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おさらい

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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実は先日、スリの被害に遭いまして。

現金はもちろんのこと、免許証やら各種カード類やら、その日予定していた映画の入場チケットやら、一切合切が入った黒妻さんのお財布がなくなってしまいました。

(yTДT)y だあぁぁ~、黒妻さんにプレゼントしたばかりのお財布だったのに~


その日は家族と車で1時間ほど走ったところにある大型複合施設にショッピングに出かけましてね。

で、お店に入って間もなくのことです。

奥様が某ショップの試着室に入りました。

その間、僕は智秀くんを小脇に抱えて店内をぷらぷらしていたんですね。

で、智秀くんを抱えている分、諸々の荷物が持てなかったんで、ベビーカーに置いていました。

で、思い返せばその時ですよ。

ベビーカーの上にあるバッグは「くぱ~」とおっぴろげ状態で、お財布が入っているのが丸見えだったんですね。

(*ノノ)イヤン!

いや~。すっかり油断してました。

奥様が試着を済ませ、「いざ会計」という時になって、はじめて財布がないことに気がついたんです。

でも、どう考えても「落とした」わけではなさそうで。

その後大がかりな捜索も行われたのですが、落とし物として届くこともなければ、現金が抜かれた財布が、トイレやゴミ箱に捨てられているわけでもない。

ああ、これはやっぱりプロの仕業だなと。(いや、素人でも充分持っていけるような状態だったのではありますが)

そんなこんなで、わざわざ遠くまでお出かけしたものの、ほとんどの時間を事情聴取に取られ、ただ「財布をなくしに出かけた」みたいな一日になってしまいましたとさ。


はてさて、僕の残念な引き寄せ話はさておき、お話の続きに参りたいと思います。

最近、コメント欄にこんな質問をいただきました。


*****

黒齋さん、はじめまして。

『あの世に聞いた・・・』を拝読してから、お陰様でずいぶんと日々が楽に過ごせるようになりました。ありがとうございます。

質問があるのですが、あの世はこの世よりも効率よく魂の浄化ができるとのことでしたが、あの世が「思いのままにできる」なら、なぜ、この世よりも浄化できないのでしょうか?

それと、魂の「黒」とは一体何なのでしょうか?どうして黒くなってしまうのでしょうか。

最近ふと気がつき、考えてみましたがよく分かりません。

どうぞよろしくお願いします。

(ハンドルネーム:マサキさんより)

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これと、もうひとつ。


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昔から疑問に思っていることがあります。

この「あなたのために用意されたあなたのゲーム」というのは内容を決めたのは自分のハイアーセルフではないでしょうか?

そして、あまりよく理解していないのに無知で無謀な個の魂が悲惨な人生に同意し挑戦しまうこともあるのでは?

また、シルバーバーチの本など多くの情報で、輪廻転生の人生経験も、類魂の人生情報を「ダウンロード」することができると聞きます。

そしたら、生身の肉体の隔離の中で人生を直接体験する必要性がとても疑問になるのです。

いや、その人にとって恵まれた人生ならいいんです。

悪いカルマは別の類魂に頼むこともできるのなら、あえて極端に苦難に満ちた課題の人生を選ぶ必要性が疑問なのです。

極楽飯店のヤクザも自分のカルマを類魂に押し付けているような印象を受けました。

(ハンドルネーム:りりーさんより)

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これはもう、ホントに何度も聞かれるところなんですよね。

実は、昨年も同様のお話をしていたんです。

それがこちら。2011年11月04日投稿「黒いもの」

この時にもお話しているのですが、今日は改めて、このお話をしたいと思います。


まずは、この「黒」は、「カルマ」のことをお話しています。

「カルマ」と一言でいっても、その説明の仕方は色々あります。

で、色々ありますが、僕は簡単に「自分の幸せを妨げようとする要素」や「本来の自己を忘れさせる要因」などの意味合いでお話することが多いですね。

ここ最近お話している「鱗」や「暗示」といった言葉も、この「黒」と同様の意味合いです。

これを前提としてお話を進めますね。


>どうして黒くなってしまうのでしょうか。


娯楽のためです。

「黒くなってしまう」というよりも、どちらかと言えば「あえて黒くなってみた」なんですね。

で、もっと突っ込んでお話すると、実際に黒くなったわけではないんです。

「黒くなったと想定してみたら、こんな世界がイメージできた」という、「イメージ」の世界が、僕たちが経験している「現実」なんです。


「自分が勇者になってドラゴン退治に出かけると想定してみたら、こんな世界がイメージできた」という「イメージ」の世界が、「ドラゴンクエスト」ですよ。実在しない仮想世界。

