いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
ダルマとカルマ.3
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
どうもね!
最近みんなどう?
割り箸、「ニッ」ってやってる?
確定申告済んだ?
笑ってね!
気ぃ遣ってね!(Hi-Hiの上田浩二郎チックに)
*****
と、いうことで、お待たせしました。「カルマのプログラムの影響を受けないようにするには」という具体的なお話を進めてまいりますが、結論はこれまでお話してきた通りです。
実は、ビックリするぐらい単純な話で。
単純すぎるので、逆になかなか信じてもらえません(笑)
一つ。
深呼吸を習慣にしましょう。(「吐ききること」と「安定した深い呼吸」がポイント)
二つ。
笑いましょう。(割り箸メソッド or 幸せマントラ「ウイスキー」)
三つ。
満たされていないことではなく、満たされていることにフォーカスを向けてみましょう。(幸せな状況があるから幸せになるのではなく、幸せであるからこそ幸せな状況が訪れる)
四つ。
「思考」と「意識」の違いを知りましょう。
まずは、この四つだけ。
で、コレを踏まえて、さらに話を進めてみましょう。
以前から何度かお話している通り、「自我」というのは、「思考」とほぼイコールです。
で、「思考」から離れることによって、「ダルマ」の流れを掴む感覚を養うことができます。
とはいえ、「自我」や「思考」の存在が悪なのではありません。
前々回お話したとおり、この存在は、宇宙が「自由」「遊び」を経験するために必要なものだからです。
しかしながら、この「自由」と「遊び」は、神が実現できなかった「最善以外」を拡大することで生まれた要素。
その仕組みに気づけなければ、単純に「苦」を生きる事になります。
「思考」することが悪なのではなく、「思考」に主導権を握られている状態(自覚のないまま、固定化された思考・認識反応が自動的に発動している状態)が、苦を招くというだけの話です。
その自動反応に飲み込まれることなく、自覚をもって「思考」を選択できるのであれば、「自我」は自由と遊びを経験する上で、とてもすぐれたツールになります。
というか、神(高次のアナタ)に「決して触れてはならぬ」と言われていたファイルを開くまでは、自我(カルマプログラム)はそのようなカタチで健全に機能していました。
昨今「アセンション」と呼ばれている流れは、「意識の進化」というよりは、この本来のあるべきバランスに戻ろうとしている動きです。
このことは、後日また改めて話すとして、ダルマとカルマの話に戻りましょう。
端的に話すと語弊もあるかとは思いますが、あえてシンプルに話すと、人間は長らく、カルマプログラムを利用するのではなく、完全にカルマプログラムに飲み込まれて(逆に利用されるカタチとなって)、ダルマの流れを完全に見失っている状態でした。
先人たちが、「汝自身を知れ」という言葉や「瞑想」などを通じて示していたモノは、カルマプログラムの発動を抑え、ダルマの流れを再確認することを促したものです。
「カルマの精算」「カルマの浄化」などといった言葉によって、「カルマは消して無くせるモノ」というイメージがありますが、実はそうではありません。
カルマは消えてなくなりはしません。これは、そういう性質のものではないんです。
とても話し方が難しいのですが、少し、チャレンジしてみます。
まずは、「自我(他と分離して存在している私がいる)」という感覚自体が幻想で、本当は「個人(個的魂)」というものが存在していないため、「個人的なカルマ」というものも、本当は存在していません。
言ってみれば、カルマは生命エネルギー同様、全存在が「共有しているプログラム」です。
だから、「個人的に抱えているカルマの量」というものはありません。
「あの人は多くのカルマを抱えている」「あの人はほとんどカルマがない」というようなことではないんです。
そうではなく、現象界のレベルにおいての「個人」という、この感覚において、「どれだけカルマプログラムの影響を受けているか」という話なんです。
だから、先のセリフを言い換えるなら、
「あの人はカルマプログラムの影響をとても受けている」「あの人はほとんど影響を受けない」という感じです。
でもって、カルマは、あくまで「プログラム」。
存在しているようで、実在はしません。
アナタのパソコンや携帯電話には、インターネットを楽しむためのブラウザー(プログラム)がありますが、そのアプリケーションプログラムを発動しなければ、このブログも閲覧することはできません。
カルマもコレと同じです。
プログラムとしては存在していても、それを起動・発動・運用しなければ、ないも同然です。
「影響を受けるか否か」以前に、プログラム自体を走らせなければいいんです。
で、その「カルマプログラムが発動していない状態」がいわゆる『瞑想状態』です。
「何か」を「しよう」としたとき、プログラムが動き出します。
「何か」がアプリケーションで、「しよう」がダブルクリックです。
だから「瞑想をしよう」とすると、自分の中にある観念上の「きっとこれが瞑想だアプリ」が起動してしまいます。
では、このジレンマを脱し、瞑想状態(カルマプログラムが動いていない状態)に入るには。
それが冒頭にお話した「思考と意識の違いを知る」ということに繋がります。
これも、説明の仕方が難しいので、とりあえずポイントを箇条書きにしてみます。
どうか、ニュアンスを掴んでみてください。
1.「思考」はカルマ寄り、「意識」はダルマ寄りのポジションにあります。
