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※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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♪もぉ~~ い~くつ ね~る~とぉ~~~~ お~しょ~お~が~つぅ~~


早いですね~。今年もあと残すところ、たったの2日ですよ。


今年1年を振り返ってみますと、「伝説の熟女、牧原れい子さんのAV復帰」や「南波杏ちゃん・紅音ほたるちゃんをはじめとした、実力派AV女優の相次ぐ引退」をはじめ、衝撃的なニュースが相次いだ激動の年でしたね。







まぁ、そんな僕的10大ニュースはさておき、今年ももうすぐ終わりですよ。

ってことで、申し訳ございません。

「マトリックスシリーズ」の途中ではございますが、今年の更新は本日で終了とさせていただきます。

今年も1年、「あの世に聞いた、この世の仕組み」においで頂き誠にありがとうございました。

皆様からの応援コメントやお叱りの言葉、また、日々のランキングボタンのクリック等に支えられつつ、沢山のご縁を頂戴した1年でした。

来年は、この沢山のご縁を活用させていただき、「ブログ」というツール以外でも、皆様とお会いできる機会づくりを具体的に考えて行きたいと思っております。

来年も、本年同様どうぞよろしくお願い致します。


では、昨年に続き、今年もこの企画で幕を閉じたいと思います。

僕が日々お話しているあれこれが、もっと分かりやすく書かれている、ぜひともご一読いただきたい書籍を、各出版社の書評を添えてご紹介するこの企画…

ヾ(≧▽≦)ノ 「輝け! 第2回 黒斎が勝手に選ぶ、僕が好きな本大賞~!」


<黒斎レコメンドその1>

◎アルボムッレ・スマナサーラさんの本色々

Amazonで、著者名「アルボムッレ・スマナサーラ」を検索してみてください。
まぁ、出てくるわ出てくるわ。77件の書籍情報がヒットします。

以前も一度、この方の本をご紹介させて頂いた事がありますので、ご存じの方も多いかと思いますが、再度簡単にご紹介させていただきます。
この方、何者かと申しますと、お釈迦様の教えをまっすぐ今に伝える「スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)」の長老さんです。1991年の来日以来、日本において上座部仏教の教義、およびヴィパッサナー瞑想を普及させる上で、中心的な役割を果たしているスリランカ生まれのお坊さん。

僕が仏教を勉強する際、特に参考にさせてもらっているのがこのアルボムッレ・スマナサーラ長老の著書です。

僕の本棚の中で、一番場所を取っているのはこの方の本かもしれません。

何冊持ってるかな…まぁ、そこそこの数になるんですけどね、その中でも、これはよかったなぁというものを抜粋してご紹介したいと思います。

『仏教は心の科学』アルボムッレ・スマナサーラ著
宝島社 定価:1500円(税込)

これが仏教。幸福になる心の教え。

「生きること/死ぬこと」から「一切を貫く真理」までお釈迦さまの教えが、いきいきと語られる!話題の僧侶、スリランカ初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老による充実、圧巻の法話集。「仏教とは何か」「死後はあるのか」「生きること/死ぬこと」から「一切を貫く真理」まで、お釈迦さまの教えが、いきいきと語られます。養老孟司氏との対談『希望のしくみ』(宝島社新書)で提示された問題の数々は、本書でさらに丁寧に語られています。

上記の出版社からの紹介の通り、養老孟司さんとの対談をまとめた『希望のしくみ』と合わせてご覧頂くことをオススメします。
世に巣くう「仏教への誤った先入観」を払拭してくれる一冊です。


『まさか「老病死に勝つ方法」があったとは―ブッダが説く心と健康の因果法則』アルボムッレ・スマナサーラ著
サンガ 定価:1680円(税込)

