塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が感じる東欧サッカー

2020-02-16 01:44:56 | 日記
 僕の住む千曲市は、今夏の五輪においてハンガリーの卓球代表チームが合宿を張ります。

 僕が知るハンガリーの予備知識と言えば

 1・首都はブタペスト
 2・日本と同様に、車は右側を走行し、大河ドナウ川が流れる
 3・高級紳士靴VASSが有名
 
 という3点でしょうか。

 現在、ハンガリー代表にとびぬけた有名選手はいませんが、フィレンチェ・プスカシュの名前は、現代サッカーでも燦然とした輝きを放ちます。

 ハンガリー内乱の影響
 古巣のホンヘドからレアル・マドリードへ移籍
 1954年ワールドカップは準優勝

 プスカシュの時代はまだ、東欧は内乱や二次大戦の影響が色濃いものでしたね。

 改めて思いますと、現状東欧のクラブがチャンピオンズ・リーグはもちろん、ヨーロッパ・リーグで優勝することも困難でしょう。

 セルビア レッドスターとパルチザン
 チェコ スパルタとスラヴィア
 ルーマニア ステアウアとディナモ

 というように、当然東欧でもダービーの熱い戦いや名門は存在しますし、サッカーは大変な人気ですよね。

 木村元彦氏に代表される作家が、東欧サッカーと文化に魅了されるのは、こうした人々が手に負えない内乱や動乱の中で生き、そしてサッカーを愛し続けているためではないでしょうか。

 その代表例がイビチャ・オシムであり、1992年のユーゴ代表と言える気がします。

 日本でもピクシーやマスロバルの声に耳を傾けた方がたもいらっしゃいますからね。
 
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監督にとっての場数とは

2020-02-16 01:17:13 | 日記
 首脳陣がサイン盗むを犯したために、評判が地に落ちているヒューストン・アストロズ。

 プレシーズンからシーズン開幕までに、この話題が沈静化するかどうかはわかりませんが、ファンはスタジアムに集うでしょうか。

 野球だろうがサッカーだろうが、空席の目立つ観客席ほど見栄えの悪い代物はありませんからね。

 そのアストロズは人望の厚い事で知られる指揮官、ダスティ・ベイカーを新シーズン指揮官として招聘する様子です。

 彼は御年70歳ですが、最先端機器を取り入れることに抵抗感がなく、サンフランシスコ・ジャイアンツを軸に、多くのチームを指揮してきた実績があります。

 僕たちの多くは喫緊の事態に

 「場数を踏んだ経験者か」
 「経験はないが、若くて未来がある人物か」

 でリーダーの指名に迷いますよね。

 アストロズは柔和で選手を信頼できる指揮官を招聘したと言えそうです。

 米国民主党でいえば、若い世代がバーニー・サンダースを熱烈に支持するような物でしょうか。

 サッカーならばチェルシーがそうかもしれません。

 2007年、モウリーニョ解任の後任はアブラム・グラント
 2008年、フェリポン解任の後任hはフース・ヒディンク
 2018年、コンテからマウリツイオ・サッリへ

 というように、チェルシーはヴィラス・ボアスような一例以外では、監督に場数を求めているように思います。

 バイエルンが(解任になりましたが)ニコ・コバチ、ホッヘンハイムがナーゲルスマンなど、威勢のよい人物を監督に指名する、ブンデスリーガとはどこか趣が異なります。

 逆に言いますと、プレミアのビッグ6における指揮官への尋常ではない重圧、軋轢に耐えるには、場数という処方箋が不可欠という意味でもあるのでしょう。

 エバートンがアンチェロッティを指名したことからも、その傾向が感じられます。
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雑誌ファイン、内田篤人を表紙の起用

2020-02-16 01:00:03 | 日記
 雑誌「ファイン」の表紙を飾った内田篤人。

 撮影用に準備されたスニーカーもアディダスであり、読んでいてスタイリストの配慮を感じました。

 彼自身は服装に無頓着のようで、妻から服装を指摘されることもあるようです。

 お子さんを連れて外出することも多いようで、気分転換に丁度良いのだと思います。

 サッカー雑誌以外から取材が入ることも、彼に限らず気分転換になると良いのですが。

 確か「アンアン」が五輪代表候補である田中碧を特集したと思いますが、雑誌媒体の取材を受ける頻度は高めてゆくべきでしょうね。

 サッカーに限らず人間は、話す、聞く、頷くなどの行為を繰り返すことで、言葉遣いやジェスチャーなどが必ず向上しますし、何より知ってほしいという知的欲求が生まれます。

 Jリーグが産声を挙げた1993年、プロリーグは他に野球だけででした。

 もしこのとき、誰かが周囲に

 「いずれバスケットボールと卓球もプロリーグになるよ」
 「野球では大リーグで活躍する選手がどんどん誕生するよ」
 「1964年以来、夏季五輪がやってくるよ」

 なんてことを考える、発言するなどをすれば、実に奇妙なことだと思われたに違いありません。

 そう、今のJリーグが

 「数あるプロリーグのひとつ」
 「海外リーグで活躍する選手の特集記事を組みたい」

 という、ワン・オブ・ゼムの中にある以上、選手たちはマスメディアに語り掛けることが必要です。

 スポンサーのファン・プロモーションやJリーグのキックオフ・カンファレンスなど、発言の間違いや内容に注意すべき場面はあります。

 でも、懸命に話す行為はきっと、熱意として伝わると思いますし、試合と一緒で場数が物をいうはずですから。
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