いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
伝えたい事
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
何度も聞かれる質問があります。
「いろいろお話を聞きしましたが、結局のところ黒斎さんは何を伝えたいんですか?」
という、実に単刀直入なご質問です。
でも、この質問を受けるたびに、僕も頭を捻ってしまうのです。
答えたいけど答えられないんです。
別に隠してるとか、意地悪してるわけじゃないんです。
伝えたい「それ」が言葉に出来ないからこそ、日々試行錯誤しているんだからぁ。(なぜかクマムシ的な語尾で)
質問を寄せてくれた方は、どんな答えを期待していたんだろう。
ブログやトークライブにお越しくださる皆さんは、何を期待されていますか?
絶対的真理?
崇高な教え?
明るい希望?
人生の目的?
永遠の命?
苦境からの救い?
引き寄せの法則?
精神世界についての見解?
でも、僕が伝えたいのはきっと、そのどれでもありません。
僕が伝えたいのは、『汝自身を知れ』という命題の先にあるものです。
「じゃ、それを教えてよ」となる気持ちはわかります。
「問いがハッキリしてるんだから、さっさとその答えを教えてくれればいいじゃないのさ」
それもよく分かります。
しかし、たとえそこで某かの言葉を得ても、やっぱり「なぜその答えなのか」はわからないまま。
さらには、その言葉が新たな「限定的なイメージ」となって、その人の解釈出来る範囲内で構築されてしまいます。
あらゆる枠を取り払った広大な何かを伝えたいのに、言葉になることで限定的な何かに姿を変えてしまいます。
「その答えは、宇宙ですよ」
「その答えは、神ですよ」
「その答えは、愛ですよ」
誰かがが答えを言葉にしても、
「じゃ、その宇宙って、なんのことですか?」
「神って、なんですか?」
「愛って、なんですか?」
と、相変わらず単語を置き換えただけの言葉のループの中から逃れることはできません。
だからこそ、「あぁ、これか!」となる以外、外側から来るものは皆、「それ」ではなく、「それ」を指す矢印です。
で、「汝自身」を知れと指しているのですから、矢印はいつだって、その「汝」がいるところ(あるところ)、つまりは「いま」や「ここ」と同じところを指しているわけです。
「汝自身を知れ」
「知れ」と命じられたところで知れるわけじゃなし、知ろうと知らぬと、汝はすでに「それ」なのだけれど。
それでもなお、「何を伝えたいの?」と問われたなら、「それを聞いているあなたの正体」としか言えないんだよなぁ。
【トークライブ・インフォメーション】
ソロライブ in 福岡&熊本
今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。
◎2月21日(土)14:00~ 福岡
◎2月22日(日)14:00~ 熊本
*****
ソロライブ in 伊勢
黒斎くん、三重県初上陸!
ということで、初めて伊勢へのお誘いをいただきました。
今回は、「はじめまして!」のエリアでおなじみの、参加型スライドショーイベントを予定しております。
お申し込み・お問い合わせは下記リンク先(主催/風と空と星さま)をご覧ください。
◎3月1日(日)14:00~ 伊勢
*****
平日のお話会「月イチ☆」
2月の平日のお話会
「月イチ☆」は、20日(金)東京三鷹、
「月イチ☆WEST」は、26日(木)京都烏丸、
「でら☆月イチ」は、27日(金)名古屋駅前
を予定しております。
詳細および受付は、2月4日(水)のご案内となります。
*****
←「クリックって、なんですか?」 「矢印の先にあるものに気づいてほしいなぁ」
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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何度も聞かれる質問があります。
「いろいろお話を聞きしましたが、結局のところ黒斎さんは何を伝えたいんですか?」
という、実に単刀直入なご質問です。
でも、この質問を受けるたびに、僕も頭を捻ってしまうのです。
答えたいけど答えられないんです。
別に隠してるとか、意地悪してるわけじゃないんです。
伝えたい「それ」が言葉に出来ないからこそ、日々試行錯誤しているんだからぁ。(なぜかクマムシ的な語尾で)
質問を寄せてくれた方は、どんな答えを期待していたんだろう。
ブログやトークライブにお越しくださる皆さんは、何を期待されていますか?
絶対的真理?
崇高な教え?
明るい希望?
人生の目的?
永遠の命?
苦境からの救い?
引き寄せの法則?
精神世界についての見解?
