塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

シティはFFPを過去に無視したのだろうか

2020-02-19 00:27:49 | 日記
 マンチェスター・シティがファイナンシャル・フェア・プレイに抵触した、と言う報道があります。

 その結果として

 1・来季より2年間、チャンピオンズ・リーグへの出場は叶わない
 2・そのために減収が見込まれる
 3・シティはこのUEFAからの通達に反論し、スポーツ仲裁所(CAS)へ申請

 という3点の動きがあるようです。

 シティはパリ・サンジェルマンのような、ある種「強引」な手法を取ることなく、成長してきた印象があります。

 つまり、パリ・サンジェルマンはネイマールに代表される、有力選手を高額報酬、高額違約金で獲得し、ねじ伏せようとしてきました。
 
 バイエルンやレアルですら、そんな簡単にチャンピオンズ・リーグで優勝できるわけがなく、従って新興勢力が軍用割拠の時代に割って入ることに、彼ら伝統クラブは冷めた目で見ているとも言われます。

 シティはむしろ

 2011年のダビド・シルバの移籍を軸に、地道に成長を促してきた
 チキ・ベギリスタイン、フェラン・ソリアーノというサッカーと経営に明るい人物を招聘
 最終的にはグアルディオラを招く

 という形で、長期に渡って資産と実力を形成してきました。

 そのグアルディオラをもってしても、イングランド国内では素晴らしい成果を得ましたが、チャンピオンス・リーグの優勝には手が届いていません。

 つまり、流行や刷新の速い欧州では、インテルやミランのような優勝を誇るクラブでも、すぐに古豪と呼ばれるようになってしまいます。

 2季、チャンピオンズ・リーグから離れるようであれば、今季がある意味、最後のチャンスのように思えます。

 ただ、FFPの問題が本当であれば、首脳陣の焦りが根底にあったのかもしれませんが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マキャベリ語録からの抜粋

2020-02-19 00:04:37 | 日記
 「指導者をもたない群衆は、無価値も同然である」

 これは新潮文庫より刊行されている塩野七生著「マキャベリ語録」の123ページから引用したものです。

 これはマキャベリの著作「政略論」に記されており、なるほど人間社会はこれまで君主制、民主制、共和制など様々な政治体制を生み出してきたことを実感します。

 京セラの稲森和夫氏の著作が大きな好感を得ているのも、読者が氏のような責任者と出会えたら、と考ているに違いありません。

 サッカーでいえば代表監督があたります。

 群衆をファンに置き換えれば、勝敗に関係なく試合終了後すぐにインタビュアーが肉声を届けることも当然と思えてきます。

 僕は以前から考えていますが、森保さんは本当に聡明な方だと思います。

 僕個人が森保さんに似ている部分がありまして、それは

 「脳裏には思い描く設計図が明確にある」
 「従って、その設計図を基に作成方法がしっかりと刻まれている」
 「しかし、その考えを他人様に向けて発信しない」

 つまり、漠然とした不安が連想される、というわけです。

 五輪代表に関して言えば、森保さんは残り2試合となった親善試合をどう使うべきか、今考慮しているはずです。

 またオーバーエイジの選出を含め、軸となる選手の顔ぶれも実際は胸中にあるのでしょうが、当然周囲に漏らすことはありません。

 ファンという群衆は、勝利や好景気の際は、指導者、指揮官を持ち上げますが、自分たちに不都合な出来事が起こると、その瞬間から背を向けます。

 それは企業も同様で

 ワーゲンの排ガス規制問題
 日産のカルロス。ゴーン氏の逃亡
 メルカリの営業赤字68億円

 などは、従業員に手に終える問題ではありません。

 代表監督への心理的負荷はますばかりですが、だからこそやりがいがあると感じる指揮官が多いことも確かです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする