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黒斎 in 沖縄

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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ヾ(≧▽≦)ノ 沖縄のみなさーーーーん! こーんばーーんはーーーーー!


妙なテンションを引っさげた挙動不審の黒斎が、道中逮捕されることなく無事那覇市内のホテルへ到着いたしましたーーー!!!


ってことで、先ほどひとっ風呂浴びてですね、ホテルの一室にてこうして更新しているワケですが…

スゴイんですよ。阿部さんが手配してくれてたお部屋。


「リラックスルーム」とかいうやつらしいのですが、なんつーか、立派で、広くて、オサレで。

シングルのはずなのに、ベッドデカイし。壁には液晶アクオスが埋め込まれてるし。

でもって、デーーーンと、革張りピカピカのマッサージチェアなんかがあったりしちゃって。。。


さらに。

こういったホテルに付き物の、アレ、あるじゃないですか。

廊下にカード販売機があって、テレビ下のスリットにプリペイドカードを差し込むと「お父さん向け動画」が流れるあのシステム。

探しても廊下に券売機がないんですよ。

で、ホテルの案内冊子を開きますと…


「VOD・有線放送、200タイトル以上が無料でご覧いただけます。」


(; ゜ ロ゜)ナン!( ; ロ゜)゜ デス!!( ; ロ)゜ ゜トー!!!


やべぇ… 今晩寝れねぇ…


さらにさらに。

先ほどお食事につれていってもらったのですが、その行き先のすごいことって言ったら…

沖縄にお住まいの方なら、やはりご存知なんでしょうか?

「天久テラス」ってお店だったんですけどね、なんすか、このゴージャス感。

入り口に常時ロックかかってて、勝手に入れないんですよ。

会員制の天ぷらダイニングなんだそうですけど、まったく「天ぷら屋さん」には見えません。なんつーか、これまで見たことの無い『超豪邸』なんですよ。

フレンチかイタリアンって感じの雰囲気の中でいただく揚げたてアツアツの天ぷらの数々。

これがスゲーうまいんです。

で、一通り天ぷらを楽しませていただいた後に、鍋が登場しまして、しゃぶしゃぶモードに突入です。

ポン酢のタレでいただいたのですが、このタレがまたスゲーんだ。

聞いてみましたら、特許申請中の秘伝の島唐辛子ソースが入っているんだとか。

つづきまして、私の大好物。「スープカレー様」の登場です。


(; ゜ ロ゜)ナン!( ; ロ゜)゜ デス!!( ; ロ)゜ ゜トー!!!

沖縄にもスープカレーが食べられるお店があったのね。


失礼ながらも、「私、札幌在住の人間ゆえ、スープカレーにはちょっとうるさくってよ。」というジャブを打ちつつ、トマトベースのレッドカレー&ココナッツ風味のグリーンカレーをいただいたのですが…

なにこれ。美味しいじゃない。。。

これに先ほどの秘伝の島唐辛子ソースをピチョリとたらしますとあら不思議。

_| ̄|○ 完敗。


コレまでのスープカレーでは味わったことの無い「鮮烈」かつ「爽快」な辛さ。

まじでウマイです。

このカレー、ランチタイムなら会員じゃなくっても650円で食べられるんですって。

っていうか、コレで650円。。。

・゜・(ノД`;)・゜・ うわ~~~ん。札幌でもこれ食べた~~い!


阿部さん、ほんとに何から何までありがとーーう!



と、いうワケで、ただいま沖縄を満喫中でございます。

VIVA!沖縄!! 


明日、会場でお会いします皆々様。

寝不足で、目の下真っ黒だったらゴメン。。。



←明日はテンションが落ち着いていますように。

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一杯一杯

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(  ̄Д ̄)○==-~ 『8時ちょうどの~♪』

(  ̄д ̄)○==-~  「あずさ2号で~♪」


(  ̄Д ̄)θ (  ̄д ̄)θ 『私は私は沖縄へ 旅立ち~ます~~~♪』



ふおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!

やべぇ! 狩人ごっこなんてしてる場合じゃねーーーー!


いよいよ明日出発ですよ! 明後日には本番ですよ!!!


なのに!


なんの準備も出来てなーーーーーいっ!!