2.「思考」は、精神世界系の書籍では、「マインド」という言葉で書かれているものです。
3.とにかく「思考」は、常時僕たちの頭の中にある声、考え(言葉や計算の数々)です。
4.頭の中から言葉が消えれば、そのまま「マインド」が無くなります。
5.「意識」は、いうなれば僕たちの「存在感」のことです。思考や五感が閉ざされたとしても残るであろう、「(私が)ある」という感覚。その一番純粋な存在感のことです。
6.普段の僕たちは、「思考」と、「意識(存在感)」のポジションが結びついています。
7.「思考」を止めることに注意をむけるよりも、「意識(存在感)」のポジションをスライドして、「思考」と「意識」の結びつきを解いてあげる方が、瞑想の感覚を掴みやすいです。
では、どうやって「意識」のポジションをスライドするのか。
その一つが『感じる』というものです。
以前からお話しているように、僕たちの脳は、感じることと考えることを同時にすることができません。
つまり、「感じる」ということによって、自然と「考えられない(マインドが働かない)」という状態になるんです。
で、阿部さんのブログなどでも、度々紹介されますよね。
「耳をすます」というのがその一つです。
「感じる」といっても、色々ありますが、瞑想(いまに帰る)という感覚を求めるのであれば、聴覚をオススメします。
これは、脳波と関連するお話なのですが、視覚(光)や触覚(刺激)などの情報は、ベータ波(緊張)と結びつきやすく、聴覚はシータ波(リラックス)と連動しやすい傾向があるそうです。
もちろん、音の質にもよると思いますが。(でも、大音量のカラオケボックスでグッスリってこともあるからね)
で、耳をすますときのポイントは「聞くこと」ではなく「すますこと」にあります。
「聞く」というのは「これは何の音」「好きな音」「うるさい」など「情報として捉えようとする」ということになりがちです。
だから耳はすましても、聞かないでください。
ムーディ勝山の如く、右から来たものを左へ受け流してください。
そして、もう一つは「呼吸」です。
普段無意識になっている「呼吸」に意識を向け、呼吸を感じてみてください。
呼吸はいつもの感じでかまいません。数える必要もありません。ただ、感じていてください。
そのことによって、自然と思考と離れているときの感覚を養うことができます。
で、次回は、ここ何度か「月イチ☆」でご紹介しているメソッド、「ペットボトル瞑想」をご紹介したいと思います。
【ライブ・インフォメーション】
阿部さんと一緒に札幌へ行きます!
◎4月15日(日) 阿雲の呼吸 in 札幌
今回の会場は、これまでの「札幌市教育文化会館」から「アスティ45」に変わっていますので、ご来場の際はご注意を。
詳しくは阿部さんのブログにて。
※4月の「月イチ☆」のチケットは、お陰様で完売となっております。
5月は23日(水)を予定しています。受付の準備が整い次第、改めてお知らせします。
←どうもね!押してね!気ぃ遣ってね!
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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どうもね!
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割り箸、「ニッ」ってやってる?
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笑ってね!
気ぃ遣ってね!(Hi-Hiの上田浩二郎チックに)
*****
と、いうことで、お待たせしました。「カルマのプログラムの影響を受けないようにするには」という具体的なお話を進めてまいりますが、結論はこれまでお話してきた通りです。
実は、ビックリするぐらい単純な話で。
単純すぎるので、逆になかなか信じてもらえません(笑)
一つ。
深呼吸を習慣にしましょう。(「吐ききること」と「安定した深い呼吸」がポイント)
二つ。
笑いましょう。(割り箸メソッド or 幸せマントラ「ウイスキー」)
三つ。
満たされていないことではなく、満たされていることにフォーカスを向けてみましょう。(幸せな状況があるから幸せになるのではなく、幸せであるからこそ幸せな状況が訪れる)
四つ。
「思考」と「意識」の違いを知りましょう。
まずは、この四つだけ。
で、コレを踏まえて、さらに話を進めてみましょう。
以前から何度かお話している通り、「自我」というのは、「思考」とほぼイコールです。
で、「思考」から離れることによって、「ダルマ」の流れを掴む感覚を養うことができます。
とはいえ、「自我」や「思考」の存在が悪なのではありません。
前々回お話したとおり、この存在は、宇宙が「自由」「遊び」を経験するために必要なものだからです。
しかしながら、この「自由」と「遊び」は、神が実現できなかった「最善以外」を拡大することで生まれた要素。
その仕組みに気づけなければ、単純に「苦」を生きる事になります。
「思考」することが悪なのではなく、「思考」に主導権を握られている状態(自覚のないまま、固定化された思考・認識反応が自動的に発動している状態)が、苦を招くというだけの話です。
その自動反応に飲み込まれることなく、自覚をもって「思考」を選択できるのであれば、「自我」は自由と遊びを経験する上で、とてもすぐれたツールになります。
というか、神(高次のアナタ)に「決して触れてはならぬ」と言われていたファイルを開くまでは、自我(カルマプログラム)はそのようなカタチで健全に機能していました。
昨今「アセンション」と呼ばれている流れは、「意識の進化」というよりは、この本来のあるべきバランスに戻ろうとしている動きです。