生命の真理を語る珠玉の言葉

本書が、健康を願うすべての人々、なかでも、ガンをはじめとした難病で治療の方法もなく絶望感に襲われている人々、難病人を抱えその看病や対応に苦慮されているご家族や近親の人々のお役に立てるものと信じています。また、老化に脅え、死を畏怖する人々にも、まったく新しい不安解消の手引きとなることでしょう。さらに、本書を通じて読者のみなさんが、より根本的な人間存在の本質へと目を向けられ、お釈迦さまが説く真理の世界への扉を開かれることを願ってやみません。(「プロローグ」より)

はい。以前ご紹介したことのある本ですが、ここでも重ねてご紹介させて頂きます。
今現在、病に苦しまれている方、また、その方を見守るご家族、ご友人の皆様に手にとって頂きたい一冊です。
『老い』『病』『死』にどう向き合うべきか、どう対処すべきかを具体的に明らかにしてくれています。
この本は、単なる健康マニュアル本ではありません。また現代医学を否定する本でもありません。むしろ尊重しています。
しかし、いくら現代医学が発達しても、「病気と心」に対する考え方が間違っていては、健康を手に入れることはますます困難になってしまいます。
この本を通じて「病は気から」の本当の意味を見つけ出していただけたらと思います。


『ブッダ―大人になる道』アルボムッレ・スマナサーラ 著
ちくまプリマー新書 定価:798円(税込)

生きる力が湧いてくる

ブッダが唱えた原始仏教の言葉は、合理的でとってもクール。日常生活に役立つアドバイスがたくさん詰まっています。今日から実践して充実した毎日を生きよう。

この本は、アルボムッレ・スマナサーラ長老が、埼玉県の自由の森学園中学校・高等学校で行った授業と講演を書籍化したものです。
ですので、なまら読みやすい。めっさ分かりやすい。
先にご紹介した2冊をパラッとめくって、「どうも取っつきにくい…」となった方は、こちらをどうぞ。

この他にも、ホントにお薦めしたいものばかりです。
この方の著書で気になったものがありましたら、是非一度お手に取ってみてください。


<黒斎レコメンドその2>

『ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-』エックハルト・トール著
サンマーク出版 定価:2310円(税込)

全米580万部突破、世界37か国で翻訳、
アメリカ屈指のスピリチュアル・マスターによる
スーパーベストセラー、ついに邦訳!

21世紀に入り、人類はいまだかつてない危機に直面しています。それは地球温暖化による異常気象、世界各地で起こる戦争や紛争、発展途上国における飢饉や飢餓、先進国における経済や金融の破綻、治療法のいまだ見つからない疾病、グローバル化がもたらす格差と貧困、なくならないテロ、あるいはそれらによって疲弊する心と体。
このようなことは、すべてが人類に固有の「機能不全」と呼ばれる状態がひきおこしていると著者は言います。それはある種の集団的狂気とも呼べるようなもので、そして、ほとんどの人間の「ふつうの」精神状態にはたいていこの機能不全が含まれている、と。
では、このような状態から抜け出すために、あるいはこのような状態を改善するために、私たちはどうすればいいのでしょうか? それは、「目覚める」ことです。
「目覚める」とはいったいどういうことか? それは「意識」を変化させること。人類ひとりひとりの意識が変わり、目覚めるとき、私たちはよりよい人生を手に入れることができ、よりよい世界をつくることができる。その新しい地「ニュー・アース」へのパスポートが本書なのです。

理由は色々あるのですが…ぶっちゃけ、これまで「スピリチュアル系」と分類される書籍の紹介は出来るだけ避けてきました。
なのですが、この『ニュー・アース』は紹介したいと思います。
この本を手にした切っ掛けは、このブログのコメント欄に頂いた、さわらさんからの一言でした。「いいですよ、この本」ってな感じでオススメしていただきまして、素直に読んでみたんです。珍しく。
そしたらねぇ、ホントにまぁ…凄いですよ。この本は。マジで。
多くは語りません。是非ご一読ください。


<黒斎レコメンドその3>

『始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ』宝彩有菜著
光文社・知恵の森文庫 定価:620円(税込)

