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内観

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えー。

ここらで一度「旅行(人生)」の話に戻りましょう。


あなたが、今こうしてこのブログを見ていると言うことは、とりあえず、その自覚があろうとなかろうと、旅の途中ではあるわけです。

さて、ここで。

あなたがこれから向かう場所を、仮に「エッフェル塔(あなたの叶えたい夢)」に決めたとします。


あなたはこれから、どのような経路でエッフェル塔へ向かいますか?


次の分岐点を、

「まっすぐ」ですか?

「右」に曲がりますか?

「左」に曲がりますか?



  ←とりあえず押しときますか?
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視点.4

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実を申しますと、

わたくし黒斎、

このご時世に生きるサラリーマンでありながら、

Microsoft Excelも、

Microsft Wordも使えません。

第一種普通自動車免許証すら持っていません。

履歴書の「資格」欄に記入できる資格も、

何一つ持っていません。


これって、

「悪いこと」ですか?

「良いこと」ですか?

「どちらでもない」ですか?



  ←どうでもいいですか。そうですか。
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視点.3

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週の真ん中水曜日♪

真ん中もっこり、あの世に聞いた、この世の仕組み~☆





おニャン子世代でなければ分からないであろう導入でこんぬつは。

うしろゆびさされ組の黒斎でつ。


えー。

今日は、「視点」のお話を、「視野」から「次元」に移して進めてみたいと思います。


では…


Aさんは言いました。

「人生は、とても素晴らしいものだ。だって、私はいつも優しい人に囲まれ、環境にも恵まれ、体験する出来事にはいつも発見があり、とても楽しい。人生は、私を優しく包む愛のようだ。だから、人生をカタチで表すなら、『丸』です。」


Bさんは言いました。

「人生は、つらく過酷なものだ。だって、私はいつも私を攻撃する人に囲まれ、環境にも恵まれず、体験する出来事にはいつも苦渋があり、とても苦しい。人生は、私を突き刺す針のようだ。だから、人生をカタチで表すなら、『三角』です。」


Cさんは言いました。

「Aさんも、Bさんも、視野が狭いよ。二人とも人生の一部しか見ていないんだ。人生には、楽しい事も、つらい事も、両方あるんだから、二人とも間違っているよ。人生をカタチで表すなら、丸い部分も、尖った部分もあるのだから『扇型』だ。」


さて、この3人の論争の中に、果たして「正解」はあるのでしょうか?


Aさんは、「人生は楽しいものだ」と「実感」しているため、自分の意見が「正しい」と思っています。
ですから、Aさんにとっては、Bさんの意見も、Cさんの意見も「間違い」です。


Bさんは、「人生はつらく過酷なものだ」と「実感」しているため、自分の意見が「正しい」と思っています。
ですから、Bさんにとっては、Aさんの意見も、Cさんの意見も「間違い」です。


Cさんは、「人生は楽しさと過酷さを併せ持つものだ」と「実感」しているため、自分の意見が「正しい」と思っています。
ですから、Cさんにとっては、Aさんの意見も、Bさんの意見も「間違い」です。


だとしたら、このままの状態で論争を続けても、3人は平行線をたどるだけですね。


それでは、この3人に、『もっと視野を広げてごらん。』とアドバイスしてみましょう。


「丸」を見ていたAさんが、視野を広げるため、一歩下がって遠くから見直してみました。
でも、一歩下がって視野が広がっても「丸」は「丸」のままです。



「三角」を見ていたBさんが、視野を広げるため、一歩下がって遠くから見直してみました。
でも、一歩下がって視野が広がっても「三角」は「三角」のままです。



「扇型」を見ていたBさんが、視野を広げるため、一歩下がって遠くから見直してみました。
でも、一歩下がって視野が広がっても「扇型」は「扇型」のままです。




う~ん。困った。

視野を広げても、自分の見ていたものが変わらなかったので、3人は、ますます自分の「思い」を「確信」してしまいました。


では、改めてこの3人に、『別な角度から見直してごらん。』とアドバイスしてみましょう。


「丸」を見ていたAさんが、角度を変えるため、右斜め45°から見直してみました。
でも、見る角度を変えても「丸」は「楕円」に見えるだけです。
「三角」にも、「扇型」にもならない。


「三角」を見ていたBさんが、角度を変えるため、右斜め45°から見直してみました。
でも、見る角度を変えても「三角」は「スリムな三角」に見えるだけです。
「丸」にも、「扇型」にもならない。


「扇型」を見ていたCさんが、角度を変えるため、右斜め45°から見直してみました。
でも、見る角度を変えても「扇型」は「スリムな扇型」に見えるだけです。
「丸」にも、「三角」にもならない。


あらら。どうしましょう。
3人はますます頑なに「自分の意見に間違いはない」と思ってしまいました。



では、この3人に新たなアドバイスをしてみましょう。

『次元を上げてごらん。』


Aさん 「???」

Bさん 「???」

Cさん 「???」


あれ?