このことは、後日また改めて話すとして、ダルマとカルマの話に戻りましょう。
端的に話すと語弊もあるかとは思いますが、あえてシンプルに話すと、人間は長らく、カルマプログラムを利用するのではなく、完全にカルマプログラムに飲み込まれて(逆に利用されるカタチとなって)、ダルマの流れを完全に見失っている状態でした。
先人たちが、「汝自身を知れ」という言葉や「瞑想」などを通じて示していたモノは、カルマプログラムの発動を抑え、ダルマの流れを再確認することを促したものです。
「カルマの精算」「カルマの浄化」などといった言葉によって、「カルマは消して無くせるモノ」というイメージがありますが、実はそうではありません。
カルマは消えてなくなりはしません。これは、そういう性質のものではないんです。
とても話し方が難しいのですが、少し、チャレンジしてみます。
まずは、「自我(他と分離して存在している私がいる)」という感覚自体が幻想で、本当は「個人(個的魂)」というものが存在していないため、「個人的なカルマ」というものも、本当は存在していません。
言ってみれば、カルマは生命エネルギー同様、全存在が「共有しているプログラム」です。
だから、「個人的に抱えているカルマの量」というものはありません。
「あの人は多くのカルマを抱えている」「あの人はほとんどカルマがない」というようなことではないんです。
そうではなく、現象界のレベルにおいての「個人」という、この感覚において、「どれだけカルマプログラムの影響を受けているか」という話なんです。
だから、先のセリフを言い換えるなら、
「あの人はカルマプログラムの影響をとても受けている」「あの人はほとんど影響を受けない」という感じです。
でもって、カルマは、あくまで「プログラム」。
存在しているようで、実在はしません。
アナタのパソコンや携帯電話には、インターネットを楽しむためのブラウザー(プログラム)がありますが、そのアプリケーションプログラムを発動しなければ、このブログも閲覧することはできません。
カルマもコレと同じです。
プログラムとしては存在していても、それを起動・発動・運用しなければ、ないも同然です。
「影響を受けるか否か」以前に、プログラム自体を走らせなければいいんです。
で、その「カルマプログラムが発動していない状態」がいわゆる『瞑想状態』です。
「何か」を「しよう」としたとき、プログラムが動き出します。
「何か」がアプリケーションで、「しよう」がダブルクリックです。
だから「瞑想をしよう」とすると、自分の中にある観念上の「きっとこれが瞑想だアプリ」が起動してしまいます。
では、このジレンマを脱し、瞑想状態(カルマプログラムが動いていない状態)に入るには。
それが冒頭にお話した「思考と意識の違いを知る」ということに繋がります。
これも、説明の仕方が難しいので、とりあえずポイントを箇条書きにしてみます。
どうか、ニュアンスを掴んでみてください。
1.「思考」はカルマ寄り、「意識」はダルマ寄りのポジションにあります。
2.「思考」は、精神世界系の書籍では、「マインド」という言葉で書かれているものです。
3.とにかく「思考」は、常時僕たちの頭の中にある声、考え(言葉や計算の数々)です。
4.頭の中から言葉が消えれば、そのまま「マインド」が無くなります。
5.「意識」は、いうなれば僕たちの「存在感」のことです。思考や五感が閉ざされたとしても残るであろう、「(私が)ある」という感覚。その一番純粋な存在感のことです。
6.普段の僕たちは、「思考」と、「意識(存在感)」のポジションが結びついています。
7.「思考」を止めることに注意をむけるよりも、「意識(存在感)」のポジションをスライドして、「思考」と「意識」の結びつきを解いてあげる方が、瞑想の感覚を掴みやすいです。
では、どうやって「意識」のポジションをスライドするのか。
その一つが『感じる』というものです。
以前からお話しているように、僕たちの脳は、感じることと考えることを同時にすることができません。
つまり、「感じる」ということによって、自然と「考えられない(マインドが働かない)」という状態になるんです。
で、阿部さんのブログなどでも、度々紹介されますよね。
「耳をすます」というのがその一つです。
「感じる」といっても、色々ありますが、瞑想(いまに帰る)という感覚を求めるのであれば、聴覚をオススメします。
これは、脳波と関連するお話なのですが、視覚(光)や触覚(刺激)などの情報は、ベータ波(緊張)と結びつきやすく、聴覚はシータ波(リラックス)と連動しやすい傾向があるそうです。
もちろん、音の質にもよると思いますが。(でも、大音量のカラオケボックスでグッスリってこともあるからね)
で、耳をすますときのポイントは「聞くこと」ではなく「すますこと」にあります。
「聞く」というのは「これは何の音」「好きな音」「うるさい」など「情報として捉えようとする」ということになりがちです。
だから耳はすましても、聞かないでください。
ムーディ勝山の如く、右から来たものを左へ受け流してください。
そして、もう一つは「呼吸」です。
普段無意識になっている「呼吸」に意識を向け、呼吸を感じてみてください。
呼吸はいつもの感じでかまいません。数える必要もありません。ただ、感じていてください。
そのことによって、自然と思考と離れているときの感覚を養うことができます。
で、次回は、ここ何度か「月イチ☆」でご紹介しているメソッド、「ペットボトル瞑想」をご紹介したいと思います。
【ライブ・インフォメーション】
阿部さんと一緒に札幌へ行きます!
