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苦境

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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「ピンチはチャンス」なんて話、よく聞きます。

でも、「何となく分かる気はするんだけど、自分が本当に苦境の最中にあるときは、なかなかそうは思えない。」と言うのが本当のところではないでしょうか。

「なぜ私の人生には、こんなにも幾多の困難が現れるのだろう?」ってな感じでね。

この「困難が現れる」という、その「仕組み」を理解すると、「ピンチはチャンス」の意味が、少しは飲み込めることと思います。


そんなこんなで今日は、例の如くの表現方法で『苦境(ピンチ)の仕組み』をテーマにお話を進めたいと思います。





(  ̄Д ̄) 『ところで黒斎。』

( ̄д ̄ ) 「なんでしょう?」

(  ̄Д ̄) 『お前が「凄い」と羨望の眼差しを向ける人物とは、どんな人のことだろう。』

( ̄д ̄ ) 「そうですねぇ…。料理が上手いとか、音楽の才能に溢れているとか、絵が上手だとか、仕事が出来るとか、やたらモテるとか、前人未踏の記録を打ち立てちゃうとか、どんな苦境においても弱音を吐かないとか、恵まれない環境に生を受けてもキラキラと生きる輝きを見せる発展途上国の子供達だとか…」

(  ̄Д ̄) 『つまり?』

( ̄д ̄ ) 「僕が“困難”だと思っているあれこれを、難なくやってのけて仕舞う人。」

(  ̄Д ̄) 『そうだよな。自分が当たり前に出来ているアレコレを、他人がしていても、それを「凄い」とは思わないよな。自分に出来なさそうなことをしている人を、「凄い」と思っているわけだ。』

( ̄д ̄ ) 「はい。そうですね。」

(  ̄Д ̄) 『ここで何か気付かないかね?』

( ̄д ̄;) 「ハ? …と、申しますと?」

(  ̄Д ̄) 『お前は、その人達を「凄い」と感じている。』

( ̄д ̄;) 「はい。」

(  ̄Д ̄) 『ってことは、お前はその人達のしていることを「よし」としているわけだ。それが出来ることが「よいこと」だと、そう解釈している。』

( ̄д ̄;) 「そうですね。」

(  ̄Д ̄) 『人は、自分にとって「よい」と思った行動しか取ることができない。「いや、そんなことはないです。私はあえて“悪いこと”をしたいし、現にそうして生きている。」という人がいても、それは「悪いことをすること」がその人にとっての「よいこと」だ。ゆえに人は、自分のしたい選択しか、選択することができない。自分がしたいことしか出来ない。』

( ̄д ̄;) 「確かに。」

(  ̄Д ̄) 『だとしたらだよ。「苦境」は、神様からのプレゼントだと思わないか?』

( ̄д ̄;) 「なんで?」

(; ー’`ー) 『いや、だからね…。お前が「よし」としていることを手に入れる為の道を用意してくれてるじゃないか。その道を行けば、お前の「理想」があるのだから。お前が望んでいる道を、そのまま用意してくれている。そこにあるのは「望んでいないもの」ではないだろう? お前にとって「よいこと」が、「困難を難なくこなせること」なら、その「困難」なしに、「よいこと」を手に入れることが出来るはずがないだろう。だから神はお前に「苦境」を渡すんだよ。』

( ̄д ̄;) 「…あぁ、そうか。」

(; ー’`ー) 『ホントに分かってる?』

( ̄д ̄;) 「多分…」


←チャンス? いや、別にピンチってワケじゃないしなぁ…

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