でも、僕が伝えたいのはきっと、そのどれでもありません。
僕が伝えたいのは、『汝自身を知れ』という命題の先にあるものです。
「じゃ、それを教えてよ」となる気持ちはわかります。
「問いがハッキリしてるんだから、さっさとその答えを教えてくれればいいじゃないのさ」
それもよく分かります。
しかし、たとえそこで某かの言葉を得ても、やっぱり「なぜその答えなのか」はわからないまま。
さらには、その言葉が新たな「限定的なイメージ」となって、その人の解釈出来る範囲内で構築されてしまいます。
あらゆる枠を取り払った広大な何かを伝えたいのに、言葉になることで限定的な何かに姿を変えてしまいます。
「その答えは、宇宙ですよ」
「その答えは、神ですよ」
「その答えは、愛ですよ」
誰かがが答えを言葉にしても、
「じゃ、その宇宙って、なんのことですか?」
「神って、なんですか?」
「愛って、なんですか?」
と、相変わらず単語を置き換えただけの言葉のループの中から逃れることはできません。
だからこそ、「あぁ、これか!」となる以外、外側から来るものは皆、「それ」ではなく、「それ」を指す矢印です。
で、「汝自身」を知れと指しているのですから、矢印はいつだって、その「汝」がいるところ(あるところ)、つまりは「いま」や「ここ」と同じところを指しているわけです。
「汝自身を知れ」
「知れ」と命じられたところで知れるわけじゃなし、知ろうと知らぬと、汝はすでに「それ」なのだけれど。
それでもなお、「何を伝えたいの?」と問われたなら、「それを聞いているあなたの正体」としか言えないんだよなぁ。
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ソロライブ in 福岡&熊本
今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
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◎2月22日(日)14:00~ 熊本
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ソロライブ in 伊勢
黒斎くん、三重県初上陸!
ということで、初めて伊勢へのお誘いをいただきました。
今回は、「はじめまして!」のエリアでおなじみの、参加型スライドショーイベントを予定しております。
お申し込み・お問い合わせは下記リンク先(主催/風と空と星さま)をご覧ください。
◎3月1日(日)14:00~ 伊勢
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平日のお話会「月イチ☆」
2月の平日のお話会
「月イチ☆」は、20日(金)東京三鷹、
「月イチ☆WEST」は、26日(木)京都烏丸、
「でら☆月イチ」は、27日(金)名古屋駅前
を予定しております。
詳細および受付は、2月4日(水)のご案内となります。
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三学
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
中国の伝奇小説『西遊記』に登場することでも有名な三蔵法師さん。
実はこの「三蔵法師」という名称は、人の名前・固有名詞ではありません。
「三蔵(仏教の律蔵・経蔵・論蔵)に精通した僧侶(特に、インドから中国へと経典をもたらし、漢訳した方々)」という意味合いの「肩書き」なんですね。
なので、西遊記に登場する「玄奘」以外にも、「鳩摩羅什(くまらじゅう)」「真諦(しんだい)」「不空金剛(ふくうこんごう)」などたくさんの「三蔵法師」がいらっしゃいます。
でもって、この「三蔵」。要は仏典を大きく三つに分けたものなんですけど、律蔵・経蔵・論蔵って言われても、なんやよくわからないですよね。
今日はこのことを、先日の「アーティスト・デザイナー」「マイスター」のお話につなげてお話したいと思います。
実は先日再始動しました『阿雲の呼吸』、その大阪会場で、阿部さんが立ち上げられた「禅プロジェクト」の計画を少しばかりお伺いしたんです。
「阿部さん、禅プロジェクトって、具体的にはどんなことをしていくんですか?」って。
その答えの一つが、『三学(さんがく)の実践』というものだったんです。「三学(仏道)をともに実践していきましょう」と。
「三学」っていうのは、仏道における基本的な修行項目を「戒学(かいがく)」「定学(じょうがく)」「慧学(えがく)」と、これまた三つに分けたもので、それぞれが冒頭お話した律蔵・経蔵・論蔵に相当します。
『戒学』は、戒律のことで、めっちゃ平たく説明しますと「良いと思うことをしよう。悪いと思うことはやめよう」という戒めにあたります。(この戒めは、あくまで「自分に対して」です。戒律をもとに「あれをしなさい、これをやめなさい」と他者に強要するものではありません)
「良いと思うことをしよう。悪いと思うことはやめよう」っていうと、すごく当たり前のように聞こえるけど、これって結構難しかったりするんです。
自分の日常生活を振り返ってみると、「これはやった方が良さそうだな」ってことを先延ばししてしまったり、「これはあんまり良くないよなぁ」なんて思いながらも続けていたり、ってこと思いあたらないですか?