瞑想は、脳を活性化させる

瞑想は宗教ではなく心の科学である。医学的には瞑想が上達するとレム睡眠中の脳と同じ働きをしていることが解明された。上達のコツは黙考するのではなく、無心になること。すると、体調が整い、クヨクヨ、イライラなどの心のメンテナンスから、記憶力、発想力などの脳力アップまで驚くべき効果を発揮する。本書はその方法を詳しく解説する。

このブログや阿部さんのブログをご覧になっている方の中には、「瞑想って具体的にどうしたらいいんですか?」とか「瞑想ってそもそもどういうものですか?」という疑問をお持ちの方も少なからずおられるんじゃないかと思っています。
その質問への返答の仕方は、ホントに人それぞれってところがあると思いますが、元々精神世界とか宗教というカテゴリーに興味の無かった僕的には、この本の解説がスッと入ってきました。
「瞑想について知りたい。でも、宗教や精神世界は関わりづらい。」という方にオススメします。
マトリックスシリーズの続きでも「瞑想」は避けて通れないキーワードとなりますので、来年は「瞑想の大切さ」をテーマにしたお話をしたいなぁと思っていますが、もっと勉強したい!という方も是非。


<黒斎レコメンドその4>

『神様からひと言』荻原浩著
光文社文庫 定価:720円(税込)

神様は、あなたのすぐそばにいる。

大手広告代理店を辞め、「珠川食品」に再就職した佐倉凉平。入社早々、販売会議でトラブルを起こし、リストラ要員収容所と恐れられる「お客様相談室」へ異動となった。クレーム処理に奔走する凉平。実は、プライベートでも半年前に女に逃げられていた。ハードな日々を生きる彼の奮闘を、神様は見てくれているやいなや……。サラリーマンに元気をくれる傑作長編小説!

タイトルに「神様」とついておりますが、残念ながらそっち系の本ではありません。とってもユーモラスな長編小説です。
結構話題にもなりましたし、ドラマ化もされましたので、ご存じの方も多いかと思います。
面白いですよ、これ。こういう世界観、僕のツボです。


<黒斎レコメンドその5>

『神様のパズル』機本伸司著
ハルキ文庫 定価:714円(税込)

「宇宙は作ることができるのか?」 究極の問題に、天才女子学生&落ちこぼれ学生のコンビが出す答えとは?

留年寸前の僕が担当教授から命じられたのは、不登校の女子学生穂瑞沙羅華(ふみずさらか)をゼミに参加させるようにとの無理難題だった。天才さゆえに大学側も持て余し気味という穂瑞。だが、究極の疑問「宇宙を作ることはできるのか?」をぶつけてみたところ、なんと彼女は、ゼミに現れたのだ。僕は穂瑞と同じチームで、宇宙が作れることを立証しなければならないことになるのだが……。第三回小松左京賞受賞作。

映画化も、漫画化もされちゃった人気小説。
「神様」繋がりで、こんなのはいかがでしょう?
いや、別に繋げる必要もないんですけどね…
この小説も面白かった~~。これも、僕のツボでした。


さて、今年はこのへんで。

以上、「輝け! 第2回 黒斎が勝手に選ぶ、僕が好きな本大賞~!」でした!!



( ̄¬ ̄)ノ”( ̄¬ ̄)ノ” 『そそれれでではは皆皆様様、、良良いいおお年年をを!!』



←今年も1年本当にありがとうございました。来年も、どうぞよろしく!