それと同様に、神が「人間(神以外)になった」と想定してみた世界が「この世」です。

んでもって。

>あの世はこの世よりも効率よく魂の浄化ができる


僕は、そうは話していません。まったく逆です。

「この世は、あの世よりも効率よく魂の浄化ができる」です。


で、今度はこの「浄化」ということをお話しますね。

何をもって「浄化」なのか。

それは、「ゲームを存分に楽しんだ」という納得です。

※この納得が得られない限り、僕たちは何度も何度もコンテニュー(輪廻転生)を繰り返し、ゲームから離れません。

なので、僕たちが輪廻を超えるためにすべきことは、「人生を存分に楽しむ」ということに他なりません。

だからバシャールはこう言うんですね「ワクワクすることをやりなさい」「やりたいことをやりなさい」って。

もし今回のプレイ(人生)で納得が得られなかったとしたら、その未練は、次のプレイ(来世)に持ち越されます。

でもその時はまた「キャラクターの設定」が変わって、全くの別人になっているわけですが。

それが、僕たちキャラクター次元には認識仕切れない、カルマの継承です。

「この世」自体がゲームの世界ですから、「ゲームを存分に楽しんだ」という納得は、「この世」なしでは得られないわけです。

そういう意味での「この世は、あの世よりも効率よく魂の浄化ができる」だと思ってください。


で、このことが、りりーさんのご質問につながります。


>輪廻転生の人生経験も、類魂の人生情報を「ダウンロード」することができると聞きます。
>そしたら、生身の肉体の隔離の中で人生を直接体験する必要性がとても疑問になるのです。

誰かがプレイしているゲーム(または、自分のリプレイデータ)をただ眺めていることと、実際に自分自身で直接ゲームを体験してみるのでは、大きく違いますよね。


>この「あなたのために用意されたあなたのゲーム」というのは内容を決めたのは自分のハイアーセルフではないでしょうか?

はい、そのその通りです。

なのですが、もう少し厳密にお話すると、この「自分のハイヤーセルフ」という観点が少々厄介です。

「自分のハイヤーセルフ」と言うと、なんだか「自分」と「ハイヤーセルフ」が別物の様に感じられてしまいますが、本当はそうではありません。

「自分のハイヤーセルフ」というよりも、「ハイヤーセルフも自分」です。

最近のお話になぞらえますと、この「ハイヤーセルフ」ってのは、「プレイヤー意識」や「クリエイター意識」のことです。

ですから、「あなたのために用意されたあなたのゲーム」はつまり、「自分のために用意した自分のゲームです。


>あまりよく理解していないのに無知で無謀な個の魂が悲惨な人生に同意し挑戦しまうこともあるのでは?


これについては、いくつかお話したい点があります。

まず一つは、「個の魂」というものはない、ということです。

これまで何度もお話してきた通り、「分離」というこの感覚は完全な錯覚です。

本当は分離していないのですから「個の魂」も「個の命」もありません。「個」自体が錯覚なのですから「個人的に保有する何か」というのも、全部錯覚です。

僕たちは一つの同じもの、同じ存在です。

だから、僕を動かすプレイヤーとあなたを動かしているプレイヤーが別に存在しているわけでもありません。

なので、「個」という感覚が前提となった想定は、全部見当違いのものになってしまうんです。

でも、あえて、第一ステージにおいてなじみ深い「個がある」という前提でお話するならば、このご質問はその通りです。


>あまりよく理解していないのに無知で無謀な個の魂が悲惨な人生に同意し挑戦しまうこともある


このことを言い換えると、こんな感じです。

ゲームの達人じゃなくても、スタート時の難易度選択で「HARD」を選んでプレイすることは可能。


あるじゃないですか。

「EASY」「NORMAL」「HARD」ってボタンが並ぶゲームのスタート画面で、「HARDって、どのぐらいハードなんだろう?」って、ついつい試してみたくなっちゃうことが。