◎4月15日(日) 阿雲の呼吸 in 札幌
今回の会場は、これまでの「札幌市教育文化会館」から「アスティ45」に変わっていますので、ご来場の際はご注意を。
詳しくは阿部さんのブログにて。
※4月の「月イチ☆」のチケットは、お陰様で完売となっております。
5月は23日(水)を予定しています。受付の準備が整い次第、改めてお知らせします。
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ダルマとカルマ.2
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
おまっとさんでした!
すいません。前回の更新から一週間以上が過ぎてしまいました。
「続く」とは書いたものの……いやはや、その続きが、どうにも言語化できずにおりましてね、なんと言いますか、どんな言葉をあてても、どこかしっくりこないんですよ。
(-公-;) うーん。すごくシンプルなことなんだけど……
とはいえ、さすがにこのままでは、いつまで経っても更新できなさそうな気がするので、書いてみます。
《前回の要点》
「ダルマ」という名の、最善・最良の流れ。
それは最善で最良であるがゆえ、いわば、神々の意識が司る宇宙の流れです。
そして、最善で最良であるがゆえ、その流れには「選択肢」がありません。
そう。神々の世界には、「選択する」という概念がないのです。
*****
( ̄д ̄ ) 「で、神々が出来なかった、その『選択』を経験するために『この世』があると。そういうことですね」
(  ̄Д ̄) 『そう。その「この世」っていうのは、つまりは「分離意識」によって認識される次元のことだね。
だって「何かを選ぶ」というのなら、その「何か」がなければ選択できないものね。
「アレ」と「コレ」という比較できる状態があって初めて「選択」だものな。
全体意識の存在レベル(分離のない世界)に「選択」が存在しないのは当然だろ』
( ̄д ̄ ) 「なるほど。たしかに言われてみればそーですよね」
(  ̄Д ̄) 『というわけで、「カルマ」はいわば「選択を可能にするために生まれたプログラム」ってことなんだな』
( ̄д ̄;) 「でも、そうしてそのプログラムで『選択』が可能になったということを裏返すと、『最善・最良(ダルマ)以外の流れが生じた』ということであって、それはつまり、僕たち人間にとっては非常に辛い状況ですよね」
(  ̄Д ̄) 『だからこそ釈迦は「人生(分離意識世界)は苦(ドゥッカ・思い通りにならない)」と説いたんだ。
自我(カルマというプログラム下にある意識)と同一化している限り、思い通りになるはずがない。
だからこそ、究極の至福に行き着くには「我を滅するしかない」、つまり「カルマプログラムの外に出るしかないのだ」となるわけだ』
( ̄д ̄ ) 「ということは、やはりカルマは悪なのでしょうか?」
(  ̄Д ̄) 『その質問の答えは、どのようにも答えることが出来る。
「その通り」と言うこともできるし、「悪ではなく善である」と言うこともできるし、「質問自体がナンセンスである」と答えることもできる。
さて、どれがいい?』
( ̄▽ ̄;) 「って、選択の自由……」
(  ̄Д ̄) 『だってさ、その質問自体がカルマのプログラム下で生まれているんだから、正確に「コレだ!」って答えるわけにいかないじゃないか。
そもそも「善か悪か?」っていうその質問に、すでに「善と悪」という比較対象、「分離」が生まれているんだから。
どの次元に立って答えるかで、話は全然違うモノになるさ。
ま、とにかくお前(分離意識)の立場からみたら、カルマの影響を受ければ受けるほど、「人生が思い通りにならず、絶えずストレスにまみれ、軋轢と摩擦の中で生きる」ということになるのだから、素直に考えたら、答えは簡単だろう』
( ̄▽ ̄;) 「はい。もう、ストレスも軋轢も摩擦も嫌です」
(  ̄Д ̄) 『それとね、今の質問の背景に、お前の「カルマ」に対しての誤解が見えたから、その事も少し話しておこう』
( ̄д ̄ ) 「え? 誤解って、なんです?」
(  ̄Д ̄) 『お前は「カルマ」のことを、どこか「ダルマの反対」みたいなニュアンスで考えてるだろう?」
( ̄д ̄;) 「え、ええ。反対と言うか何と言うか…、まぁ、確かに『カルマ=反(アンチ)ダルマ』って感じですかね」