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マトリックス.6

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【chapter.8/モーフィアスの話】

モーフィアスの元へ到着したアンダーソン。

その扉を開けるまえに、トリニティからの忠告があります。

「一つ忠告させて。嘘はダメ。彼には通用しないわ。」

本当の自分、真実の世界を知るためには、嘘を取り除く必要があります。

包み隠さず、素(す)の自分をさらけ出すこと。

とても勇気のいることですが、次元を超える為には、これが大変重要になります。


そしていよいよ、運命の出会い。

「ようこそ。察しのとおり、私がモーフィアスだ。さぁ、ここに座って。…おそらく、今の君は“不思議の国のアリス”の気分だろう。妙な世界に入り込んだ?」

「…そうだ。」

「君の目を見ればわかる。見たものをそのまま受け入れる目をしている。目覚めたいからだ。本当の目覚めも近いがね。」



“不思議の国のアリス”は、以前出てきた「白ウサギを追え」からの続きです。

続く「見たものをそのまま受け入れる目をしている。目覚めたいからだ。」は、「正見」を暗示したセリフ。


「君はずっと感じてきた。今の世界は何か変だ。得体の知れぬその思いに、攻め立てられて頭が変になりそうだ。その思いが君をここへ連れてきた。…なんの話かわかるか?」

「マトリックス?」

「それが何か知りたいか?」

(無言で頷くアンダーソン)

「マトリックスは至る所に存在する。この部屋の中にもある。窓の外を見たときも、テレビを付けたときも、仕事中も感じる。教会でも、納税の時も、真実を隠すため目の前に下ろされた虚像の世界。」



このセリフの中の“マトリックス”を「主観(その人ひとりの個人的なものの見方)」という言葉に変換してみてください。

「“主観”は至る所に存在する。この部屋の中にもある。窓の外を見たときも、テレビを付けたときも、仕事中も感じる。教会でも、納税の時も、真実を隠すため目の前に下ろされた虚像の世界。」

主観を通して映し出された幻想の世界。それが「マトリックス(仮想現実)」です。


「真実は?」

「君が奴隷だということだ。君は囚われの身として、匂いも味覚もない世界に生まれた。心(マインド)の牢獄だ。…マトリックスの正体は人に教わるものではない。自分で見るしかない。」



私たちは日々“主観”を通じて得た「概念・観念」という檻の中でしか世界を把握できていません。

どんなに何かを学んでも「概念を増やす」ことしかできません。キャパが増えても「檻」は「檻」です。

主観(個人的な解釈)で世界を感じている以上、それはあくまで個人的な世界、真実ではない幻想でしかありません。

主観を通さずに捉えた本当の世界を、誰かに教わる事は可能でしょうか。

出来ません。

誰からの声も、文章も、全て“主観(個人的な解釈)”という真実を覆い隠すフィルターを通して受けることになってしまうからです。

「主観・思考」から切り離され、純粋な意識だけで感じる事が出来る本当の世界を知る方法。

それは実際に、自分で体験するほかにありません。



←マトリックスは至る所に存在する。窓の外を見たときも、テレビを付けたときも、このボタンを押すときも。

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マトリックス.5

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【chapter.7/虫退治】

(; ̄Д ̄) はっ!

自宅ベッドで目覚めるアンダーソン。

エージェントから受けたあの忌まわしい体験は悪夢だった…のか?

飛び起きたアンダーソンにモーフィアスからの電話が入ります。


「盗聴されているから手短に話す。連中は君のことを甘く見ていたようだ。そうでなければ今頃殺されていた。」

「なんの話だ?一体どうなってる?」

「君は“選ばれし者(The One:NEOのアナグラム)”だ。君はここ数年私を捜していたようだが、私は生涯をかけ君を捜していた。まだ私に会いたいか?」



この映画では、「電話」がとても印象的に描かれています。

現実(真実)と仮想現実(幻想)という2つの世界を繋ぐ架け橋。その間を行き来する唯一の方法。

そのキーワードが「電話」です。

これは「口伝・口承文化(言葉のメリット)」と「言葉による概念化・固定化(言葉のデメリット)」という2つの意味を暗示させたものです。

釈迦にしろイエスにしろ、その教えは「口伝え」で説いていました。(「お経」や「聖書」は彼らの死後、後続の者達によって残されたものです。また、お釈迦様が使っていた“パーリ語”は、“アイヌ文化”の様に、固有の“文字”がありません。そのためサンスクリット語など、他の言語に置き換えて記されています。)