大抵は始まってから「まさか、ここまで難しいと思わなかった!」ってなりますけどね(笑)。


とにもかくにも、この「分離」という感覚が、第一ステージの世界を形成する土台となっています。

「自分」という感覚も「時間」という感覚も、すべて「分離」によって作り出されています。

そして、この「分離」を司る鱗がポロリと落ちると、第一ステージでは捉えられなかったものが見えてくるようになります。




【トークライブ・インフォメーション】

ヒーリングサロン「PRISM」の室井友子さんのお誘いで、名古屋にてソロライブを開催する運びとなりました。

最近何カ所かで始めたスライドショー形式でのお話をする予定です。

参加ご希望の方は、下記の専用ページからお申し込みください。

◎あの世に聞いた、この世の仕組み @ 名古屋

【日時】10月7日(日) (13:30開場)14:00~16:30

【会場】名古屋国際会議場 4号館 432号会議室
    名古屋市熱田区西町1番1号

【料金】お一人様3,000円

※お申し込みは【こちら】



※「月イチ☆」8月28日(火)・9月20日(木)のチケットは、お陰様で完売となりました。



【阿雲の呼吸インフォメーション】

阿部敏郎さんとのコラボライブ「阿雲の呼吸」も、スケジュールを調整しながら順次開催準備を進めております。

今のところ、日程が確定したのは、下記の3カ所。

◎10月21日(日)札幌
◎11月3日(土)松山
◎11月4日(日)福岡

こちらは、受付準備が整い次第、改めてお知らせいたします。


そして、ここからは少々お詫びを。

数ヶ月間に渡り、スケジュールの調整を図ってきたのですが、どうしても、広島でのコラボ開催がうまくはまりません。。。

そこで、急遽コラボライブの予定をソロライブに切り替えてお伺いしたいと思っております。(阿部さんと一緒に行けなくてごめんなさい)

現在、10月27日(土)でお伺いできるよう調整を図っていますので、ご容赦いただけますようお願い致します。

こちらも、準備が整い次第、改めてお知らせいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。



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自己暗示

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
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僕たちが人生と呼ぶこの現実は、あなたの、あなたによる、あなただけに用意されたゲームです。

もし今現在、あなたがその事実にお気づきでないのなら、あなたはこのゲームの第一ステージをプレイしている真っ最中。すでにお気づきなら、第二ステージのプレイ中です。

それがどういうことなのか。まずは、「自己探求(セルフ・クエスト)」の仕組みを思い出していきましょう。




いつもの如く、少々受け入れがたいお話をしていくことになりますが、あまり目くじらを立てずに読み進めていただけたら幸いです。


【第一ステージ】忘却のステージ(キャラクター意識の次元)

ゲームの第一ステージは、あなたが、このゲームのプレイヤー、および開発者であることを忘れることが前提となった遊び場です。

自分で開発したゲームを存分に楽しむための仕掛けとして、あなたはまず、このゲームにプログラミングした様々な仕掛けやシナリオから自分の正体に至るまで、ありとあらゆる情報を隠蔽するための自己催眠をかけました。

(このプロセスは、今生においての話だけではありません。数え切れないほどの輪廻転生を繰り返しながら、じっくりと、確実に、その催眠誘導を重ねてきました)


私は創造主(神)ではない、被造物(人間)である

私は無限ではない、有限である

私は全てではない、一部である

私は完全ではない、未完である

私は叡智ではない、無知である

私は充足ではない、不足である

私は満足ではない、不満である

私は万能ではない、無能である

私は清浄ではない、不浄である

私は至福ではない、不幸である

私は愛ではない、恐れである

私は……



そういった「神らしからぬ自分像」という自己暗示を入念に繰り返していった結果、無事あなたはこのゲームの「キャラクター」としての自意識(自我・顕在意識)を獲得しました。

そして、その暗示をより強固なものとするため、さらに沢山の鱗(固定観念・思い込み)を目の中に重ねては真実を覆い隠し、自らが持つ神としての記憶と無限の創造性を封印していきます。

