塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

仮にラツイオがスクデットを獲得したならば

2020-02-12 01:21:42 | 日記
 2018-19シーズンのセリエAは、プロビンチャのアタランタが3位につけ、チャンピオンズ・リーグの出場権を得ました。

 指揮官のガスペリーニは2012年、インテルで屈辱を味わいましたが、ジェノアでもアタランタでも十八番である3-4-3を機能させ、自身の存意義を見せてきました。

 逆に言えばインテルでのミスマッチは、ビッグクラブが持つ融通の無さを、如実の証明したと言えるかもしれません。

 そして今季はシモーネ・インザーギ率いるラツイオが、2000年以来となるスクデットに手が届く「かも」しれません。

 前回のスクデットは

 1・スベン・エリクソンという、名の知れた指揮官の下で獲得
 2・オーナーのクラニョッティが有力選手を続々と獲得
 3・マティアス・アルメイダ、ファン・ベロン、マルセロ・サラスなど、南米出身選手たちの大活躍

 などが要因として考えられま

 しかし現在のラツイオは当時のような、強固な財政基盤がありません。

 セビージャのように

 「南米市場から有力選手を低コストで獲得」
 「高値になった時点で売却」
 
 というサイクルで市場を賑わしています。

 その売却の代表例がブラジル代表のエルナネスとフェリペ・アンデルソンであり、少し前ならマウロ・サラタなどが思い浮かびます。

 ですから現在首位インテルとは勝ち点差1の3位という成績は、シモーネ・インザーギの力量が如実に反映されているといっても大げさではないでしょう。

 仮にラツイオがスクデットを獲得すれな、当然ローマファンはシ地団太を踏みます。

 インザーギ監督の銅像が建立されるくらいの勢いになるかもしれませんし、喧噪の街ローマ市内にラツイアーレの咆哮が轟くことでしょう。
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野村克也氏の訃報を聞いて

2020-02-12 01:00:11 | 日記
 他界した野村克也氏の功績は、野球好きでなくとも理解できるものです。

 ノムさんの愛称で知られた指揮官も、やはり悔やんでいたのだなあと思う出来事があります。

 ノムさんは阪神タイガースで3年間指揮を執りましたが、彼からすればこの契約は失敗と感じているようで、スワロース時代とは全てにおいて勝手が違ったのでしょう。

 そのスワローズ時代の1992年でしたか、高速スライダーを武器に素晴らしい投球を見せた伊藤智仁氏を酷使させ、以後、彼から輝きが失ったことも、後悔していたと聞きました。

 当時の伊藤投手は先発投手として、1試合で150球以上投げることはザラだったはずですし、肩を休ませる頻度が非常に少なかったことも、以後調子が上がらなかった要因だと思います。

 大リーグは昔から

 「投手の肘と肩を護る事」
 「先発は6回、自責点3なら御の字」

 という概念があり、ノムさんの伊藤投手の扱いは理解できないでしょう。

 ただ、伊藤氏は監督の期待が嬉しかったようですし、ノムさんからすればスワローズがリーグ優勝するには、彼を頼ることが最善策だったに違いないのですが。
 
 今のJリーグにおいて、ノムさんのように

 理論を適切に自分の言葉で語る事の出来る人物
 マスメディアとのやり取りから、彼らを成長させようとする意志

 を感じさせる指揮官はいないと思います。

 むしろ、イビチャ・オシムの方にその感覚があると思いますね。

 オシムもまたその言動がマスメディアから注目されましたが、根底にあるのはサッカーへの愛情と経緯であり、内紛でゆれたユーゴスラビア代表での苦い経験でした。

 「私はレアル・マドリード向けの監督ではない」

 と、白い巨人に見向きもしなかったオシム。

 両者のように類まれな叡智を持つ人物が現れることは、今後あるでしょうか。

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