながら走る気持ちよさ。
爽快に自転車を走らせる僕を迎えてくれたのは…
カラスのキックでした。_| ̄|○
ヾ(`⌒´メ)ノ″ 「このやろう!人の頭にケリ入れやがって!!頭に爪が刺さったぞ!!!」
…
あ、ども。野鳥と戯れながらこんにちは。
「黒斎」と書いて「ムツゴロウ」とルビをふられる者です。
えー。
今日は、僕に無礼を働いたこのカラスについて懇々と語ろうかと思っていたのですが、カラス相手にそんな大人げないことをするのもなんだかなぁと思いとどまりまして、急遽予定を変更して、唐突に「癖」のお話をさせていただきます。
くせ【癖】
無意識に出てしまうような、偏った好みや傾向。習慣化している、あまり好ましくない言行。
《「曲(くせ)」と同語源》
まぁ、いろいろありますよね。癖って。
口癖とか、舌打ちとか、貧乏揺すりとか、指の爪を噛んだりとか、鼻くそ食べちゃったりとか…
無意識に行ってしまう習慣的な行いや言動を「癖」と呼ぶのですが、「癖」が「習慣」と違うのは、「あまり好ましくない言行」つまり、「自分に不適切な結果をきたす」という意味合いを持つところですよね。
端から見てて
Σ( ̄ε ̄;|||・・・
ってことでも、やってる本人は気付いていないんですよね。なんせ「癖」だから。
鼻くそパクパク食べてても、本人は無意識なもんだからね、自分ではなかなか気付けないんですよ。
周りが「ギョッ!」ってしてる様子を見て、「(; ̄Д ̄) はっ」と気付く人。
「( ̄ε ̄;|||・・・ おいおい、鼻くそ食うなよ。」って注意受けてやっと気付く人。
どれだけ注意を受けても「何言ってんだよ失礼な!食ってねーよ!」って、てんで自分の事が分かっていない人。
「食って何が悪いんだよ。誰にも迷惑掛かってねーだろ。」って、開き直っちゃう人。
まぁ、いろいろおりますわな。
…
あー。
中途半端だけど、タイムアップだ。
続きは、また。
ヾ( ̄Д ̄;≡; ̄Д ̄)ツ 誰かー!
激務をヒョイと飛び越えるバネ持ってきて!
←僕の頭にケリを入れるカラスになったつもりで。
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バネ持ってこい!(訳:Spring has come!)
北の大地のしつこい雪もようやく溶け、今年も黒斎くんの自転車通勤が始まりましたよ!
春のキリッとした爽やかな風を感じながら走る気持ちよさ。
爽快に自転車を走らせる僕を迎えてくれたのは…
カラスのキックでした。_| ̄|○
ヾ(`⌒´メ)ノ″ 「このやろう!人の頭にケリ入れやがって!!頭に爪が刺さったぞ!!!」
…
あ、ども。野鳥と戯れながらこんにちは。
「黒斎」と書いて「ムツゴロウ」とルビをふられる者です。
えー。
今日は、僕に無礼を働いたこのカラスについて懇々と語ろうかと思っていたのですが、カラス相手にそんな大人げないことをするのもなんだかなぁと思いとどまりまして、急遽予定を変更して、唐突に「癖」のお話をさせていただきます。
くせ【癖】
無意識に出てしまうような、偏った好みや傾向。習慣化している、あまり好ましくない言行。
《「曲(くせ)」と同語源》
まぁ、いろいろありますよね。癖って。
口癖とか、舌打ちとか、貧乏揺すりとか、指の爪を噛んだりとか、鼻くそ食べちゃったりとか…
無意識に行ってしまう習慣的な行いや言動を「癖」と呼ぶのですが、「癖」が「習慣」と違うのは、「あまり好ましくない言行」つまり、「自分に不適切な結果をきたす」という意味合いを持つところですよね。
端から見てて
Σ( ̄ε ̄;|||・・・
ってことでも、やってる本人は気付いていないんですよね。なんせ「癖」だから。
鼻くそパクパク食べてても、本人は無意識なもんだからね、自分ではなかなか気付けないんですよ。
周りが「ギョッ!」ってしてる様子を見て、「(; ̄Д ̄) はっ」と気付く人。
「( ̄ε ̄;|||・・・ おいおい、鼻くそ食うなよ。」って注意受けてやっと気付く人。
どれだけ注意を受けても「何言ってんだよ失礼な!食ってねーよ!」って、てんで自分の事が分かっていない人。
「食って何が悪いんだよ。誰にも迷惑掛かってねーだろ。」って、開き直っちゃう人。
まぁ、いろいろおりますわな。
…
あー。
中途半端だけど、タイムアップだ。
続きは、また。
ヾ( ̄Д ̄;≡; ̄Д ̄)ツ 誰かー!