この自己催眠強化プログラムが、このブログやライブなどでも何度かご紹介したことのある『五蘊(ごうん)』です。

色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊。

それらの働きによってどれだけ上手に自分が神であることを忘れることができているか(キャラクターと自己同一化できているか)が、このステージを楽しむ上での前提です。

言ってみれば、マリオがゲームの中で沢山のコインを集めていくように、僕たちは沢山の鱗(自己暗示)をコレクションしているようなものです。「より多く集めたもん勝ち」みたいな感じで。

そして沢山の自己暗示を重ねたこの前提が、キリスト教で「原罪(全人類に染み渡っている、罪を不可避的にする状態)」と記されているものです。

神(あなた)が本来持っている、完全なる叡智と無限の創造性(潜在意識・潜在能力)が封じられた状態で、いかにして数々の苦難を乗り越えて行くことができるか。

様々な障害が存在する中で、いかにして願望を成就していくことができるか。

神が神であるが故に経験できなかった、そのエキサイティングな挑戦(ストレスの経験)こそが、このステージで求められている面白さであり、醍醐味です。

それは、あなたがテレビゲームで得ようとする経験と同様、「なかなか思い通りにならない」というストレス(やりがい)あってこその娯楽です。

人間は何かと「思い通りの現実」を引き寄せようと躍起になりがちですが、「全てを思いのままにすることができる」ということや「不可能、不都合、不満、不足といったものが存在しない」という状況は、神の意識領域においては当たり前のことで、実はもう、あなたはその状態に飽き飽きしていたのです。

だから僕たちは、自分が当たり前に実現できることを叶えても、面白いとも、ありがたいとも思えません。逆に、なかなか叶いそうもないことが実現することの中に喜びを感じます。誰もが「そんなこと不可能だ!」という難題を乗り越えていく人を賞賛し、その努力や成果に感動するのです。
 
もしあなたに、「この人生がゲームなどとは思えない! この私が神だなんて荒唐無稽な話が信じられるはずがない!」だとか、「この『私』が、ゲームのキャラクターであるはずがない」という感覚があるのなら、それはまさに創造主(あなた)の思惑通り。

愛を見失い、目の前に広がる世界に恐れおののき、様々な苦難を前にして、思い通りの人生を歩めていないのであれば、この「忘却のステージ」においてのゲームが順調に進行していることを意味しています。

順調に進んでいるからこそ、このステージにいる人は、自分が神であることを、なかなか認めたがりません。苦しみに悶え、どんなに救いを求めているように見えても、本当の意味で救われようとは思っていないことも、よくあるんです。

苦しみや悲しみを背負い救いを求めるその人が「どんなことがあろうと、あなたは今ここで、幸せになっていいんですよ」とアドバイスされたとしても、

「でも…」とか、

「そんなこと言ったって…」とか、

「だって…」とか、

「あなたは私の苦悩の背景を理解していない!」とか、

なんやかんやと、一生懸命「私が不幸で在り続けるための理由」をプレゼンテーションし続ける姿を目にするのは、珍しいことではありません。

それもそのはず。

自分が全宇宙の創造者、また、ゲームのプレイヤーであることすら忘れようとしている最中なのですから受け入れたくなくて当然なのです。

それどころか「絶対に耳を傾けてはならない(もうあなたになんか相談しない!)」と必死に抵抗しようとさえ思うでしょう。

そういった、様々な「神らしからぬ状態」を保有することで、僕たちは神であった記憶を封じたまま、「キャラクター」としての自覚(顕在意識)状態をキープしています。

そして、このキャラクターとの自己同一化状態が色濃く表れるほど「プレイヤー」としての自覚は薄れ、それに比例して「自分が自分の人生を作り出している」という自覚が無くなってしまいます。

「私が人生(世界)をコントロールしている」のではなく「私が人生(世界)にコントロールされている」というキャラクターとしての受動感覚に切り替わってしまっているんです。