どうやらこの3人には「次元を上げる」という意味がよく分かっていないようです。


『Aさんも、Bさんも、Cさんも、それぞれ「カタチ」を「丸」「三角」「扇型」という「2次元」で捉えていました。』

『お互いの意見を尊重し、統合して、「3次元」にしてみましょう。』







真ん中もっこり。





これをどこから捉えるか(見るか)は、『自由』に「選択」できます。



  ←『自由』に「選択」できます。
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視点.2

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あなたにとって人生とは、

楽しいものでしょうか?

それとも、

辛く、苦しいものでしょうか?


世の中を見渡してみれば、

「人生は楽しい!」と思っている人がいます。

一方では、

「人生は苦しい!」と思っている人もいます。


この両者の違いは、一体どこから生まれるのでしょう?


世の中を見渡してみれば、

傍から見ると、とんでもなく苦しい状況にいるにも関わらず、

明るく、前向きに「人生を楽しんでいる」人がいます。

一方では、

傍から見ると、とんでもなく恵まれた環境にいるにも関わらず、

暗く、うつむいて「人生を苦しんでいる」人もいます。


この両者の違いは、一体どこから生まれるのでしょう?



答えは、とてもシンプル。



人生を楽しんでいる人は、どんな状況にあっても、「人生は楽しい!」と思っている人なんです。

人生を苦しんでいる人は、どんな状況にあっても、「人生は苦しい!」と思っている人なんです。


「楽しい!」と思うのも、「苦しい!」と思うのも、あなたの『自由』です。

苦しいふりをしながら「楽しい!」と思うことも、楽しいふりをしながら「苦しい!」と思うことも出来ます。

何を、どう思おうと、あなたの『自由』です。


僕が、「人生は苦しいものだ。」と主張しても、

あなたが「人生は楽しいものだ。」と思っている以上、

あなたにとって人生は「楽しいもの」です。


僕が、「人生は楽しいものだ。」と主張しても、

あなたが「人生は苦しいものだ。」と思っている以上、

あなたにとって人生は「苦しいもの」です。



あなた自身が「思い」を変えない限り、その「思い」は変わりません。



だから、僕にはあなたの「思い」を変えることはできません。



そして、


あなたがどんな思いを持っていようとも、

それは「過去」でも「未来」でもなく、

「今」思っているのです。



この話を、先日の「ルーブル美術館で見た絵画」で考えてみましょう。


同じ絵画を見ても、「素晴らしい!」と思う人と、「つまんない。」と思う人がいます。


このとき、この絵画は、

「素晴らしい」ものだったのでしょうか?

それとも、

「つまんない」ものだったのでしょうか?


あなたが、素晴らしいと思っている時、

「素晴らしい絵画」があるのでしょうか?

それとも、

絵画を「素晴らしいと思っている自分」があるのでしょうか?


あなたが、つまんないと思っている時、

「つまんない絵画」があるのでしょうか?

それとも、

絵画を「つまんないと思っている自分」があるのでしょうか?



また、

『以前は「つまらない」と思っていた絵画が、今は「素晴らしい!」と思える』

ということは、ありえないことなのでしょうか?

逆に考えて…

『以前は「素晴らしい!」と思っていたことが、今は「つまらない」と思える』

という経験はないでしょうか?


だとしたら、

『過去』は「変えられない」のでしょうか?

それとも

「変えられる」のでしょうか?

『未来(運命)』は「変えられない」のでしょうか?

それとも

「変えられる」のでしょうか?



あなたがどんな思いを持っていようとも、

それは「過去」でも「未来」でもなく、

「今」思っているのです。



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再スタート

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長らくお休みを頂いておりました。

1週間ぶりの書き込みで、調子が掴めきれずにおります。黒斎です。


いや~。一度ブレーキ踏んじゃうと、再スタートするのが大変になっちゃうな。

1週間前は、結構すらすらと書けていたんですよ。

で、この土日で、「さて、そろそろ続きを書こうかな。」って思ったものの…


なんか調子でねぇ…_| ̄|○



考えてみるとさ、調子よく書いていた時って、例えるなら「3速」で走っていたわけですよ。

それが、「1週間休む」という『ブレーキ』を掛けることによって、「慣性の法則」が失われてしまった。

こうして、休み明けに再度スタートするって事は、ギアを「1速」に入れ直さなきゃならない。

なのにギアは、「3速」で走っていたときのままになっている。

だから、「なんか調子でねぇ」ってことになるんだな。

ふ~。(深呼吸)

1速に入れ直さなきゃ。


走り出しって、馬力が必要になるんだよね。


はじめの一歩は大変だ。(なるほど、馬力が必要だから、ローギアにするんだ。)

やってみると、意外とすんなり動けるようになる。(なるほど、スピードが乗ってくるってことだ。)



  ←ターボスイッチ。


P.S.
ギアを入れ替えるには「クラッチ」を踏まなければなりません。
クラッチを踏まずにギアをガチャガチャしても、
ギアは入らず、結局エンストしてしまいます。
深呼吸して、気持ちに余裕をつくる事。
これが「クラッチ」になります。

( ̄Д ̄)「余裕」を『手に入れる』為には、「力み」を『手放す』こと。
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