僕たちは良くも悪くも習慣に囚われてしまいがちなので、今一度、自分の行動や癖(事象に対する反射傾向など)を見つめ直し、留意をもって生活してみましょう、ってことですね。
そういった態度が、自分の心の内を観照することになり、次の『定学』に繋がっていきます。
『定学』は、心の錯乱や動揺を沈め、心身に寛ぎをもたらす方法を修める、つまりは瞑想を極め、「禅定」を修めること。
そして『慧学』は、智慧を修めることで、自我を超えた世界、すべての事柄のありのままの姿を見極めること。
この三つは、それぞれ連携しており、
戒 ・戒に準じて生き方を正すことによって「定」を助け、禅定に導き
定 ・禅定にある精神によって智慧(気づき)がもたらされ
慧 ・気づきを重ねることで真実をありのままに観られるようになり、それによって真理をさとり、仏道が完成する
という、仏道トリニティを成しております。
ここで大事なのは、これらを「学ぶ」という姿勢のあり方でして、「学ぶ」って言っても「覚える(記憶する)」わけではないんです。
仏道、禅の世界における「マスターと弟子」の関係は、「先生と生徒」ではありません。
マスターが弟子に「教える(何かを与える)」とか、弟子がマスターから「教わる(何かを受け取る)」ではないんです。
と、言いますのも、この三学(三蔵)を通してマスターが目指しているのは、弟子の「慧」の発露です。
「慧」ってのは、「気づき」のことですから、それは「新しい知識」ではありません。
「目からウロコ」という慣用句が指すように、慧(気づき)は「新しい知識が与えられる」ことで完成されるものではなく、「特定の観念が崩壊することによって露わになっていくもの」です。
「師の教えを私の中に取り入れる」のではなく、「師の言葉・体現によって、私の観念が崩れていく」、「私」が崩れた分だけ「慧」が露わになる、そういう関係なんです。
これが、「メッセンジャー(特にデザイナータイプ)」と「マスター」の最大の違いです。
前回お話したとおり、「デザイナー」の基本は、「受け取ってもらう」という姿勢です。
それに対し「マスター」の基本は「奪い去ってしまう」ですから、関係性でいえば、真逆なんです。
以前ご紹介した老子の言葉にも残されていますね。
学を為せば日に益し、道(タオ)を為せば日に損す。
訳:学びを成せば、日に日に知識が身についていく。
しかし、道(タオ)を成すのなら、逆にそれらは日に日に失われていく。
他のことはさておき、こと仏道・禅に関しては、マスターに対して「マスターはこの修行において、私に何を与えてくれるの?」という姿勢で向かい合ってしまうと、全てが空回りしてしまいます。
そしてまた、マスターが奪い去ろうとしているのは、コンプレックスなどの「落としたいもの」だけではありません。時には弟子が「良かれ」と思って大事に抱えているものすらも落としてしまう勢いです。
そこにはやはり、マスターに対する大きな信頼、リスペクトがなければ成り立ちません。
【トークライブ・インフォメーション】
再始動!『阿雲の呼吸』〜新春の陣〜
名古屋・福岡での開催は、いよいよ明日・明後日となりました!
いまのところお席にはまだ余裕がありますので、当日受付も可能かと思います。
お時間が合いましたら、ぜひ足をお運びください!