【トークライブ・インフォメーション】

ヒーリングサロン「PRISM」の室井友子さんのお誘いで、名古屋にてソロライブを開催する運びとなりました。

最近何カ所かで始めたスライドショー形式でのお話をする予定です。

参加ご希望の方は、下記の専用ページからお申し込みください。

◎あの世に聞いた、この世の仕組み @ 名古屋

【日時】10月7日(日) (13:30開場)14:00~16:30

【会場】名古屋国際会議場 4号館 432号会議室
    名古屋市熱田区西町1番1号

【料金】お一人様3,000円

※お申し込みは【こちら】



◎平日のお話会「月イチ☆」

下記リンク先、または、お近くのファミリーマート(Famiポート)でお買い求めください。

【日時】9月20日(木) (19:00開場)19:30~21:30

【会場】三鷹産業プラザ 701会議室(藤)
    三鷹市下連雀3-38-4

【料金】お一人様2,000円

※お申し込みは【こちら】(携帯からお申し込みの方は【こちら】

※「月イチ☆」8月28日(火)のチケットは、お陰様で完売となりました。


また、「阿雲の呼吸」ツアーも、以下の予定で開催準備を進めております。

◎札幌(10月21日予定)
◎松山(11月3日予定)
◎福岡(11月4日予定)
◎広島(日程調整中)

こちらは、準備が整い次第改めてお知らせいたします。



←ほ~ら、あなたは段々押したくな~る、押したくな~る。(怪しく輝く水晶の振り子を揺らしながら)
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自己定義

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もしあなたが、自分自身を「私はパーフェクトではない(何かが欠けている)」と自己定義しているのなら、あなたは、何かを成すたびに「パーフェクトではない(何かが欠けている)結果」を手にすることになります。

そして、その結果を目の前にしたとき、表層的には不満を表しますが、深層的には満足なんです。


なぜか。


原因が結果をもたらす。

そして、原因が適切であるとき、適切な結果がもたらされ、

原因に問題があったときは、結果にも問題が生じる、

「欠陥を抱えたままの原因」を元に、「パーフェクトな結果」が訪れることはない、

また、「適切な原因」から、「問題のある結果」が訪れることはない、

というその因果関係に間違いがないことを、あなたが知っているからです。


あなたが「パーフェクトではない結果」を目の前にするということは、その結果の「原因となる私」が持つ「パーフェクトではない私」という自己定義に間違いがなかったことが証明されるわけですから、その自己定義の正しさに納得するわけです。

「ほらね、私の言った通り、私はパーフェクトじゃなかったでしょ?」

と、「パーフェクトではない結果」を前に、胸を張って自分の正しさを誇れるわけです。

万が一、「パーフェクトではない私が、パーフェクトな結果を得る」ということが起きてしまったら、

『不適切な原因が、適切な結果をもたらす』、または、『私(原因)がパーフェクトだった』という、自分が採用できないでいる可能性を認めなければならなくなります。

だから、「パーフェクトではない私が、パーフェクトではない結果を得る」ことは、表層的には不満でも、深層的には満足なのです。



さて、問題はここからです。

深層的に満足はしていますが、表層的には不満です。

そこで、表層的な不満を解消することを望むわけですが、その表層的な不満を解消する手立てというのは、「パーフェクトな結果を得る」ということにあるわけです。

でも、やはり知っています。

その「パーフェクトな結果」を得るためには、まずその原因がパーフェクトであらねばならないことを。

そこで今度は、原因としての「パーフェクトな私の実現」を目指すわけです。

勉強してみたり、訓練してみたり、努力してみたり、我慢してみたり、時には「月イチ☆」に参加してみたり(笑)


でも、ちょっと待ってください。

その「パーフェクトな私の実現」という「パーフェクトな結果」を実現しようとしているのは、「パーフェクトではない私」です。

「パーフェクトではない私(原因)」が「パーフェクトな結果」をもたらすことって、できましたっけ?



あらら、どうしましょう(笑)




【トークライブ・インフォメーション】


◎平日のお話会「月イチ☆」

下記リンク先、または、お近くのファミリーマート(Famiポート)でお買い求めください。
※残り席わずかです。

【日時】8月28日(火) (19:00開場)19:30~21:30

【会場】三鷹産業プラザ 701会議室(藤)
    三鷹市下連雀3-38-4

【料金】お一人様2,000円

※お申し込みは【こちら】(携帯からお申し込みの方は【こちら】) (完売御礼)



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