塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

昔、買い物で苦いを思いをしました

2020-02-09 00:39:28 | 日記
 長野市にかつて「オクトパス・アーミー」という、アメカジ店がありました。

 そこには中古品のリーバイス501が大量に陳列されていたことを覚えています。

 高校生になった僕は、ようやく自分の意思でジーパンを買おうと考えたのですが、店員さんに

 「試着室はどこでしょうか」
 「裾直しにどれくらい時間がかかりますか」

 と尋ねる勇気が無かったんですよ。

 中古ですから色あせた501もあれば、まだインディゴ・ブルーの風合いが強い501もあるわけで、実際履いてみないとどの色彩が自分好みかさえ判断が出来ないわけです。

 でも自信も勇気もない僕は、商品棚から適当に

 「これが僕に合うと思う」

 という501を選び、会計し帰宅したのですが、これは大失敗でしたね。

 僕には28、もしくは29インチが最適だったのですが、「適当」に選んだその501は32インチで、お金を無駄にしてしまいました。

 僕は今、試着せずに服を買うことはまずありませんが、ここで良い店員の基準として

 「その服を買う客に不利益が生じるならば、別の服を推奨する」
 「しきたりや礼儀を説明する」

 事が不可欠だと思います。

 礼服で稀にローファーやボタンダウンシャツを着用している方がいますが、これはマナー違反ですよね。

 マナーは「しきたり」、つまり正月に門松を飾る、お盆にはお墓参りをするのと同様、逸脱は許されないわけですから、本人が無自覚ならば店員が着てはいけない理由を説明するべき、と思うのです。

 加茂、ユニオン・スポーツ、フタバ・スポーツなど、圧倒的な商品量や価格でファンを満足させるサッカー店舗は、毎日多くの方が利用するhがずです。

 そこには多くのスパイクが陳列され、名手が愛用するという理由で試し履きをする学生が多くいると思います。

 その際に店員さんが

 「あなたの足型を確認しますよ」
 「むしろ、こちらにしてはいかがでしょうか」

 と適切な助言をしてくれるなら、多くのサッカー好きが世に増えていく、そんあ気がします。
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レアルが誇る白き伝統

2020-02-09 00:21:18 | 日記
 どうしてレアルはホームジャージの「純白」を維持できるのでしょうか。

 どうしてアディダスは伝統の黒と白のストライプを取りやめ、バルセロナはボーダーや市松模様など、ホームジャージのデザインを変更するのでしょうか。

 インテルのように縦じまは残すが、その幅を変更する、胸元だけを斜めにデザインするというような、不規則な変更もあります。

 これはレアルのジャージが

 「時代によって胸スポンサーは変化する」
 「しかし、純白であり続けることに意義がある」

 という重みがあるためではないでしょうか。

 すなわち、純白である以上、キャンバスと一緒でデザイナーは様々な発案を取り込めることはかのうでしょうが、逆に純白であるからこそ、手を入れられないという側面があります。

 レアルは優勝が多いクラブですから、胸元に
 
 「クラブ・ワールドカップ優勝における金の盾」
 
 が縫い付けられますし、アディダスの3本線は金色をはじめ、様々な色彩が用いられてきました。

 しかし、アディダスだろうが他のブランドだろうが、白以外の色彩を提案した瞬間、それはレアルがレアルで無くなることを意味します。

 プスカシュ、スティファノの時代
 キンタ・デル・ブイトレの時代
 ラウール、グティ、ジダンの時代
 ロナウドの時代

 ベルナベウに集うシーズン・チケットホルダーは、過去の戦績と偉大なる名手が纏い続けた誇り高き「白のジャージ」を、選手が着用し躍動することが当然と考えています。
 
 この「レス・イズ・モア」の考えこそが、レアルの根幹を維持している気がします。

 桁はずれの監督交代と選手の入れ替えを除いては、ですが。
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パリ、バルセロナ、そして日本

2020-02-09 00:11:54 | 日記
 ウルグアイ代表カバーニが、所属先のパリ・サンジェルマンに移籍を志願し、アトレティコ・マドリードへの移籍を模索していました。

 結果は破断になりましたが、最新号のワールド・サッカーダイジェストを読み、カバーニが移籍を考えた背景を知りました。

 トーマス・トッヘルは布陣を4-4-2に変更し、2トップとイカルディとエムバッペ、両翼をネイマールとディ・マリアを用いており、カバーニの居場所がなくなってしまったのですね。

 ズラタン・イブラヒモビッチ在籍時は我慢してライト・ウイングで奮闘
 彼がユナイテッドに移籍してからは、センター・フォワードとしての責務を果たす
 ネイマールのように、幼稚と指摘される喧噪を一切起こさない

 これだけ奮闘してきたのに、居場所が突然無くなってしまい、なおかつ移籍すらできない。

 カバーニの心情は現状、どのような代物でしょうか。

 ワールドカップ86得点王になったリネカーもそうでした。

 彼はセンター・フォワードとして最高の能力を発揮するにも関わらず、ヨハン・クライフはなぜか彼をライト・ウイングに指名します。

 バルセロナではスペイン語ではなく、土着のカタルーニャ語を覚える選手に人気が集まりますが、リネカーはこの習得が難しい言語を短期で覚え、ファンの評判が良かったんですね。

 ライト・ウイングにコンバートされ、本来自分が「受ける側」であるはずのセンター・フォワードにクロスを供給する日々に、彼は辟易していたと言います。

 サッカーだろうが私達の職務だろうが、

 「必ず適正の部署がある」
 「そこに至らないから移籍、転職をする」

 点はあるでしょうね。

 日本の終身雇用が崩れたことは、経済的価値だけではなく、自分を最大限に活用できる場所を模索している結果ではないでしょうか。
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