詳細は下記リンク先にてご確認ください。
◎1月17日(土)名古屋
◎1月18日(日)博多
*****
平日のお話会「月イチ☆」
◎1月21日(水)19:30スタート [詳細・お申し込み]
今月は、阿雲の呼吸で大阪・名古屋にお伺いするため、「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」はお休みさせていただきます。
*****
ソロライブ in 福岡&熊本
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お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。
◎2月21日(土)福岡
◎2月22日(日)熊本
←読者に対する大きな信頼がなければ成り立ちません。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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中国の伝奇小説『西遊記』に登場することでも有名な三蔵法師さん。
実はこの「三蔵法師」という名称は、人の名前・固有名詞ではありません。
「三蔵(仏教の律蔵・経蔵・論蔵)に精通した僧侶(特に、インドから中国へと経典をもたらし、漢訳した方々)」という意味合いの「肩書き」なんですね。
なので、西遊記に登場する「玄奘」以外にも、「鳩摩羅什(くまらじゅう)」「真諦(しんだい)」「不空金剛(ふくうこんごう)」などたくさんの「三蔵法師」がいらっしゃいます。
でもって、この「三蔵」。要は仏典を大きく三つに分けたものなんですけど、律蔵・経蔵・論蔵って言われても、なんやよくわからないですよね。
今日はこのことを、先日の「アーティスト・デザイナー」「マイスター」のお話につなげてお話したいと思います。
実は先日再始動しました『阿雲の呼吸』、その大阪会場で、阿部さんが立ち上げられた「禅プロジェクト」の計画を少しばかりお伺いしたんです。
「阿部さん、禅プロジェクトって、具体的にはどんなことをしていくんですか?」って。
その答えの一つが、『三学(さんがく)の実践』というものだったんです。「三学(仏道)をともに実践していきましょう」と。
「三学」っていうのは、仏道における基本的な修行項目を「戒学(かいがく)」「定学(じょうがく)」「慧学(えがく)」と、これまた三つに分けたもので、それぞれが冒頭お話した律蔵・経蔵・論蔵に相当します。
『戒学』は、戒律のことで、めっちゃ平たく説明しますと「良いと思うことをしよう。悪いと思うことはやめよう」という戒めにあたります。(この戒めは、あくまで「自分に対して」です。戒律をもとに「あれをしなさい、これをやめなさい」と他者に強要するものではありません)
「良いと思うことをしよう。悪いと思うことはやめよう」っていうと、すごく当たり前のように聞こえるけど、これって結構難しかったりするんです。
自分の日常生活を振り返ってみると、「これはやった方が良さそうだな」ってことを先延ばししてしまったり、「これはあんまり良くないよなぁ」なんて思いながらも続けていたり、ってこと思いあたらないですか?
僕たちは良くも悪くも習慣に囚われてしまいがちなので、今一度、自分の行動や癖(事象に対する反射傾向など)を見つめ直し、留意をもって生活してみましょう、ってことですね。
そういった態度が、自分の心の内を観照することになり、次の『定学』に繋がっていきます。
『定学』は、心の錯乱や動揺を沈め、心身に寛ぎをもたらす方法を修める、つまりは瞑想を極め、「禅定」を修めること。
そして『慧学』は、智慧を修めることで、自我を超えた世界、すべての事柄のありのままの姿を見極めること。
この三つは、それぞれ連携しており、
戒 ・戒に準じて生き方を正すことによって「定」を助け、禅定に導き
定 ・禅定にある精神によって智慧(気づき)がもたらされ
慧 ・気づきを重ねることで真実をありのままに観られるようになり、それによって真理をさとり、仏道が完成する
という、仏道トリニティを成しております。
ここで大事なのは、これらを「学ぶ」という姿勢のあり方でして、「学ぶ」って言っても「覚える(記憶する)」わけではないんです。
仏道、禅の世界における「マスターと弟子」の関係は、「先生と生徒」ではありません。
マスターが弟子に「教える(何かを与える)」とか、弟子がマスターから「教わる(何かを受け取る)」ではないんです。
と、言いますのも、この三学(三蔵)を通してマスターが目指しているのは、弟子の「慧」の発露です。
「慧」ってのは、「気づき」のことですから、それは「新しい知識」ではありません。
「目からウロコ」という慣用句が指すように、慧(気づき)は「新しい知識が与えられる」ことで完成されるものではなく、「特定の観念が崩壊することによって露わになっていくもの」です。
「師の教えを私の中に取り入れる」のではなく、「師の言葉・体現によって、私の観念が崩れていく」、「私」が崩れた分だけ「慧」が露わになる、そういう関係なんです。
これが、「メッセンジャー(特にデザイナータイプ)」と「マスター」の最大の違いです。
前回お話したとおり、「デザイナー」の基本は、「受け取ってもらう」という姿勢です。
それに対し「マスター」の基本は「奪い去ってしまう」ですから、関係性でいえば、真逆なんです。
以前ご紹介した老子の言葉にも残されていますね。
学を為せば日に益し、道(タオ)を為せば日に損す。
訳:学びを成せば、日に日に知識が身についていく。
しかし、道(タオ)を成すのなら、逆にそれらは日に日に失われていく。
他のことはさておき、こと仏道・禅に関しては、マスターに対して「マスターはこの修行において、私に何を与えてくれるの?」という姿勢で向かい合ってしまうと、全てが空回りしてしまいます。
そしてまた、マスターが奪い去ろうとしているのは、コンプレックスなどの「落としたいもの」だけではありません。時には弟子が「良かれ」と思って大事に抱えているものすらも落としてしまう勢いです。
そこにはやはり、マスターに対する大きな信頼、リスペクトがなければ成り立ちません。
【トークライブ・インフォメーション】
再始動!『阿雲の呼吸』〜新春の陣〜
名古屋・福岡での開催は、いよいよ明日・明後日となりました!
