MOONIE'S TEA ROOM

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「ソーシャル・インクルージョン」 は、「国民総 "生きがい" 社会」

2015年11月13日 | BOOKS
 簡単に言うと、「ソーシャル・インクルージョン」とは「弱者を切り捨てないこと」
もっと分かりやすく言えば、「全ての人が『生きていてよかった』と思える社会になること」ではないでしょうか。

 「ソーシャル・インクルージョン social inclusion」は、辞書などでは「社会的包摂」と訳されます。
 「包摂(inclusion)」とは、「包み込むこと」。英語の動詞「include(含む・包括する)」の名詞形ですね。

 EUなど欧米の国々は、10年以上前からこの「ソーシャル・インクルージョン」に取り組んできました。
 日本ではまだあまりなじみのない言葉ですが、先月、菊池桃子さんが「1億総活躍」の定義の一つの見方として「ソーシャル・インクルージョン」を取り上げていらっしゃいました。
 「一億総活躍」というと「国民が国のために頑張る」というイメージがありましたが、本来は「すべての国民が活躍しやすい社会にするために、国はいったい何ができるか」という意味でとらえないといけないということに、あらためて気が付きました。

 今回、何冊かの「ソーシャル・インクルージョン」に関係がありそうな書籍を手に取りました。

 『ユニバーサルを創る! ソーシャル・インクルージョンへ』
著者:井上滋樹
岩波書店

 この本で、著者の井上滋樹さんは、「ソーシャル・インクルージョン」を、
「何らかの事情により、社会で生活していくうえで、本来、すべての人に与えられるべき生活水準を保てない、また、仕事、教育などの機会を得ることなく、社会のインフラやサービスを十分に享受できない環境にいる人を、同じ社会の構成員として、社会に包括していくこと。または、そのための仕組みをともに創っていくこと」と定義しています。(p.viii)
 これを読んで、やっと「ソーシャル・インクルージョン」が分かった気がしました。
 「インクルージョン」をハンディキャップのある人・障害者の人のための単語だと思っていたのですが、こう言い換えていただくと納得です。
 「『ソーシャル・インクルージョン』ってなんだろう?」と思ったら、まずはこの本が分かりやすいかもしれません。

 『不安社会を変える』
著者:暉峻淑子・宇都宮健児・阿部彩・篠藤明徳
かもがわ出版

 この本では、第2章の「現代日本の貧困と社会的包摂への道」で、「ソーシャル・インクルージョン」を取り上げています。
 「いままでの政策は、異質な人々、例えば、職を失ってしまった人を、徹底的に訓練し直して「おぎょうぎのよい、生産性の高い労働者」に仕立て上げることでした。そうではなくて、この人でも働けるようにするには、職場をどう変えるべきだろう、と考えるのが『社会的包摂』的な政策です。」(p.101)
 「どのような不利を抱えていても、それぞれのできるやり方で働き、それで『人並み』の最低限の生活ができる、そのように、職場や社会を変えていかなければならないと思います。」(p.101)
そのほかにも、「教師の質を高めること、そのために教師にゆとりを与える必要があります。」(p.112)だとか、「包摂というのは、それぞれの人に生きる意味があり、生きがいがある生活をするということですよね。」(p.123)というところは、メモを取りながら読みました。
「1億総活躍」ではなくて、「国民総 "生きがい"」じゃないか?と、ふと思いました。

 『弱者はもう救われないのか』
著者:香山リカ
幻冬舎新書

 こちらは、前の2冊と違って「ソーシャル・インクルージョン」の難しさを扱っている本です。
 「自己責任論」や「格差の拡大」について論じたり、憲法改正案に疑問を投げかけたり、「なぜ人は弱者を助けるのか?」という宗教・道徳・倫理な問いにまで話は及びます。
 この本を読むと、「弱者を助ける心の余裕が、今この国にはないのかもしれない」とすら感じてしまいます。

「全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(憲法第25条1)

 障害のある人も、病気を抱える人も、一度道を外した人も、どこかで必要とされて、生きがいを持って生活して、健康的で文化的な生活を送る社会になるように。
 「ソーシャル・インクルージョン」が、当たり前の世の中になるといいですね。

 
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