いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
言の葉は、思いの器
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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しゃべれば しゃべるで しゃべったどって しゃべらいるし
しゃべねば しゃべねで しゃべれどって しゃべらいるし
どうせ しゃべらいるんだば
しゃべねで しゃべねって しゃべらいより
しゃべって しゃべったって しゃべらいる方がいんでねが
(太古の昔より東北に伝わる深遠なる教え)
まぁ、そんな気持ちでこうしてなんやかんやとしゃべり続けているわけではありますが、やはりしゃべればしゃべるで、どうしゃべるのかが、なんとも難しいのでございます。
実はここのところ、一冊の本の編集にあたっている最中でして。
昨年末、翻訳家の山川紘矢さん・亜希子さんご夫妻と対談をさせていただく機会を頂戴したんですね。
それを本にしようという企画で、ただいまシコシコとまとめているところなのですが、それがまぁ、なかなかに大変で。
コンテンツとしては、もう話終わっているわけですから、あとは活字に起こしゃいいだけじゃないの、と思っていたのですが、編集をはじめて見ると、そんなもんじゃないんだな、ということを目の当たりにしています。
なんといいますか、話し言葉をそのまま活字に起こしてみたら、とんでもないことになっちゃったんですね。
「おいおい、俺、そんなこと言ってねーぞ!」的なことが多々ありまして。
でも、実際にそのとき録音されたときの声を聞き直してみると、確かに言ってるんですわ(笑)。
でも、その「言っている言葉」は、「書かれている言葉」と、同じようでいて、中身が全然違って感じられるんですね。
ああ、声と活字では、こんなにも印象が異なってしまうのか、と。
まして、一度自分自身が話した内容にも関わらず、それが音からビジュアルになっただけで、こんなに違ってしまうか、と。
人間関係のトラブルの中には、「言った、言わない」みたいなものも見受けられますが、その多くは、やはり発信者は「言っていない」ことが多いんじゃないかと思いました。
「確かにそういう表現をしたかもしれないけど、そういう意味で言ったんじゃないんだもん!」というね。
いつも感じることながら、「思い」を「思い」のまま渡すのは、その二人の間に壁があると、途端に難しくなっちゃうんだよね。
なかなか、以心伝心で理解しあえるっていうのは難しい。
「思い」というその「中身」を渡すため、届けるために「言葉」という「器」を用意するんだけど、渡された方は「中身」よりも先に「器」に触れざるを得ないから、そこで一度イメージが固定されてしまう。
場合によっては、その器のせいで、中身を見たくなくなるかもしれない。
逆に、その「器」があまりに素晴らしすぎると、器ばかりありがたがられて、中身を見てもらえないかもしれない。
さらには、器と中身が、まるで逆になっている場合だって、ある。
たとえば、「大好き!」という思い(中身)を、「バカ!」という言葉(器)で渡すことだってできる。
その場合、「大好き」という中身を、そのまま「大好き」という器で渡すよりも、ちょっとした深みが感じられることもある。
でもこれが、「その言葉が発せられたときのシチュエーション」や「しぐさや表情」なんかが全部そぎ落とされて、「バカ!」という言葉だけが残ってしまったのだとしたら、もうその器の中を覗きたいとは思えないかも知れない。
相手に対する信頼や好奇心があるなら、器の中身を覗くことは難しくない。
でも、そもそも信頼していない人、関心の無い人などが渡してきた器なら、その中身をわざわざ見たいとも思わないだろう。
人と人が言葉を交わすとき。
中身にそった器で渡すこともできる。
中身とギャップのある器で渡して、サプライズを狙うこともできる。
中身を入れずに、器だけを渡すこともできる。
器が無くても中身を受け取れる感性があれば問題はないのだけれど、心に壁があるほどそれは難しい。
二人の間にある壁は、一枚ではない。
自分と相手、それぞれ一枚ずつ、壁を持っている。
そもそも警戒心によって、自分を守る為に壁があるのだから、「中身を確認して、それで大丈夫だったら、壁を取り払うね」ということが出来ない。
「壁があるからこそ、中身を見ることができない」のだから。
とにもかくにも、言葉に限らず、あらゆる表現という表現は全て器であるということ。
その器の中にある思いは、器に感じたイメージとはほど遠い可能性があるということ。
人と人がコミュニケーションを取るうえで、これを知ってるのといないのでは、だいぶ人生の質が異なってくる。
……といった言葉(器)に、「この本が無事出版された暁には、買ってね♡」という思い(中身)を入れてお届けする、本日の更新です。
【トークライブ・インフォメーション】
ソロライブ in 福岡&熊本
昨年の5月以来、久しぶりとなる福岡、熊本でのお話会。
開催はいよいよ今週末となりました。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。
◎2月21日(土)14:00~ 福岡
◎2月22日(日)14:00~ 熊本
*****
ソロライブ in 伊勢
黒斎くん、三重県初上陸!
ということで、初めて伊勢へのお誘いをいただきました。
今回は、「はじめまして!」のエリアでおなじみの、参加型スライドショーイベントを予定しております。
お申し込み・お問い合わせは下記リンク先(主催/風と空と星さま)をご覧ください。
◎3月1日(日)14:00~ 伊勢
*****
平日のお話会「月イチ☆」(東京開催)
◎2月20日(金)19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(京都開催)
◎2月26日(木)19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」(名古屋開催)
◎2月27日(金)19:30スタート [詳細・お申し込み]
←これもまた、「ある思い」の器。その思い、感じていただけますか?