いまのところお席にはまだ余裕がありますので、当日受付も可能かと思います。
お時間が合いましたら、ぜひ足をお運びください!
詳細は下記リンク先にてご確認ください。
◎1月17日(土)名古屋
◎1月18日(日)博多
*****
平日のお話会「月イチ☆」
◎1月21日(水)19:30スタート [詳細・お申し込み]
今月は、阿雲の呼吸で大阪・名古屋にお伺いするため、「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」はお休みさせていただきます。
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ソロライブ in 福岡&熊本
今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
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表現者
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
みなさま、改めまして、あけましておめでとうございました。(過去形)
2015年を迎え、晴れて「厄年終わったー!」と胸をなで下ろしていたところに、「黒斎さん、厄年は旧暦で数えるから、2月18日まで続くよ」というクールなコメントが多数寄せられました。
Don't Worry!
大丈夫。私、失敗しないので。(人見知りのチワワのように小刻みに震えながら)
さて、新年1発目の投稿。
何を書こうかと迷ったあげく、昨年末ブログ以上に大きな反響をいただいた、Facebookでの書き込みに加筆してお話をすすめていきたいと思います。
『表現者(クリエイター)』には、大きく分けて2つのタイプが存在します。
一つは「アーティスト」、一つは「デザイナー」です。
アーティストもデザイナーも表現者ではありますが、決定的な違いがあります。
アーティストは、自分の感性・表現したいものをストレートにアウトプットします。そこには制約もルールも存在しないので、完全に自由です。
一方デザイナーには、様々な制約が存在します。それは、自分のアウトプットしたい表現がまずあるのではなく、クライアントやユーザーの要望・ニーズが最優先とされるからです。
表現の軸が、アーティストは「自分」にあり、デザイナーは「他者」にあります。
もちろん「表現力」というものは必要ですが、それ以上にアーティストの持つ魅力は、その感性。言い方を変えれば、常人離れしたものの見方です。
その感性を伝えたいという強いパンションに突き動かされてを自由にアウトプットするのですから、その魅力が通じる人にとっては、とてもパワフルに映ります。
しかし、自由ゆえのデメリットも存在します。
そのものの見方が、一般的な見方と乖離するほどオリジナリティを増しますが、度を超えると理解されなくなってきてしまうのです。
また、そのオリジナリティが激しくなるほど、それに対する印象の好き嫌いが色濃くなっていきます。賞賛と嘲罵の二極化が進むんですね。
一方デザイナーは、基本「受け入れてもらえること」と「表現がニーズと一致すること」が前提となります。
まず、自分よりも相手が優先されるため、そこまで強い表現者の感性や作家性(常識を覆す新たな視野)は求められません。むしろ自身の個性を消して、的確にニーズに表現を合わせていく柔軟性が求められます。
もちろん新たな視野の提供・サプライズはパワフルなので、それを効果的にアウトプットできれば最善なのですが、ターゲットが持っている視点との乖離が大きくなればなるほど、表現になる前にお蔵入りとなります。
仮に、過剰な個性で無事アウトプットされたとしても、ユーザーの感性と合わなければ、やはりその表現は機能しません。(想定外に受け入れられるというミラクルも時に起こりえますが)
奇抜なデザインも存在しますが、それは奇抜さを求めるユーザーがいて、はじめて成立します。アート同様、その表現が一般受けしなくなっていくほど、賞賛と批判は二極化していきますが、プラン上あえて批判するターゲットは切り捨ててよし、届かなくてよし、なわけです。
アーティストに「鑑賞者のセンス・理解力に合わせろ」というのも変ですし、デザイナーにアーティストの強い感性・作家性を求めても酷です。
このことは、グラフィックの世界に限ったお話ではなく、様々な分野に当てはめてみることができます。
精神世界における『メッセンジャー』と呼ばれる方々もしかり。
言わずもがな、「どう言ったら伝わるだろう?どうすれば耳を傾けてくれるだろう?」と、人の顔色を気にしながら表現を模索している僕は、バリバリのデザイナータイプ。
賢者テラさんなんかは、バリバリのアーティストタイプですね。
ご自身がお話されている通り、「売れるため、受け入れてもらうために言葉を薄め、あるいは捏造し、世間の顔色を窺うようになる」ことを嫌います。
受け入れられるかどうかは別問題。とにかく、自分の言いたいことを言いたい、という強い思いがあります。
さて、問題はここからです。