(  ̄Д ̄) 『だろ。でもな、カルマは「ダルマに背くプログラム」じゃないんだよ。
どちらかと言うと「ダルマを見失うプログラム」なんだ』
( ̄д ̄;) 「んん?」
(  ̄Д ̄) 『カルマの影響を受けていれば、すべてが上手く進まないのかと言えばそうじゃない。
カルマの影響を受けるってのは、ただ「何が最善・最良なのかわからない」ってことなんだ。
だから、その選択によって、スムーズに進むこともあれば、進まないときもある』
Σ( ̄Д ̄;) 「ああ!そういうこと!」
(  ̄Д ̄) 『うん。そういうこと。
と、いうことで、今度は「カルマのプログラムの影響を受けないようにするには」、という具体的な話に進むとしよう』
……つづく。
【ライブ・インフォメーション】
告知が遅くなってごめんなさい!
「阿雲の呼吸」札幌開催の受付が始まっております!
◎4月15日(日) 阿雲の呼吸 in 札幌
今回の会場は、これまでの「札幌市教育文化会館」から「アスティ45」に変わっていますので、ご来場の際はご注意を。
詳しくは阿部さんのブログにて。
また、三鷹での「月イチ☆」4月開催分の受付も開始しております。
◎4月27日(金) 平日のお話会「月イチ☆」
※詳しくは【こちら】(携帯からお申し込みの方は【こちら】)
【インフォメーション】
明日3月18日(日)はいよいよ、人生初のサイン会です。
いや、まさか、ホントに僕がサイン会をするだなんて、思ってもみませんでした。
なんだか、とっても妙な気分です(笑)
実は密かに「僕のサイン会なんかで、ホントに人が集まるんだろうか?」って、不安がっていたりしますので、お暇がありましたら、是非遊びに来てください。
リブロ池袋本店さんで、午後2時からです。(詳しくはこちら)
どうぞよろしく<(_ _ )>
←ストレスも軋轢も摩擦も嫌です。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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おまっとさんでした!
すいません。前回の更新から一週間以上が過ぎてしまいました。
「続く」とは書いたものの……いやはや、その続きが、どうにも言語化できずにおりましてね、なんと言いますか、どんな言葉をあてても、どこかしっくりこないんですよ。
(-公-;) うーん。すごくシンプルなことなんだけど……
とはいえ、さすがにこのままでは、いつまで経っても更新できなさそうな気がするので、書いてみます。
《前回の要点》
「ダルマ」という名の、最善・最良の流れ。
それは最善で最良であるがゆえ、いわば、神々の意識が司る宇宙の流れです。
そして、最善で最良であるがゆえ、その流れには「選択肢」がありません。
そう。神々の世界には、「選択する」という概念がないのです。
*****
( ̄д ̄ ) 「で、神々が出来なかった、その『選択』を経験するために『この世』があると。そういうことですね」
(  ̄Д ̄) 『そう。その「この世」っていうのは、つまりは「分離意識」によって認識される次元のことだね。
だって「何かを選ぶ」というのなら、その「何か」がなければ選択できないものね。
「アレ」と「コレ」という比較できる状態があって初めて「選択」だものな。
全体意識の存在レベル(分離のない世界)に「選択」が存在しないのは当然だろ』
( ̄д ̄ ) 「なるほど。たしかに言われてみればそーですよね」
(  ̄Д ̄) 『というわけで、「カルマ」はいわば「選択を可能にするために生まれたプログラム」ってことなんだな』
( ̄д ̄;) 「でも、そうしてそのプログラムで『選択』が可能になったということを裏返すと、『最善・最良(ダルマ)以外の流れが生じた』ということであって、それはつまり、僕たち人間にとっては非常に辛い状況ですよね」
(  ̄Д ̄) 『だからこそ釈迦は「人生(分離意識世界)は苦(ドゥッカ・思い通りにならない)」と説いたんだ。
自我(カルマというプログラム下にある意識)と同一化している限り、思い通りになるはずがない。
だからこそ、究極の至福に行き着くには「我を滅するしかない」、つまり「カルマプログラムの外に出るしかないのだ」となるわけだ』
( ̄д ̄ ) 「ということは、やはりカルマは悪なのでしょうか?」