激務をヒョイと飛び越えるバネ持ってきて!
←僕の頭にケリを入れるカラスになったつもりで。
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似て非なるもの
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せっかくの機会ですので、前々から一度書いてみたいと思っていた事を綴ってみます。
「怒る」と「叱る」は、その様子が同じ様に見えても、中身は似て非なるものです。
「怒る」は、「私にとって悪い」というメッセージ。
「叱る」は、「アナタにとって悪い」というメッセージ。
ね。違うでしょ。
通約不可能性は、こういう「似て非なるもの」に、よく現れます。
似て非なるもの。
「叱る」と「怒る」
「自由」と「勝手」
「批判・批難」と「誹謗・中傷」
「やさしさ」と「過保護」
「放任」と「放棄」
「いまここ」と「いまこそ」
その他諸々、いろいろとありますよね。
←「押す」は、どんなメッセージ?
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せっかくの機会ですので、前々から一度書いてみたいと思っていた事を綴ってみます。
「怒る」と「叱る」は、その様子が同じ様に見えても、中身は似て非なるものです。
「怒る」は、「私にとって悪い」というメッセージ。
「叱る」は、「アナタにとって悪い」というメッセージ。
ね。違うでしょ。
通約不可能性は、こういう「似て非なるもの」に、よく現れます。
似て非なるもの。
「叱る」と「怒る」
「自由」と「勝手」
「批判・批難」と「誹謗・中傷」
「やさしさ」と「過保護」
「放任」と「放棄」
「いまここ」と「いまこそ」
その他諸々、いろいろとありますよね。
←「押す」は、どんなメッセージ?
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ふりだし
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昨日いただいたコメントが興味深かったので、今日はその質問にお答えする形で書いてみたいと思います。
2008年03月18日投稿「I am here!」はじめましてさんのコメントより
「いまここ」という感覚を手にしたとき、
向上心や、目的意識というものはどうなってしまうのでしょうか。
私は、そういった向上心や目的意識は、
なくなってしまうのではないかという不安に思っています。
なぜかというと、「いまここ」とは、
刹那的な享楽をむさぼる自堕落という意味にもとれるからです。
それで質問なのですが、
「いまここ」というのは「刹那的」とは別物なんですよね?
「いまここ」を体感しながら、
向上心や高い目的意識を同時にたもつ精神状態って、
いったいどんなものなのでしょうか?
「いまここ」に目覚めるという感覚は、言い方を替えれば「自分の“存在”を自覚できるようになる」という風に僕は考えています。
その経験をすることは、「あがり(ゴール)」ではなく、むしろ「ふりだし」です。
ですから、向上心や目的意識がなくなるわけではありません。
それまで目標にしてきたものが「無意味に思える」ということは、確かにあると思います。
でもそれは、目標を失ったからではなく、本当に目標とすべき別のものに気付くということだと思うのです。
または、「向上心」や「目的意識」という言葉の意味自体が変わると言いますか…
「いまここ」と、自分の存在が明確になっている状態は、「生きる」ということに自覚を持っている状態なので、自堕落になるなんて事はありえません。
とはいえ、そう言う僕も、ずーっとそういう状態でいるわけではありません。
いつの間にかその感覚を忘れ、あっという間に別の感覚に流されてしまいます。
(こっちの方が、ほとんどですね…)
そういう、「いまここ」を忘れている時の方がよっぽど刹那的で自堕落です。
ですから、「いまここ」というのは「刹那的」とは別物です。
でも、その経験や感覚はどんなものなのかと聞かれても、お答えすることができません。
経験は、あくまで「経験」なので、言葉に置き換える事ができないんです。
よくある例えでは、
生まれつき耳の聞こえない人に、小鳥のさえずりをどうやって理解してもらうか。
生まれつき目の見えない人に、空の蒼さをどうやって理解してもらえばいいのか。
生まれつき味覚のない人に、桃の甘さをどうやって理解してもらえばいいのか。
これと同じような事なんです。
どんなに正確に伝えたくても、説明は、あくまで説明にしかなりません。
ん~。
やっぱり分かりづらいのかなぁ…
←「押す」ということに、自覚もっている状態になっていただけます?
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昨日いただいたコメントが興味深かったので、今日はその質問にお答えする形で書いてみたいと思います。
2008年03月18日投稿「I am here!」はじめましてさんのコメントより
「いまここ」という感覚を手にしたとき、
向上心や、目的意識というものはどうなってしまうのでしょうか。
私は、そういった向上心や目的意識は、
なくなってしまうのではないかという不安に思っています。
なぜかというと、「いまここ」とは、
刹那的な享楽をむさぼる自堕落という意味にもとれるからです。
それで質問なのですが、
「いまここ」というのは「刹那的」とは別物なんですよね?