(; ̄д ̄) ´∀`)・ω・) ゜Д゜)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)ノД`)・゜・。 

↑※只今の複雑極まる心境を表してみましたの図



ああぁ…どうしよう、この妙なテンション。。。



少し冷静になれっ、俺っ!

よし。こういう時は…やっぱり深呼吸だ、深呼吸。


ひっひっふ~~。ひっひっふぅ~~。





だめだ…テンションがおかしくなりすぎて、またもや深呼吸がラマーズ法状態だよママン…。


とりあえず、夏物衣料を引っ張り出さなきゃ…


あー。何着ていこう…

こういう時って何着りゃいいの? スーツ? タキシード?

それとも北海道民らしく、タカ&トシの「ライオンTシャツ」か?

いっそ「まりもっこり」にあやかって、緑のジャージ上下かっ!



ヾ(; ̄Д ̄ )ノ″ うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!



←こんな状態で、無事沖縄に辿り着けるのでしょうか?

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マトリックス.16

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(||´ロ`)o=3 ゴホゴホ


(||´д`)o=3=3=3 ゴホゴホガハゲヘゴホガハ


(>Д<)カァーッ ( -д-) 、ペッ





一昨日あたりから咳が出てきだしました。

咳が止まらないだけで、それ以上でも、それ以下でもないのですが…。

こんにちは。本番に弱い男(マスク着用)です。

まぁ、いつものことだ。金曜日には治ってるでしょう。

ね、雲さん。




(  ̄ー ̄)ニヤリ


ヾ(`⌒´メ)ノ″ “ニヤリ”ってなんだ!



【chapter.17/監視人・エージェント】 vol.2


さて、前回のチャプターの続きを見てみましょう。

ここでも、とても興味深いセリフに出会えます。


黒ずくめの人々が行きかう中、ひときわ目立つ赤いドレスの美女。

すれ違う美女に、ネオも思わず目を奪われました。


「赤いドレスの女に見とれてたか? 振り返って見てみろ。」


モーフィアスに促され、背後を確認したネオの目の前にいたのは、赤いドレスの美女…ではなく、銃を向けたエージェントでした。


「ストップ!」

「これは…マトリックスじゃない?」

「訓練プログラムの中だ。“エージェント(監視人)”を知る為のね。」

「こいつは、何者?」

「プログラムの一つだ。コンピューターに直結し、ソフト間を自由に移動。プラグに繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックスの中の誰にでも変身できるということだ。我々は連中から逃げ続けてきたが、連中は監視人として常に人々を見張っている。いずれ誰かが戦わなければならない。」

「だれか?」

「君には正直に話そう。今まで彼らと戦った者は全て死んだ。連中のミス以外では勝てん。」

「なぜ?」

「パンチは壁を砕き、銃弾はことごとくかわされる。だが、マトリックスにも物理的限界がある。つまり、最後は君の強さと俊敏さが勝る。」

「俺も弾をかわせると言っているのか?」

「そうじゃない。君が真に目覚めれば…かわすまでもないんだ。」



これもね、自我(エゴ)の特徴を説明している、と言う風に解釈することができるかと思います。


「自我(エゴ)」は、実は個人的なものではありません。

「○○さんのエゴ」とか、「私の自我」というのはあり得ないんです。

(「ニュー・アース」をお持ちの方は、84ページの「エゴは個人的なものではない」の章と照らし合わせてみてください。)


これ、どういう風にご説明したらいいかなぁ…


例えばね、この「プログラム」を「感情」としてみましょう。

わかりやすいところで、「怒り」というエネルギーで考えてみましょうか。

「怒り」は個人的なものではありません。

先ほどのセリフを「怒り」を説明したものとして置き換えてみますよ。


「“怒り”って? こいつは何者?」

「プログラム(感情)の一つだ。コンピューター(自我)に直結し、ソフト(人間)間を自由に移動。プラグ(コンプレックス)に繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックス(仮想現実)の中の誰にでも変身できるということだ。我々は連中から逃げ続けてきたが、連中は監視人として常に人々を見張っている。」



「怒り」というエネルギーは、人から人へと連鎖します。

どうでしょう?

この意味、なんとなくでも掴めましたかね?