釈迦もイエスも「文字」を意図的に残しませんでした。

本当の現実は言語を越えたもので、どんな言語であっても表象不可能です。事象を言葉に置き換えた時点で「真実(ありのまま)」からかけ離れてしまうんです。

禅の世界では、これを「不立文字(ふりゅうもんじ)」と言います。

文字(言葉・単語)の概念や知識に囚われることで、本質が見えなくなってしまうんです。(というか、見えないからこその「本質」なのですが…)

ありのままの事実ではなく、「言葉」の概念・枠に縛られた別の世界(仮想現実)が出来上がってしまうんです。

とはいえ、その「本質」を指し示すためには、やはり「言葉」が必要になってしまいます。

コミュニケーションをする上で、どうしても起こりうる「通約不可能性」。それを最小限に抑えるために「文字」を使わず「口伝」を行っていたんです。


この事を、この映画では「電話」というキーワードで表現しています。

また、ストーリーの中で度々登場する「盗聴」は「言語概念による弊害」つまり、「言葉」が、“自我”に繋がってしまう「思考」の一部であることを示しています。


さて、物語に戻りましょう。

モーフィアス(導師)の元へ向かう車中、アンダーソンはトリニティ(先輩)の協力の下、2つの関門を突破します。

1.目覚めへの意思確認

2.自分が無自覚に抱えていたネガティブな思考パターンへの気付き


車に乗り込んだ途端、アンダーソンは拳銃を向けられます。

「なんのマネだ?」

「身を守る為よネオ。」

「何から?」

「アナタから。」



ここからは、真実を理解するためのステップ、「八正道」の説明です。

自分を苦しめているのは、他でもない、自分自身。

その事を「受け入れる」為にはある程度の覚悟が必要です。

その理由は、これまでの人生で避けて通ってきた「苦しみと向き合う」という作業が必要になるから。

目の前にいる先輩は「苦しみと向き合え」と言います。でもそんな事はしたことがありません。これまでは向き合うことではなく、そこから目を反らすことや、その苦しみと闘うこと(抵抗すること)を「よし」として生きてきたのですから。

「苦しみを受け入れろ」と言われても、「未経験」ゆえの恐怖心が現れます。

先輩を信じ指示に従うか、このまま止めるか。

「お願いネオ。私を信じて。アナタは散々見てきたでしょう?この道の先にある、元の暮らしを。もう、望まない世界のはずよ。」

トリニティのその言葉で、アンダーソンは覚悟をきめました。

そして目の前に差し出される仰々しい機械。

いよいよ虫退治(ネガティブな思考パターンの自覚作業)が始まります。

「リラックスして。さぁ…出ていらっしゃい…。」

ああ、なんだかめっさ痛そう…

そうなんです。ホントに痛いんです。この時。


「ネガティブな思考パターンを引き出してもらい、確認する」という作業は…

・コンプレックスを指摘される

・プライドを傷つけられる

・嫌いなものを提示される

・何かを奪われる

など、精神的に辛い出来事を通して行われるからです。

そういった状況を通して、きちんと自分(自我)と距離を置き、ありのままの自分(苦悩を抱えている自分)を受け入れることができると、これまで無自覚に発動していた「ネガティブな思考パターン」の存在に気付くことができます。


気付きに伴う痛みは一時のもの。

気付いた思考パターンは、窓の外にポイッ。

するとね、これが後に、新たな気付きに繋がるんです。

「なーんだ、苦しんでいたのも、痛がっていたのも、本当の自分じゃなくて“自我”の方だったんだ」って。



←盗聴されているから手短に話す。………押して

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マトリックス.4

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【chapter.5/やつらは君を捕まえる気だ】

場面は変わって、アンダーソンが勤める「メタコーテックス社」。


昨夜の息抜きのせいで遅刻してしまったアンダーソンが上司から執拗にお叱りを受けています。

「いいかね。選択は2つだ、Mr.アンダーソン。今日を限りに二度と遅刻をなくすか…。ほかに職を探すか。」


人は、こういった状況に直面すると、自動的に固定化された思考プログラム(自分がしてしまった事への後悔や、そのことで未来に与える影響のシミュレーション等)を発動させてしまいます。