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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しゃべれば しゃべるで しゃべったどって しゃべらいるし
しゃべねば しゃべねで しゃべれどって しゃべらいるし
どうせ しゃべらいるんだば
しゃべねで しゃべねって しゃべらいより
しゃべって しゃべったって しゃべらいる方がいんでねが
(太古の昔より東北に伝わる深遠なる教え)
まぁ、そんな気持ちでこうしてなんやかんやとしゃべり続けているわけではありますが、やはりしゃべればしゃべるで、どうしゃべるのかが、なんとも難しいのでございます。
実はここのところ、一冊の本の編集にあたっている最中でして。
昨年末、翻訳家の山川紘矢さん・亜希子さんご夫妻と対談をさせていただく機会を頂戴したんですね。
それを本にしようという企画で、ただいまシコシコとまとめているところなのですが、それがまぁ、なかなかに大変で。
コンテンツとしては、もう話終わっているわけですから、あとは活字に起こしゃいいだけじゃないの、と思っていたのですが、編集をはじめて見ると、そんなもんじゃないんだな、ということを目の当たりにしています。
なんといいますか、話し言葉をそのまま活字に起こしてみたら、とんでもないことになっちゃったんですね。
「おいおい、俺、そんなこと言ってねーぞ!」的なことが多々ありまして。
でも、実際にそのとき録音されたときの声を聞き直してみると、確かに言ってるんですわ(笑)。
でも、その「言っている言葉」は、「書かれている言葉」と、同じようでいて、中身が全然違って感じられるんですね。
ああ、声と活字では、こんなにも印象が異なってしまうのか、と。
まして、一度自分自身が話した内容にも関わらず、それが音からビジュアルになっただけで、こんなに違ってしまうか、と。
人間関係のトラブルの中には、「言った、言わない」みたいなものも見受けられますが、その多くは、やはり発信者は「言っていない」ことが多いんじゃないかと思いました。
「確かにそういう表現をしたかもしれないけど、そういう意味で言ったんじゃないんだもん!」というね。
いつも感じることながら、「思い」を「思い」のまま渡すのは、その二人の間に壁があると、途端に難しくなっちゃうんだよね。
なかなか、以心伝心で理解しあえるっていうのは難しい。
「思い」というその「中身」を渡すため、届けるために「言葉」という「器」を用意するんだけど、渡された方は「中身」よりも先に「器」に触れざるを得ないから、そこで一度イメージが固定されてしまう。
場合によっては、その器のせいで、中身を見たくなくなるかもしれない。
逆に、その「器」があまりに素晴らしすぎると、器ばかりありがたがられて、中身を見てもらえないかもしれない。
さらには、器と中身が、まるで逆になっている場合だって、ある。
たとえば、「大好き!」という思い(中身)を、「バカ!」という言葉(器)で渡すことだってできる。
その場合、「大好き」という中身を、そのまま「大好き」という器で渡すよりも、ちょっとした深みが感じられることもある。
でもこれが、「その言葉が発せられたときのシチュエーション」や「しぐさや表情」なんかが全部そぎ落とされて、「バカ!」という言葉だけが残ってしまったのだとしたら、もうその器の中を覗きたいとは思えないかも知れない。
相手に対する信頼や好奇心があるなら、器の中身を覗くことは難しくない。
でも、そもそも信頼していない人、関心の無い人などが渡してきた器なら、その中身をわざわざ見たいとも思わないだろう。
人と人が言葉を交わすとき。
中身にそった器で渡すこともできる。
中身とギャップのある器で渡して、サプライズを狙うこともできる。
中身を入れずに、器だけを渡すこともできる。
器が無くても中身を受け取れる感性があれば問題はないのだけれど、心に壁があるほどそれは難しい。
二人の間にある壁は、一枚ではない。
自分と相手、それぞれ一枚ずつ、壁を持っている。
そもそも警戒心によって、自分を守る為に壁があるのだから、「中身を確認して、それで大丈夫だったら、壁を取り払うね」ということが出来ない。
「壁があるからこそ、中身を見ることができない」のだから。
とにもかくにも、言葉に限らず、あらゆる表現という表現は全て器であるということ。
その器の中にある思いは、器に感じたイメージとはほど遠い可能性があるということ。
人と人がコミュニケーションを取るうえで、これを知ってるのといないのでは、だいぶ人生の質が異なってくる。
……といった言葉(器)に、「この本が無事出版された暁には、買ってね♡」という思い(中身)を入れてお届けする、本日の更新です。
【トークライブ・インフォメーション】
ソロライブ in 福岡&熊本
昨年の5月以来、久しぶりとなる福岡、熊本でのお話会。
開催はいよいよ今週末となりました。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。
◎2月21日(土)14:00~ 福岡
◎2月22日(日)14:00~ 熊本
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ソロライブ in 伊勢
黒斎くん、三重県初上陸!
ということで、初めて伊勢へのお誘いをいただきました。
今回は、「はじめまして!」のエリアでおなじみの、参加型スライドショーイベントを予定しております。
お申し込み・お問い合わせは下記リンク先(主催/風と空と星さま)をご覧ください。
◎3月1日(日)14:00~ 伊勢
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平日のお話会「月イチ☆」(東京開催)
◎2月20日(金)19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「月イチ☆WEST」(京都開催)
◎2月26日(木)19:30スタート [詳細・お申し込み]
平日のお話会「でら☆月イチ」(名古屋開催)
◎2月27日(金)19:30スタート [詳細・お申し込み]
←これもまた、「ある思い」の器。その思い、感じていただけますか?
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