「いまここ」を体感しながら、
向上心や高い目的意識を同時にたもつ精神状態って、
いったいどんなものなのでしょうか?
「いまここ」に目覚めるという感覚は、言い方を替えれば「自分の“存在”を自覚できるようになる」という風に僕は考えています。
その経験をすることは、「あがり(ゴール)」ではなく、むしろ「ふりだし」です。
ですから、向上心や目的意識がなくなるわけではありません。
それまで目標にしてきたものが「無意味に思える」ということは、確かにあると思います。
でもそれは、目標を失ったからではなく、本当に目標とすべき別のものに気付くということだと思うのです。
または、「向上心」や「目的意識」という言葉の意味自体が変わると言いますか…
「いまここ」と、自分の存在が明確になっている状態は、「生きる」ということに自覚を持っている状態なので、自堕落になるなんて事はありえません。
とはいえ、そう言う僕も、ずーっとそういう状態でいるわけではありません。
いつの間にかその感覚を忘れ、あっという間に別の感覚に流されてしまいます。
(こっちの方が、ほとんどですね…)
そういう、「いまここ」を忘れている時の方がよっぽど刹那的で自堕落です。
ですから、「いまここ」というのは「刹那的」とは別物です。
でも、その経験や感覚はどんなものなのかと聞かれても、お答えすることができません。
経験は、あくまで「経験」なので、言葉に置き換える事ができないんです。
よくある例えでは、
生まれつき耳の聞こえない人に、小鳥のさえずりをどうやって理解してもらうか。
生まれつき目の見えない人に、空の蒼さをどうやって理解してもらえばいいのか。
生まれつき味覚のない人に、桃の甘さをどうやって理解してもらえばいいのか。
これと同じような事なんです。
どんなに正確に伝えたくても、説明は、あくまで説明にしかなりません。
ん~。
やっぱり分かりづらいのかなぁ…
←「押す」ということに、自覚もっている状態になっていただけます?
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I am here!
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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昨晩、ウンコ漏らす夢をみました。
ウンコがパンツを通り過ぎて、ズボンまで茶色になっている夢でした。
びっくりしたー。
こんにちは。こんな事を話している時も、心の中ではガンバレって言っている黒斎です。
聞こえてほしい あなたにも
…
聞こえませんか、そうですか。
えー。
今日はまたちょっと突飛なお話をしようと思います。
「いまここ」っていうフレーズがありますよね。
阿部さんとこだけじゃなくて、本屋さんの精神世界コーナーに行くと、沢山の「いまここ」という言葉に出会えます。
あと、西洋風に「POWER OF NOW」とかね。
で、この「いまここ」の「いま」は、2008年03月07日投稿の「時間」で書いたように、僕たちは「過去」にも「未来」にも無くて、「今」しかないんだって事を指しています。
あなたがこの文章を読んでいるのは、「今」でしょ?
明日、また読むとしても、その時点ではやっぱり「今」になってしまいます。
で、「いまここ」の「ここ」も、これと同じようなことなんです。
僕たちは、いつだって「ここ」にしか存在できない。
「あっち」も「そっち」もないんです。
生まれてから死ぬまで(いや、死んでもなお)僕たちは「ここ」から離れることはできません。
「いやいやいや、そんなことはないだろう。あっちだって、そっちだって、現に存在してるじゃないか。」と仰るあなたの気持ちもよく分かります。
でも、僕がお話したいのはそういう事ではなくて、先日の「時間」のお話と同じように、話の軸を「存在」として考えると、「ここ」にしか存在できないことになるということなんです。
だってね、仮に僕が「あなたは今、どこにいます?」って聞いたら、「ここにいるよ。」って答えになりますでしょ?
それを「地名」や「座標」として変換することはできても、その「地名」や「座標」は、「ここ」を指すためのものでしょ?
「私は今、あそこにいます。」ってことは、ありえないですよね。
そんな事があったら、「じゃあ、今ここで、“あそこにいる”と指しているのは誰だよ?」ってことになりますよね。
別な観点から見てみましょうか。
今、A地点にいるとします。で、B地点に向かっているとします。
現段階では、ここ「A地点」にいます。だから、「B地点」は「あそこ」かもしれません。
でも、「B地点」に到着した時点では、やっぱりそこは「ここ」なんです。すでに「あそこ」ではなくなっています。
「自分」が存在できるのは、「いまここ」しかないんです。
この感覚が「ぶわっ」と入ってくると、ホントにもう、なんて言うか…
世界がひっくり返ります。
自分は、いつだって「ここ」にいるわけだから、「行く」という感覚が「来る」になっちゃうとでも言いますか…
例えば、「ここ北海道から東京へ出張へ行く」とか、そういうなんてないことが、とても変な感覚になるんですよ。
それまでは、「僕が東京へ“行く”」という感覚だったものが「東京が僕の所へ“来る”」という風に逆転するような…
電車や飛行機などの交通機関を使っても、「それらに乗って目的地へ“行く”」から「それらを使って、目的地を“引き寄せる”」って感じになるんです。
この感覚を、ちょっと試してみません?