この思考そのものが“自我”の働きです。

そこから生まれた思考は、本来の自分の思考(智慧)ではなく、過去に培った人生経験がベースとなる「自動思考プログラム」がアウトプットした考えや感情です。

「状況への自動反応」。その思考に追いかけられる様子を表すのが、アンダーソンの職場へとやって来た「エージェント達(自我のメタファー)」です。

「ストレス」は、状況・環境そのものに対するものではなく、「状況・環境に対しての個人的な反応(主観)」によって生まれます。

ここ、凄く重要なことなのですが、ご理解いただけますかね?

「ストレス」の原因は、「状況・環境」でなく、「それらへの個人的な反応」なんです。

(ですから、例え同じ環境に身を置いても、ストレスを感じる人・感じない人などの個人差があらわれるんです。)

ですが、その仕組みが理解できていない人は、その主観(個人的な反応)によって描かれた世界に追いかけられることとなり、状況・環境にその原因を押しつけてしまいます。

「被害者」という役柄・アイデンティティを得ることで「自我」は「可哀想な自分(悪いのは環境や相手であって自分ではない。)」という優位性を獲得しました。

そんな自我から発せられる言葉は「私」に縛られた次のようなセリフになっています。

「ムチャクチャだ!なぜ俺がこんな目に!?どうしたらいい…俺が何をしたというんだ!!」

もはや「上司に叱られたこと」ではなく、「自我の生み出す思考(エージェント)に追いかけられること」でパニックになっています。


【chapter.6/しゃべれない】

その後、結局エージェント(思考)に捉えられてしまうアンダーソン。次のチャプターは取調室のシーンです。


苦しみから逃れるすべを求め、モーフィアス(導師)を探していたアンダーソン。

そんなアンダーソンにエージェント・スミス(思考)は次の様に説得します。

「我々は君を悪いようにするつもりはない。君に協力してほしいことがあってね。君は最近ある人物から接触を受けた。“モーフィアス”という名の男だ。君はあの男について勘違いしている。当局が見るところあの男は、最も危険な人物だ。同僚は君を説得しても無駄だというが、私は君の良心を信じている。」

自我は「理性」や「常識」という名の仮面をかぶって真実から目を背けさせようとします。

宗教的指導者は「危険な人物」と見なされ、迫害の的となります。あんな怪しいヤツにはついていくなと、自我は真剣に説得します。(まぁ、現に危ない人物は多々存在するのですが…)これは、アナタの身を守る為なのだと、ありのままの真実から目を背けさせます。

これまでの歴史を見てもわかるかと思います。かのイエスでさえテロリスト扱いです。しまいにゃ殺されちゃうんだからね。あー怖い。。。

そして自我(スミス)は、「自分」の生き残りのため、強制的にネガティブな思考パターン(ヘソに入れた気色悪い虫)を埋め込みアンダーソンをマトリックス(仮想現実)へ引き戻します。



←選択は2つだ、Mr.アンダーソン。今日を限りに二度と押し忘れをなくすか…。ほかに職を探すか。

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マトリックス.3

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さて。土曜の夜は「マトリックス」をご覧になられましたか?