表現のカタチがどうであれ、精神世界における「コアの部分」、いわゆる『それ』については、基本的に世間に受け入れられやすい内容ではありません。
たとえば、「自我を超える」「自我を落とす」「自我を消す」などといった内容は、その言葉尻はどうであれ、「自我の解釈の向こう側」への誘いです。
そのためには、一度、自我が死ななければなりません。
自我は自分ではありませんが、それを自分だと感じている人に「一回死んでごらん」なんていうメッセージが、受け入れられやすいものであるはずがありません。
確かに不安や悩みも抱えてるけど、究極の理解なんてなくたって、とりあえずちゃんと生きてるんだし、日々の生活だってあるし、そんなことに時間を費やすほど暇じゃないし、「一回死ね」とか、そういうのより、もっと生活に密着してる『使える処世術』の方を教えてもらえる方がありがたいんだよね。ってのが正直なとこだと思うんです。
で、ヒアリングする側がそうなのだとしたら、実はデザイナータイプのメッセンジャーにはもうお手上げなんだよね。
自分の理解を処世術のレベルまで薄めないと、受け取ってもらえないから。広まらないから。
でも、そこまで薄めたメッセージをどれだけ発信しても、結局本質の部分が伝わるわけはないんだよね。だって薄いんだから。
なので、その本質の部分を語るには、アーティストにならざるを得なくなるわけです。
受け入れる入れないお構いなしに、ズドン!とど真ん中に剛速球食らわすわけですから、感性が上手くはまれば、一気に大きな気づきが訪れるかもしれません。
なんだけど、アーティストタイプのメッセンジャーは、そもそも常識では「え!?」ってなるところを、ストレートに「一回死んでごらん」なんて言い出すわけだから、どんどん耳を傾ける人がいなくなっちゃうし、それどころかだんだん嫌われだしちゃう。
どれだけ本質を突いたメッセージを発信しても、結局なかなか広まらないんだよね。
僕もね、ちょくちょく自分でも思うことがあるんです。
僕のメッセージ、薄いよなーって。
で、思い切って、いつもよりちょっと濃いめにして出してみることもあるんですね。
そうすると、「ちょっとミチコさん、最近のお味噌汁、なんだかとっても塩辛くなくて? もしかしたら、私を早死にさせたいってことなのかしら?」なんて、どっかの姑さんみたいな感じでなじられちゃったりするんだよね。だってそうだよね、確かに自我を早死にさせたくて出してるんだから。
ま、薄いにせよ、濃いにせよ、どっちもどっちで伝わりづらいわけでして。
そもそも「頭の中から言葉が消失したときに初めて感得できる世界」を、言葉を使って伝えようってこと自体に無理があるんですよ。
我ながら、不毛ですね(笑)
で、ですよ。
じゃ、その真髄を言葉を介さず伝える為には、どーすりゃいいのよ?ってことになるわけで。
そこで出てくるのが『不立文字(ふりゅうもんじ)』『拈華微笑(ねんげみしょう)』『教外別伝(きょうがいべつでん)』という禅の世界。
言葉じゃないんですから、そこは「メッセンジャー」ではなく、「マスター」の出番でございます。
マスターは、アーティストでも、デザイナーでもありません。
「表現者」ではなく、「体現者」なんですね。
「アーティスト」や「デザイナー」に代わるタイプをしいてあげるなら、「マイスター(職人)」みたいな感じ。
同じ言葉を発しても、メッセンジャーは「表現」、マスターは「体現」。同じようでいて違うんだよね。
次回は、そこらへんの違いについてお話してみたいと思います。
【トークライブ・インフォメーション】
再始動!『阿雲の呼吸』〜新春の陣〜
いよいよ開催の迫ってきた阿雲の呼吸。
12日(月・祝)開催の大阪会場は、残席わずかとのことです。
詳しくは下記リンク先にてご確認ください。
◎1月12日(月・祝)大阪
◎1月17日(土)名古屋
◎1月18日(日)博多
*****
平日のお話会「月イチ☆」
今月は、阿雲の呼吸で大阪・名古屋にお伺いするため、「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」はお休みさせていただきます。
東京三鷹会場は、1月21日(水)開催予定です。チケット販売は来週14日(水)からとなります。
*****
ソロライブ in 福岡&熊本
今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。
◎2月21日(土)福岡
◎2月22日(日)熊本
←「どうすれば押してもらえるだろう?」と、人の顔色を気にしながら表現を模索しています。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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みなさま、改めまして、あけましておめでとうございました。(過去形)
2015年を迎え、晴れて「厄年終わったー!」と胸をなで下ろしていたところに、「黒斎さん、厄年は旧暦で数えるから、2月18日まで続くよ」というクールなコメントが多数寄せられました。
Don't Worry!