「私はここにいる」という感覚を忘れずに、まるで「動く歩道」を逆行するかのような気持ちで移動してみてください。
そうすることで、「目的地を引き寄せている」という感覚が見えてくると思います。
←よく考えてみよう。これを押すことが出来るのは、いつでも「ここ」だけなんだ。
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昨晩、ウンコ漏らす夢をみました。
ウンコがパンツを通り過ぎて、ズボンまで茶色になっている夢でした。
びっくりしたー。
こんにちは。こんな事を話している時も、心の中ではガンバレって言っている黒斎です。
聞こえてほしい あなたにも
…
聞こえませんか、そうですか。
えー。
今日はまたちょっと突飛なお話をしようと思います。
「いまここ」っていうフレーズがありますよね。
阿部さんとこだけじゃなくて、本屋さんの精神世界コーナーに行くと、沢山の「いまここ」という言葉に出会えます。
あと、西洋風に「POWER OF NOW」とかね。
で、この「いまここ」の「いま」は、2008年03月07日投稿の「時間」で書いたように、僕たちは「過去」にも「未来」にも無くて、「今」しかないんだって事を指しています。
あなたがこの文章を読んでいるのは、「今」でしょ?
明日、また読むとしても、その時点ではやっぱり「今」になってしまいます。
で、「いまここ」の「ここ」も、これと同じようなことなんです。
僕たちは、いつだって「ここ」にしか存在できない。
「あっち」も「そっち」もないんです。
生まれてから死ぬまで(いや、死んでもなお)僕たちは「ここ」から離れることはできません。
「いやいやいや、そんなことはないだろう。あっちだって、そっちだって、現に存在してるじゃないか。」と仰るあなたの気持ちもよく分かります。
でも、僕がお話したいのはそういう事ではなくて、先日の「時間」のお話と同じように、話の軸を「存在」として考えると、「ここ」にしか存在できないことになるということなんです。
だってね、仮に僕が「あなたは今、どこにいます?」って聞いたら、「ここにいるよ。」って答えになりますでしょ?
それを「地名」や「座標」として変換することはできても、その「地名」や「座標」は、「ここ」を指すためのものでしょ?
「私は今、あそこにいます。」ってことは、ありえないですよね。
そんな事があったら、「じゃあ、今ここで、“あそこにいる”と指しているのは誰だよ?」ってことになりますよね。
別な観点から見てみましょうか。
今、A地点にいるとします。で、B地点に向かっているとします。
現段階では、ここ「A地点」にいます。だから、「B地点」は「あそこ」かもしれません。
でも、「B地点」に到着した時点では、やっぱりそこは「ここ」なんです。すでに「あそこ」ではなくなっています。
「自分」が存在できるのは、「いまここ」しかないんです。
この感覚が「ぶわっ」と入ってくると、ホントにもう、なんて言うか…
世界がひっくり返ります。
自分は、いつだって「ここ」にいるわけだから、「行く」という感覚が「来る」になっちゃうとでも言いますか…
例えば、「ここ北海道から東京へ出張へ行く」とか、そういうなんてないことが、とても変な感覚になるんですよ。
それまでは、「僕が東京へ“行く”」という感覚だったものが「東京が僕の所へ“来る”」という風に逆転するような…
電車や飛行機などの交通機関を使っても、「それらに乗って目的地へ“行く”」から「それらを使って、目的地を“引き寄せる”」って感じになるんです。
この感覚を、ちょっと試してみません?
「私はここにいる」という感覚を忘れずに、まるで「動く歩道」を逆行するかのような気持ちで移動してみてください。
そうすることで、「目的地を引き寄せている」という感覚が見えてくると思います。
←よく考えてみよう。これを押すことが出来るのは、いつでも「ここ」だけなんだ。
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人にやさしく
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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やさしさだけじゃ
人は愛せないから
ああ なぐさめてあげられない
期待はずれの
言葉を言う時に
心の中では
ガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
ガンバレ!
(「人にやさしく」作詞作曲:甲本ヒロト/1987年)
←Blue Monday? 大丈夫。誰だって、スタートは1速からだよ。
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やさしさだけじゃ
人は愛せないから
ああ なぐさめてあげられない
期待はずれの
言葉を言う時に
心の中では
ガンバレって言っている
聞こえてほしい あなたにも
ガンバレ!
(「人にやさしく」作詞作曲:甲本ヒロト/1987年)
←Blue Monday? 大丈夫。誰だって、スタートは1速からだよ。
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