「エネルギー」という単語の言い方も、少し変えてみましょうか。

「怒り」という「思考パターン(プログラム)」は、人から人へと連鎖します。


仮に、喧嘩している(怒りをぶつけ合っている)2人がいるとします。

一般的な捉え方で見ると、この時の2人の様子は「お互いの個人的な感情をぶつけ合っている」と言う風に解釈されるかと思います。

でも、本当は違うんです。

「個人的な(別々な)感情」をぶつけ合っているのではなく、同じ「怒り」という自我に繋がるプログラムを「共有」しているんです。

「怒り」は個人とは関係のない、ただのプログラム(思考パターン)のはずなのに、すっかり「怒り」に飲み込まれ、「怒り」そのものになってしまいます。


モーフィアスの「(プログラムは、)プラグに繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックスの中の誰にでも変身できるということだ。」という説明は、そういうことなんです。


では、プラグ(自我)に繋がっていない人だったら、どうなるでしょうか?

そう。怒りを向けられても、その怒りをサラリと受け流す事が可能となります。



「君が真に目覚めれば…かわすまでもないんだ。」



←どうでしょう?伝わってますかね?

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更新情報

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インデックスを更新いたしました。

過去記事の検索等にお役立てください。


タイトル一覧.1

タイトル一覧.2

【選り抜きINDEX.1】黒斎的人生論

【選り抜きINDEX.2】仏教入門

【選り抜きINDEX.3】オムニバス

このblogの主旨




←こちらもよろしくお願いいたします。

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マトリックス.15

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さて。続きを書きましょうね。


【chapter.17/監視人・エージェント】 (ここ、すっごく重要なチャプターです。)


プログラムが変わって、舞台は雑多な街。

「エージェント」を知るための訓練プログラムの中です。

信号機が青に変わると同時に、対向から黒ずくめの人々が一斉に渡り始めます。

人ごみにぶつかりながら歩くネオに、モーフィアスはこう説明します。

「マトリックスは社会システムだ。我々の敵は社会システム。その中にいるのは、ビジネスマン・教師・弁護士・大工…、我々が救おうとしている人々だ。だが今はまだマトリックスの一部で、つまり敵だ。彼らはまだ真実を知る準備が出来ていない。彼らの多くがマトリックスに隷属し、それを守るために戦おうとする。」

以前ご紹介したことのある、エックハルト・トール著「ニュー・アース」をお読みになった方なら、上記セリフの意味が明確に見えているかと思います。

この書籍の中とすり合わせると、ちょうど第四章の「エゴはさまざまな顔で、いつのまにか私たちのそばにいる」という、あの内容のことを表現しているシーンなんです。


僕たちは日々、マトリックスが見せる仮想現実の中で独自のドラマを紡いでいます。

そのドラマの脚本を書くのも、監督をするのも、主役を演じるのも、観客も全て「自分(自我)」です。

アナタが演じているのは、どんな役柄でしょうか。

ビジネスマン? 教師? 弁護士? 大工? 勇敢に悪と戦うヒーロー? それとも、悲劇のヒロイン?

「頭」は、自分が思う「自己イメージ(役柄)」に合わせたストーリーを書き上げていきます。

たとえば…

子供がいる男性であれば、「(○○な生い立ちで、○○を生業としている、○○な性格の)父親」という自己イメージ(役柄)に沿って、子供に向かいます。

その時、監督である「自分(自我)」が、行動の一つ一つに演出を加えます。

この「演出」が、普段無意識に行っている「固定化された思考パターン」です。

監督(自我)は言います。

「ここは子供と向かい合うシーンなのだから、声のトーンは普段よりやさしく、でも“親”としての上から目線は忘れないように。語尾には“でちゅよ”を付けなさい。」

その監督の指示に従って(固定化された思考パターンに基づいて)、「自分」は忠実に演技します。

「○○ちゃ~ん。ただいま~。いい子にしてまちたか~?パパの言うとおりにしないと、ちゃんとした大人になれないでちゅよ~。」

その時その子が、「なにそれ?気持ち悪い。そんな子供扱いなんてしないでよ。私はもう大人なんだから。」なんて、反抗的な態度を見せたとしたら、監督は黙ってはいません。

(-ε-)b" チッチッチッ 「あー、もぅ。だめだめ~。君がいくつになろうとも、僕の描いたドラマでは、君はあくまで“子役”なんだ。そんな演技は認めないぞ。さ、Take2だ。もう勝手なアドリブは許さないからね。僕の描いた脚本どおりに演じなさい。」