大丈夫。私、失敗しないので。(人見知りのチワワのように小刻みに震えながら)
さて、新年1発目の投稿。
何を書こうかと迷ったあげく、昨年末ブログ以上に大きな反響をいただいた、Facebookでの書き込みに加筆してお話をすすめていきたいと思います。
『表現者(クリエイター)』には、大きく分けて2つのタイプが存在します。
一つは「アーティスト」、一つは「デザイナー」です。
アーティストもデザイナーも表現者ではありますが、決定的な違いがあります。
アーティストは、自分の感性・表現したいものをストレートにアウトプットします。そこには制約もルールも存在しないので、完全に自由です。
一方デザイナーには、様々な制約が存在します。それは、自分のアウトプットしたい表現がまずあるのではなく、クライアントやユーザーの要望・ニーズが最優先とされるからです。
表現の軸が、アーティストは「自分」にあり、デザイナーは「他者」にあります。
もちろん「表現力」というものは必要ですが、それ以上にアーティストの持つ魅力は、その感性。言い方を変えれば、常人離れしたものの見方です。
その感性を伝えたいという強いパンションに突き動かされてを自由にアウトプットするのですから、その魅力が通じる人にとっては、とてもパワフルに映ります。
しかし、自由ゆえのデメリットも存在します。
そのものの見方が、一般的な見方と乖離するほどオリジナリティを増しますが、度を超えると理解されなくなってきてしまうのです。
また、そのオリジナリティが激しくなるほど、それに対する印象の好き嫌いが色濃くなっていきます。賞賛と嘲罵の二極化が進むんですね。
一方デザイナーは、基本「受け入れてもらえること」と「表現がニーズと一致すること」が前提となります。
まず、自分よりも相手が優先されるため、そこまで強い表現者の感性や作家性(常識を覆す新たな視野)は求められません。むしろ自身の個性を消して、的確にニーズに表現を合わせていく柔軟性が求められます。
もちろん新たな視野の提供・サプライズはパワフルなので、それを効果的にアウトプットできれば最善なのですが、ターゲットが持っている視点との乖離が大きくなればなるほど、表現になる前にお蔵入りとなります。
仮に、過剰な個性で無事アウトプットされたとしても、ユーザーの感性と合わなければ、やはりその表現は機能しません。(想定外に受け入れられるというミラクルも時に起こりえますが)
奇抜なデザインも存在しますが、それは奇抜さを求めるユーザーがいて、はじめて成立します。アート同様、その表現が一般受けしなくなっていくほど、賞賛と批判は二極化していきますが、プラン上あえて批判するターゲットは切り捨ててよし、届かなくてよし、なわけです。
アーティストに「鑑賞者のセンス・理解力に合わせろ」というのも変ですし、デザイナーにアーティストの強い感性・作家性を求めても酷です。
このことは、グラフィックの世界に限ったお話ではなく、様々な分野に当てはめてみることができます。
精神世界における『メッセンジャー』と呼ばれる方々もしかり。
言わずもがな、「どう言ったら伝わるだろう?どうすれば耳を傾けてくれるだろう?」と、人の顔色を気にしながら表現を模索している僕は、バリバリのデザイナータイプ。
賢者テラさんなんかは、バリバリのアーティストタイプですね。
ご自身がお話されている通り、「売れるため、受け入れてもらうために言葉を薄め、あるいは捏造し、世間の顔色を窺うようになる」ことを嫌います。
受け入れられるかどうかは別問題。とにかく、自分の言いたいことを言いたい、という強い思いがあります。
さて、問題はここからです。
表現のカタチがどうであれ、精神世界における「コアの部分」、いわゆる『それ』については、基本的に世間に受け入れられやすい内容ではありません。
たとえば、「自我を超える」「自我を落とす」「自我を消す」などといった内容は、その言葉尻はどうであれ、「自我の解釈の向こう側」への誘いです。
そのためには、一度、自我が死ななければなりません。
自我は自分ではありませんが、それを自分だと感じている人に「一回死んでごらん」なんていうメッセージが、受け入れられやすいものであるはずがありません。
確かに不安や悩みも抱えてるけど、究極の理解なんてなくたって、とりあえずちゃんと生きてるんだし、日々の生活だってあるし、そんなことに時間を費やすほど暇じゃないし、「一回死ね」とか、そういうのより、もっと生活に密着してる『使える処世術』の方を教えてもらえる方がありがたいんだよね。ってのが正直なとこだと思うんです。
で、ヒアリングする側がそうなのだとしたら、実はデザイナータイプのメッセンジャーにはもうお手上げなんだよね。