(  ̄Д ̄) 『その質問の答えは、どのようにも答えることが出来る。
「その通り」と言うこともできるし、「悪ではなく善である」と言うこともできるし、「質問自体がナンセンスである」と答えることもできる。
さて、どれがいい?』
( ̄▽ ̄;) 「って、選択の自由……」
(  ̄Д ̄) 『だってさ、その質問自体がカルマのプログラム下で生まれているんだから、正確に「コレだ!」って答えるわけにいかないじゃないか。
そもそも「善か悪か?」っていうその質問に、すでに「善と悪」という比較対象、「分離」が生まれているんだから。
どの次元に立って答えるかで、話は全然違うモノになるさ。
ま、とにかくお前(分離意識)の立場からみたら、カルマの影響を受ければ受けるほど、「人生が思い通りにならず、絶えずストレスにまみれ、軋轢と摩擦の中で生きる」ということになるのだから、素直に考えたら、答えは簡単だろう』
( ̄▽ ̄;) 「はい。もう、ストレスも軋轢も摩擦も嫌です」
(  ̄Д ̄) 『それとね、今の質問の背景に、お前の「カルマ」に対しての誤解が見えたから、その事も少し話しておこう』
( ̄д ̄ ) 「え? 誤解って、なんです?」
(  ̄Д ̄) 『お前は「カルマ」のことを、どこか「ダルマの反対」みたいなニュアンスで考えてるだろう?」
( ̄д ̄;) 「え、ええ。反対と言うか何と言うか…、まぁ、確かに『カルマ=反(アンチ)ダルマ』って感じですかね」
(  ̄Д ̄) 『だろ。でもな、カルマは「ダルマに背くプログラム」じゃないんだよ。
どちらかと言うと「ダルマを見失うプログラム」なんだ』
( ̄д ̄;) 「んん?」
(  ̄Д ̄) 『カルマの影響を受けていれば、すべてが上手く進まないのかと言えばそうじゃない。
カルマの影響を受けるってのは、ただ「何が最善・最良なのかわからない」ってことなんだ。
だから、その選択によって、スムーズに進むこともあれば、進まないときもある』
Σ( ̄Д ̄;) 「ああ!そういうこと!」
(  ̄Д ̄) 『うん。そういうこと。
と、いうことで、今度は「カルマのプログラムの影響を受けないようにするには」、という具体的な話に進むとしよう』
……つづく。
【ライブ・インフォメーション】
告知が遅くなってごめんなさい!
「阿雲の呼吸」札幌開催の受付が始まっております!
◎4月15日(日) 阿雲の呼吸 in 札幌
今回の会場は、これまでの「札幌市教育文化会館」から「アスティ45」に変わっていますので、ご来場の際はご注意を。
詳しくは阿部さんのブログにて。
また、三鷹での「月イチ☆」4月開催分の受付も開始しております。
◎4月27日(金) 平日のお話会「月イチ☆」
※詳しくは【こちら】(携帯からお申し込みの方は【こちら】)
【インフォメーション】
明日3月18日(日)はいよいよ、人生初のサイン会です。
いや、まさか、ホントに僕がサイン会をするだなんて、思ってもみませんでした。
なんだか、とっても妙な気分です(笑)
実は密かに「僕のサイン会なんかで、ホントに人が集まるんだろうか?」って、不安がっていたりしますので、お暇がありましたら、是非遊びに来てください。
リブロ池袋本店さんで、午後2時からです。(詳しくはこちら)
どうぞよろしく<(_ _ )>
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ダルマとカルマ
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
ところで、深呼吸、続けられていますか?
元々できていた人にとっては、なんてことない話ですが、意外と呼吸が上手く出来なくなっている人も多いので、そういう人なら特にその効果がわかってもらえると思います。
呼吸が楽になって声に深みが出てきたり、ため息の数が減ってきたり、背筋がしゃんっとしてきたり、肩こりが軽くなったり、行動や判断に落ち着きが現れたり。
あと、これはね、どうしても科学的にも医学的にも根拠が示せないものなので、断言するのは難しいんですけど、不思議と嬉しい出来事やラッキーなことが顕著に表れだしたりもします。
と、いうことで。
なぜ呼吸を整えることで嬉しい出来事が増えるのか、今日はその仕組みについて書いてみたいと思います。
今から2年ほど前、「無意識を意識することの大切さ」についてお話したことがあるのですが、覚えていますか?