他人だけではなく、自分自身の演技に対しても同じ事をしています。

「大人の言うことを聞かない子供」という出来事・シチュエーションを前にして、「私は今父親役だから、このシチュエーションではこういう感情を出すべきだ。よし、怒ろう。」

なんて感じでね、子供が行った予想外のアドリブに対しても、迅速に脚本を書き換え、自作自演をするんです。



マトリックスに繋がれたままの人々は、自分だけに留まらず、他人まで自分の書いたドラマに巻き込み、勝手に相手の役柄、また、その役柄に合わせた演技指導までしてしまいます。

「私はカワイイお嫁さんを演じるわ。だからアナタはステキな旦那様を演じて頂戴。」

マトリックス(社会システム)の中で、“役柄”を通した人間関係を築いてしまう。

あらゆるコミュニケーション不全は、このことが原因となっています。

「自分の描いた脚本通りに周りが演技してくれない。」

それが、「思い通りにならない」というストレスに直結します。

でもね、考えてみてください。アナタが描いたドラマの脚本なんて、他の人たちは見たことも聞いたこともないんです。まして、その脚本は日々書き換えられてしまいます。

いくらアナタの書いた脚本が完璧でも、周りが思い通りに動いてくれない方が「当然」なんです。

アナタのドラマではアナタが主役ですが、他人のドラマの中でのアナタは脇役です。


その仕組みに気付いていない、マトリックスに繋がれた人は、相手の“ありのままの姿”ではなく、自分の描いたキャラクター設定を他人にも押しつけて、自分のドラマを、自分の描いたとおりに完成させようと頑張ります。

モーフィアスが言う「敵は社会システムだ」の意味は、そう言うことです。

そのシステム(ドラマの構造)に気付かないかぎり、彼らの多くはマトリックス(社会システム)に隷属し、それを守るために戦おうとしてしまいます。

そう、これまで描いてきた自分のドラマを台無しにしないために。

ですが、その“敵”は本当の“敵”ではなく、「救うべき人たち」なんです。

そして。

この映画で描かれる「エージェント(監視人)」とは、自我が持つ「監督」という一面のことなんです。

監督は「自分」だけではありません。

日々コミュニケーションを図っている他人の中にも、別な監督がいるんです。

監督はいつも言います。

「マトリックス(ドラマ)の中に帰っておいで。さぁ、演技を続けよう。」



真実は、「世の中(社会システム)は何か変だな」と気付ける感性のある人にしか見えません。

この世に生まれて、(生まれる前からあった)システムに洗脳されてしまうと、物事を深く思考することができなくなります。

それが「あたりまえ」になってしまっているので、深く思考する必要性も感じることはないでしょう。

目覚めた人々がどんなに真実を伝えようとしても、聞く耳を持たない人には伝わりません。

真実を知る準備は、病気や不幸などの“絶望”や“挫折”などを通して、その時期を迎えないと、なかなか気づけないことなのです。


人生において、様々な苦難を乗り越えてきた人には、やはりそれ相応の奥深い人格があります。

その奥深さは、何かを得ることによって生まれたワケではありません。「演技を止めたから」生まれたものなのです。

だから、奥深い味わいを醸し出すあの人は「いつでも自然体」なんです。

何も演じない「自然体」が本来の姿だから、本当の意味での「個性」があります。

何者かを演じることを止めた人に残るのは、「ありのまま」という姿。





え?僕ですか?

そりゃぁまだまだ演技をし続けていますとも。

仕事してれば「会社員」。

家に帰れば「お父さん」。

ブログを書くときゃ「雲 黒斎」。

買い物するときは「お客様」ですし、親の前では「子供」です。


でもね、自分が演技をしていることを忘れて演じているのと、演技をしている自覚があるのでは、全く世界が違うんですよ。



←ちゃんと押しまちょうね~(猫なで声で)(←反感を買うこと請け合いです。)

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