塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

誰かが誰かを助けること

2020-02-03 00:39:31 | 日記
 僕は部活動やクラス分けで、随分といじめられたり孤立してきました。

 学校を卒業して働き始めてからも同様で、嫌味をいわれたり「そんざい」な扱いをされてきたことは凄く多いだと認識しています。

 そのせいでもないのでしょうが、僕は新しく配属された従業員と働く機会が多いと感じていますが、僕はまず

 「自分の失敗談をよく話す」
 「叱責は当然ですが、なじったり、気落ちするような発言はしない」

 点を心がけています。

 何か伝達する際には、紙に箇条書きが図で内容を説明することもありますし、何か不備があれば彼ら、彼女らの理解力、言い換えれば頭の中身ではなくてですね、

 「僕がもっとうまい伝達方法を吟味すべきだった」
 「ではその方法は何だろう」

 と考えるんですよ。

 僕は過去に発言者の意図が良くわからずになじられたことはありますし、伝達する際は

 「あくまでこれは机上の理論にすぎません」
 「参考程度にして、今すべきことができたなら、そちらを優先してくださいね」

 と語ります。

 イビチャ・オシムが代表監督時代、責任は私が取ればよいと語りかけていましたが、そのような指揮官に出会えた選手は嬉しかったでしょうね。

 日本人選手が海外に移籍する
 Jリーグに外国籍選手が移籍する

 そのどちらも、やはり誰かの手助けが必要ですし、温かい気持ちを抱いたならば、すぐにそのリーグの発展に寄与したいと思う物ではないでしょうか。

 神戸がスペイン代表のペドロ・ロドリゲスを獲得するという話もありますが、彼のような名手であもアジアでプレイするこは「勝手」がちがうわけです。

 どんな名手でも最初から活躍できるわけではなく、だからこそ周囲のまなざしが問われる気がしますよ。
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異国の地に飛び立つ勇気

2020-02-03 00:28:04 | 日記
 僕が大学時代を過ごした甲府市。

 方向音痴の僕が助かったのは、甲府駅も北口と南口しかないシンプルな構造で、駅の中で迷子になることが無かった点です。

 当時は携帯電話が無いため、帰省を終えて甲府駅に着くと備え付けの公衆電話から、両親に電話を掛けたものです。

 当時は不思議な心境でしたね。

 最寄りのしなの鉄道戸倉駅に到着すると

 「ああ、帰ってきたなあ」
 「この見慣れた光景は変わらないな」

 という気持ちになり、甲府に戻る際に再度プラットフォームに飛び立つと、今度も無事に帰省できるのか、という漠然とした不安。

 しかもその日のうちに甲府のアパートについているわけですから、何となく時間軸が不安定に思えましてね。

 「ああ、甲府に帰ってきた。今日からまた一人だな」
 「何もトラブルが起きなくてよかった」
 「でも、やっぱり一人は寂しいし、ぎこちないな」

 と様々な気持ちと考えが頭をよぎり、その心境は今思い出しても例えようがありません。

 Jリーグでプレイする外国籍選手、その多くが今も昔もブラジル国籍が多いわけですが、南半球から北半球へ、しかも米国という英語圏の国で乗り換えをするのは、本当に不安でしょうね。

 交通事故で昨年高いしたホセ・レジェスがセビージャからアーセナルに移籍する際、母親が涙で見送ったと何かで読みましたが、風習の異なる異国に息子が飛びたつ事実。

 成人していようがなかろうが、両親からすればある意味断腸の思いなのかもしれません。

 僕は今も昔も友達がいないので、大学時代両親と電話で話すと、やはり気分が落ち着いたものです。

 高校時代はクラスで完全に「宙ぶらりん」の形で勉強も冴えませんでしたから、2年生の時に避けることができなかった長崎県への修学旅行は、心理的負担がすごかったことはよく覚えています。