覚えてない? こんな感じのヤツ。
*****
(  ̄Д ̄) 『なぁ黒斎。わたしとコンタクトを円滑にするための秘訣を一つ教えてあげよう』
Σ( ̄д ̄ ) 「え!なになに!!秘訣ってあるの!?」
(  ̄Д ̄) 『あるよ。「呼吸」を意識するようにしてごらん』
( ̄д ̄ ) 「呼吸?」
(  ̄Д ̄) 『そう。呼吸。』
( ̄д ̄ ) 「なんで呼吸なの?」
(  ̄Д ̄) 『わたしはね、お前の「無意識」の領域にいるんだ。だから、私とコンタクトを取るためには、「無意識」を意識しなきゃならない』
( ̄д ̄;) 「え?なにそれ。意味がわからないよ」
(  ̄Д ̄) 『なんで?』
( ̄д ̄;) 「だって、“無意識”を意識したら、その時点で“意識”になっちゃうじゃん」
(  ̄Д ̄) 『そんな風に難しく考えないで、まずはやってみなよ』
( ̄д ̄;) 「まぁ、やってみるけど…。でも、その“無意識を意識すること”と“呼吸”に、なんの関係が?」
(  ̄Д ̄) 『「呼吸」はね、人間が「無意識を意識すること」が出来る方法の一つなんだ』
( ̄д ̄ ) 「???」
(  ̄Д ̄) 『お前は普段、「呼吸」を意識して行っているかい?』
( ̄д ̄ ) 「う~ん。してることもあるけど、普段は意識してないね」
(  ̄Д ̄) 『だとしたら、お前が無意識でいるとき、誰が呼吸してるんだ?』
( ̄д ̄ ) 「???」
(  ̄Д ̄) 『お前の「無意識」の領域である私が息をしてるんだよ』
Σ( ̄д ̄;) 「そうなの!?」
(  ̄Д ̄) 『もし、呼吸をコントロールしているのが完全にお前だとしたら、お前が呼吸することを忘れていたらどうなるかね』
Σ( ̄д ̄;) 「死んじゃうね」
(  ̄Д ̄) 『だろ。じゃあさ、「人が亡くなる」ことを、別な言い方でなんと言うかね』
( ̄д ̄ ) 「死ぬ」
(; ̄Д ̄) 『いや、そうじゃなくて…』
Σ( ̄д ̄;) 「あ!“息を引き取る”だ!」
(  ̄Д ̄) 『その通り! お前が現象界からコチラへ戻るとき、お前の息を私が引き取るんだ』
( ̄д ̄ ) 「へぇ~」
(  ̄Д ̄) 『とにかく、「呼吸」は、意識してすることも出来るし、無意識ですることも出来る。だから、「無意識を意識する」ということを理解するのに、とても役立つんだよ』
*****
心を開き、高次とのアクセスを円滑にし、軋轢や摩擦のない、スムーズな流れを掴むには。
その要点の一つは、いかに無意識と意識の間に横たわるギャップを埋めていくか、ということです。
少々小難しい表現になりますが、上記のお話の続きを書いてみます。
(  ̄Д ̄) 『ここで言う「無意識と意識」は、いわゆる「潜在意識」と「顕在意識」のこと。
「潜在意識(全体意識)」は、源(ソース)サイドでの意識。「顕在意識(分離意識)」は自我サイドでの意識だ。
潜在意識と顕在意識、自分の意識がどちらに向いているかによって現実創造に関わるパワーバランスが変わる。
存在軸が潜在意識に近ければ、いわゆる「思い通り」という状態に、逆に、顕在意識にスライドすれば、「なぜこんなことに?」という、自覚のない状態で現象と向き合うことになる』
( ̄д ̄;) 「んん?もう少し詳しくお願いします」
(  ̄Д ̄) 『潜在意識は、常時、あるプログラムに基づいて働いているんだ。
それは「全存在のバランスを保つ最善の道を選択する(ダルマ)」という宇宙の基本法則。
宇宙は常に完璧な超バランスを保っており、そのバランスの中で流動している。潜在意識は、それに伴う流動エネルギーだ。
「全存在のバランスを保つ最善の道を選択する」とは言いつつも、「最善を」という前提が決まっているので、そこにはいわゆる「選択の自由(自由意志)」というものが存在しない。
だから、純粋な潜在意識(もしくは高次の領域)の動きには「自由」がないんだ。
そこで、だ。
宇宙が超バランスをとって動いている中で、その基本プログラムに反して行動できるものが一つだけ用意された。
「カルマ」と呼ばれるプログラムだ』
w( ̄Д ̄;)w 「!!!」
(  ̄Д ̄) 『「常に最善の道を流れる」というプログラム下にある全体意識(神)には「自由」がない。だからこそ、その経験を担う「何か」が必要になった。
「自由」を経験するには「選択する余地」、つまり、「最善の流れに背く(または無視する)」という動きが必要となるからね。
その、最善の流れに背く為のプログラムが「カルマ」であり、そのプログラムに基づいてカタチ作られたのが「現象界」や「自我」と呼ばれる分離意識なんだ。
だから、存在軸が「全体意識(プログラム:ダルマ)」にスライドすればスムーズな流れを、「分離意識(プログラム:カルマ)」にスライドすれば軋轢や摩擦を経験することになる』
……続く。
あー。ブログでこの書き方をするのは久しぶりだ(笑)
【ライブ・インフォメーション】
「降参(サレンダー)のススメ」出版記念と銘打ちまして、金沢で「阿雲の呼吸」を開催します。
◎3月20日(火・祝) 阿雲の呼吸 in 金沢
詳しくは阿部さんのブログにて。
【インフォメーション】
たくさんの応援ありがとうございます!