以前ご覧になったことがある方でも、「あれは覚醒をテーマにした映画だよ。」という認識がある中で見直すと、以前とは違ったものが見えてきたかと思います。

では早速あの映画の流れに沿って、どんなメッセージが埋め込まれているのかをご紹介していきたいと思います。(中には、「いくらなんでもそれは深読みし過ぎだろう…」的なものとか、精神世界や宗教を勉強していないと理解しづらいものなどもあるかとは思いますが、受け入れられる所だけでも拾っていただければと思います。)


【chapter.3/指示に従って】 ←※DVDメニューのチャプター名

自宅コンピューターのモニター前で眠るトーマス・A・アンダーソン。

モニターには、自動検索システムでモーフィアス(グル・導師のメタファー)を探している様子が映し出させています。

そのプログラムが強制的に閉じられ、あるメッセージが現れます。

「起きろネオ。マトリックスが見ている。」

これは、「霊的な自己に目覚めなさい。アナタは自我の描く世界に埋もれている。」という、物語の主軸となるメッセージです。


その後モニターに現れる「白ウサギを追え」は、童話「不思議の国のアリス」からの引用。「不思議の国(ワンダーランド)」は「精神世界」を暗示させたものです。

「白ウサギを追え」は、「(目覚めるために)宗教性・精神世界に目を向けてごらん。」と言ったところでしょうか。


この時のトーマス・A・アンダーソンは、未だ「精神世界」がなんたるかが全く理解できていない凡夫のメタファーです。

存在する次元はまだ低く、世俗的な思考レベルに縛られています。

それを表してるのが、アンダーソンの自宅ドアに掲げられたルームナンバー「101」

コンピューターの支配下にある「01(ゼロワン)」の世界を表すと共に、「二元性・分別智(自他の区別を前提として行われる、煩悩をもつ人間の思考。凡夫の思考。)に住まう者」を表現しています。


そんな凡夫(アンダーソン)に、現実に対しての違和感が現れだしています。

「起きてもなお夢見てるような感覚あるか?」


鬱という病気を経験したことのある方は、このセリフの感覚が何となくお分かりいただけるかと思います。

自我が肥大化し、いよいよ自分の許容範囲を超えてくると、何だかずっと夢を見ているような、ふわふわと思考が定まらない妙な感覚、思考の空回りが表れてきます。

これは、「“自我”が自覚できる状態まで表面化してきた」と捉えることが出来るかと思います。

※ここから先、アンダーソンの様に「何か変だ…」という感覚が芽生えたらチャンス到来。それが「智慧」の始まりです。


「コンピューターのやりすぎじゃねえか?息抜きしろよ。」

「無理だ。明日は仕事がある。」


息抜きを勧められているのに「仕事があるから」と返してしまうのは、鬱を抱える頑張りやさんによく見られる傾向です。

でも、この時のアンダーソンはちょっと違いました。

ついさっき出会ったアドバイス、「白ウサギを追え(宗教性・精神世界に目を向けてごらん。)」を信じ、アンダーソンは目の前にいる女性の肩に入ったタトゥー(シンクロニシティ)に身を委ね、息抜きに出ることになります。


【chapter.4/疑問】

日々の固定化された生活リズムから離れることで、アンダーソンは新たな出会いを迎えます。

そこで出会ったトリニティは、スピリチュアルな世界を先に学んだ先輩的存在。

「真剣に聞いて。あなたの事はすべてわかってる。眠れないワケも、夜な夜なコンピューターで何をしているかも…。彼を捜しているのね?」

先輩はすでに「自我(マトリックス)」が何であるかを知っているため「あなたの事はすべてわかっている」と言える状態です。だって、自分も通ってきた道なのですから。

「自我が肥大化すると思考が止まらなくなります。頭は四六時中グルグルと回り続け、眠ることさえままならない。そんな中で、アナタは何らかの救いの手を探しているのですね?」


ということで。

物語の解説はまだまだ続きますが、今日のところは、この映画のセリフを借りて、日々このブログへ足を運んでくれるアナタへ僕からのメッセージをお伝えして、本日の記事を締めたいと思います。


ある疑問の答えを求めて、あなたはここへ来た。

僕と同じこの疑問をね。

その答えはどこかで…あなたを捜している。

そして見つけるでしょう。あなたが望めばね。


お間違いのないように。

アナタが探しているのは、僕ではなく“答え”だ。





←押してもなお夢見てるような感覚あるか?

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