 ですから両親に

 「旅館から電話はしないよ」

 と伝えてはありましたが、結局毎晩のようにテレホンカードを使いましたね。

 僕はその時、ニューバランスの靴で出かけたのですが、彼らがサッカースパイクを手掛けていた、と知るのは後日談になります。

 ただ、友人も恋人がいない人生に何ら変化が無い事、これだけは当時から一緒ですけれども、
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下見をする大切さとその際の直観

2020-02-03 00:17:56 | 日記
 僕がわざわざ高いお金を払ってタクシーに乗車し、帰りに道に迷い続けたのは、下見をしたかったんですね。

 その下見を終えて感じたことは

 1・直観で「そうじゃない」「こうじゃない」と感じたことは、どこまで自身で信ずるんべきか
 2・やはり事前に確認しておくべきことは大事

 という2点でした。

 僕が実際に足を運んだのは、当然インターネットで情報公開はされているのですが、画面を通じてわかることと実際に足を運んで感じることに、温度差があるに違いないと感じたためです。

 その点を自分で見つめ、今も問いかけているのですが、複数回訪れることが可能ならば、訪れた方が良いのかもしれません。

 代表監督がワールドカップ出場を決定した際、現地に飛びホテルの選定や移動距離など、様々は側面を念頭に置き、視察をします。

 当然代表監督だけでなく、現地のコーディネーターやアシスタント・コーチ、広報や医療責任者なども同道するはずです。

 その際、監督が直感で「イマイチ」「良い」と感じても、彼らがどう感じるかは定かではありません。

 ただ、僕は直観で「そうではない」「考えていた内容とは異なる」と思うのであれば、潔くやめる勇気が必要と感じます。

 日本代表の場合

 1・ドイツ大会では宿舎に窓がなく、選手が密閉されていると感じる
 2・ブラジル大会では宿舎からスタジアムまでの移動距離が長すぎる

 という指摘がなされました。

 またイタリアは、韓日ワールドカップに向けて前年の2001年、日本遠征をおこないました。

 事前準備が素晴らしい形で終えても、本番ではどうなるかはわかりませんが、事前準備のコストはケチらない方が良いとは思いますね。
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道に迷い、さあ困った

2020-02-03 00:07:28 | 日記
 JR長野駅善光寺方面に向かう出口と、東口と呼ばれる出口があります。

 僕は通常、善光寺方面しか通行しないのですが、昨日わけあって東口方面出口を利用したのですが参りましたね。

 当初は目的地まで、路線バスか徒歩か、それともタクシーかと3つの選択肢があったのですが、利便性と時間短縮を目安にタクシーを使ったので、行きはさほど問題は起きませんでした。

 苦労したのが帰りの行程で、僕は善光寺方面、イトーヨーカードーや東急百貨店など周辺の地理は「何となく」ですがわかります。

 しかし東口は学生時代、よく利用した(部活の備品を買い出しのため)のですが、近年再開発でその風景は劇的に変化し、当時の思かげが残っていないのです。

 タクシーの車窓から見た光景を頼りに歩くもなかなか駅が見えてこず、2回道を聞いてようやくたどり着いた次第です。

 僕は海外旅行をしたことがありませんから、当然サッカー観戦を海外で行ったことはありません。

 リバプールのアンフィールド
 ボカのボンボネーラ
 レアルのサンティアゴ・ベルナベウ
 
 他にもアリアンツ・アレーナやサンシーロなど、サッカー好きは一度でいいから現地観戦したいと思うスタジアムがあります。

 ここで難しいのは、

 1・スタジアムまでの行程をどうするのか
 2・スタジアムにたどり着けたとしても、無事自分の席が見つかるのか

 という2点があります。

 日本は安全な地域が多いわけですから、路地裏に迷って侵入しても大きな問題は発生しにくいですよね。

 しかし、サッカー観戦だろうが観光だろうが、諸外国は大抵の場合
 
 表通り、大通りはまず安全
 しかし、地元の人間でも近づかないような路地裏には、好奇心があっても絶対に侵入してはならない

 という側面があります。

 タクシーですら法外な金額を請求すると言われますし、タイやスペインからJリーグの観戦のために訪れた方が、不愉快な気持ちになって帰国しないと良いのですが。
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