お陰様で「降参(サレンダー)のススメ」が、発売一週間で重版となりました。
ヾ(≧▽≦)ノ
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←選択の自由
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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ところで、深呼吸、続けられていますか?
元々できていた人にとっては、なんてことない話ですが、意外と呼吸が上手く出来なくなっている人も多いので、そういう人なら特にその効果がわかってもらえると思います。
呼吸が楽になって声に深みが出てきたり、ため息の数が減ってきたり、背筋がしゃんっとしてきたり、肩こりが軽くなったり、行動や判断に落ち着きが現れたり。
あと、これはね、どうしても科学的にも医学的にも根拠が示せないものなので、断言するのは難しいんですけど、不思議と嬉しい出来事やラッキーなことが顕著に表れだしたりもします。
と、いうことで。
なぜ呼吸を整えることで嬉しい出来事が増えるのか、今日はその仕組みについて書いてみたいと思います。
今から2年ほど前、「無意識を意識することの大切さ」についてお話したことがあるのですが、覚えていますか?
覚えてない? こんな感じのヤツ。
*****
(  ̄Д ̄) 『なぁ黒斎。わたしとコンタクトを円滑にするための秘訣を一つ教えてあげよう』
Σ( ̄д ̄ ) 「え!なになに!!秘訣ってあるの!?」
(  ̄Д ̄) 『あるよ。「呼吸」を意識するようにしてごらん』
( ̄д ̄ ) 「呼吸?」
(  ̄Д ̄) 『そう。呼吸。』
( ̄д ̄ ) 「なんで呼吸なの?」
(  ̄Д ̄) 『わたしはね、お前の「無意識」の領域にいるんだ。だから、私とコンタクトを取るためには、「無意識」を意識しなきゃならない』
( ̄д ̄;) 「え?なにそれ。意味がわからないよ」
(  ̄Д ̄) 『なんで?』
( ̄д ̄;) 「だって、“無意識”を意識したら、その時点で“意識”になっちゃうじゃん」
(  ̄Д ̄) 『そんな風に難しく考えないで、まずはやってみなよ』
( ̄д ̄;) 「まぁ、やってみるけど…。でも、その“無意識を意識すること”と“呼吸”に、なんの関係が?」
(  ̄Д ̄) 『「呼吸」はね、人間が「無意識を意識すること」が出来る方法の一つなんだ』
( ̄д ̄ ) 「???」
(  ̄Д ̄) 『お前は普段、「呼吸」を意識して行っているかい?』
( ̄д ̄ ) 「う~ん。してることもあるけど、普段は意識してないね」
(  ̄Д ̄) 『だとしたら、お前が無意識でいるとき、誰が呼吸してるんだ?』
( ̄д ̄ ) 「???」
(  ̄Д ̄) 『お前の「無意識」の領域である私が息をしてるんだよ』
Σ( ̄д ̄;) 「そうなの!?」
(  ̄Д ̄) 『もし、呼吸をコントロールしているのが完全にお前だとしたら、お前が呼吸することを忘れていたらどうなるかね』
Σ( ̄д ̄;) 「死んじゃうね」
(  ̄Д ̄) 『だろ。じゃあさ、「人が亡くなる」ことを、別な言い方でなんと言うかね』
( ̄д ̄ ) 「死ぬ」
(; ̄Д ̄) 『いや、そうじゃなくて…』
Σ( ̄д ̄;) 「あ!“息を引き取る”だ!」
(  ̄Д ̄) 『その通り! お前が現象界からコチラへ戻るとき、お前の息を私が引き取るんだ』
( ̄д ̄ ) 「へぇ~」
(  ̄Д ̄) 『とにかく、「呼吸」は、意識してすることも出来るし、無意識ですることも出来る。だから、「無意識を意識する」ということを理解するのに、とても役立つんだよ』
*****
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その要点の一つは、いかに無意識と意識の間に横たわるギャップを埋めていくか、ということです。
少々小難しい表現になりますが、上記のお話の続きを書いてみます。
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「潜在意識(全体意識)」は、源(ソース)サイドでの意識。「顕在意識(分離意識)」は自我サイドでの意識だ。
潜在意識と顕在意識、自分の意識がどちらに向いているかによって現実創造に関わるパワーバランスが変わる。
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また、北海道や沖縄などでは一部5日(月)となるお店もあるとは思いますが、徐々にお近くのお店にも並んでいくと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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