自分の理解を処世術のレベルまで薄めないと、受け取ってもらえないから。広まらないから。
でも、そこまで薄めたメッセージをどれだけ発信しても、結局本質の部分が伝わるわけはないんだよね。だって薄いんだから。
なので、その本質の部分を語るには、アーティストにならざるを得なくなるわけです。
受け入れる入れないお構いなしに、ズドン!とど真ん中に剛速球食らわすわけですから、感性が上手くはまれば、一気に大きな気づきが訪れるかもしれません。
なんだけど、アーティストタイプのメッセンジャーは、そもそも常識では「え!?」ってなるところを、ストレートに「一回死んでごらん」なんて言い出すわけだから、どんどん耳を傾ける人がいなくなっちゃうし、それどころかだんだん嫌われだしちゃう。
どれだけ本質を突いたメッセージを発信しても、結局なかなか広まらないんだよね。
僕もね、ちょくちょく自分でも思うことがあるんです。
僕のメッセージ、薄いよなーって。
で、思い切って、いつもよりちょっと濃いめにして出してみることもあるんですね。
そうすると、「ちょっとミチコさん、最近のお味噌汁、なんだかとっても塩辛くなくて? もしかしたら、私を早死にさせたいってことなのかしら?」なんて、どっかの姑さんみたいな感じでなじられちゃったりするんだよね。だってそうだよね、確かに自我を早死にさせたくて出してるんだから。
ま、薄いにせよ、濃いにせよ、どっちもどっちで伝わりづらいわけでして。
そもそも「頭の中から言葉が消失したときに初めて感得できる世界」を、言葉を使って伝えようってこと自体に無理があるんですよ。
我ながら、不毛ですね(笑)
で、ですよ。
じゃ、その真髄を言葉を介さず伝える為には、どーすりゃいいのよ?ってことになるわけで。
そこで出てくるのが『不立文字(ふりゅうもんじ)』『拈華微笑(ねんげみしょう)』『教外別伝(きょうがいべつでん)』という禅の世界。
言葉じゃないんですから、そこは「メッセンジャー」ではなく、「マスター」の出番でございます。
マスターは、アーティストでも、デザイナーでもありません。
「表現者」ではなく、「体現者」なんですね。
「アーティスト」や「デザイナー」に代わるタイプをしいてあげるなら、「マイスター(職人)」みたいな感じ。
同じ言葉を発しても、メッセンジャーは「表現」、マスターは「体現」。同じようでいて違うんだよね。
次回は、そこらへんの違いについてお話してみたいと思います。
【トークライブ・インフォメーション】
再始動!『阿雲の呼吸』〜新春の陣〜
いよいよ開催の迫ってきた阿雲の呼吸。
12日(月・祝)開催の大阪会場は、残席わずかとのことです。
詳しくは下記リンク先にてご確認ください。
◎1月12日(月・祝)大阪
◎1月17日(土)名古屋
◎1月18日(日)博多
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平日のお話会「月イチ☆」
今月は、阿雲の呼吸で大阪・名古屋にお伺いするため、「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」はお休みさせていただきます。
東京三鷹会場は、1月21日(水)開催予定です。チケット販売は来週14日(水)からとなります。
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ソロライブ in 福岡&熊本
今年もBe Here Nowの常冨さんから福岡・熊本へのお招きをいただきました。
昨年の5月以来、久しぶりの開催です。
「お久しぶりです!」のあなたも、「はじめまして!」あなたも、ぜひお気軽にご参加ください。
お申し込み・お問い合わせは下記のリンク先をご覧ください。
◎2月21日(土)福岡
◎2月22日(日)熊本
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謹賀新年
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※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
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門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし (一休宗純)
とにもかくにも、大丈夫、心配するな、なんとかなる
本年もどうぞよろしくお願い致します!
←お年玉ください。(どストレート)
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