人みな生を楽しまざるは、死を恐れざるゆへなり。死を恐れざるにあらず、死の近きことを忘るるなり(『徒然草』)人はいつか死ぬ存在だということは肝に銘じておかなければならないが、死への不安がいつも頭にあると有意義な人生は送れないよ。
騙されている人は騙されていることに気がつかないものだが、騙している人が騙している自覚がなく、むしろ良いことをしていると思っているのはタチが悪い。
臨済禅師 「生きていることが有り難いことだと心から思えて、自分の中のもうひとりの自分に出会えれば、(←なかなか出会えません)もう宗教などいらないのだよ。」
今は全国各地に巨大ひまわり畑がありますが、1990年代に広島県君田村(現三次市)と兵庫県南光町(現佐用町)、広島県の旭鷹農園(現在の世羅高原農場)に巨大ひまわり畑ができています。
当時は君田のひまわり畑のひまわりの数は日本一でした。(3つの地区の合計)君田のひまわりは現在は数が少なくなっていますが、当時は圧巻でした。
当時は君田のひまわり畑のひまわりの数は日本一でした。(3つの地区の合計)君田のひまわりは現在は数が少なくなっていますが、当時は圧巻でした。
我見瞞人漢 如籃盛水走
一気将帰家 籃裏何曾有
我見被人瞞 一似園中韮
日日被人傷 天生還自有
我れ人を瞞(あざむ)く漢(おとこ)を見るに
籃(ざる)に水を盛りて走るが如し
一気に将(も)ちて家に帰るも
籃裏(らんり)に何ず曾(かつ)て有らん
我れ人に瞞(あざむか)かるるものを見るに
一(いつ)に園中(えんちゅう)の韮(にら)に似たり
日日、人に傷(いた)めらるるも
天生(てんせい)還(ま)た自(おのずか)ら有り
人をだますものを見ていると
ザルに水を入れて走っているようなものだ
一気に持ち帰ってみても
ザルの中に何が残っているというのか。
人にだまされている人を見ていると
まさに畑の韮のようだ
毎日、葉っぱを切り取られても
ちゃんと生きているではないか
人をだます者は、物やお金を得ても代わりにどんどん自分の徳を失っていき、
だまされた者は物やお金を失っても徳は減らないのだ。
徳を失えば虚しさばかりが残るのだ。
詐欺師は実に悲しい人である。
最期には何も残らないのだから
お金や物はあの世には持っていけないが悪いことをしたという事実だけは残るのだから
一気将帰家 籃裏何曾有
我見被人瞞 一似園中韮
日日被人傷 天生還自有
我れ人を瞞(あざむ)く漢(おとこ)を見るに
籃(ざる)に水を盛りて走るが如し
一気に将(も)ちて家に帰るも
籃裏(らんり)に何ず曾(かつ)て有らん
我れ人に瞞(あざむか)かるるものを見るに
一(いつ)に園中(えんちゅう)の韮(にら)に似たり
日日、人に傷(いた)めらるるも
天生(てんせい)還(ま)た自(おのずか)ら有り
人をだますものを見ていると
ザルに水を入れて走っているようなものだ
一気に持ち帰ってみても
ザルの中に何が残っているというのか。
人にだまされている人を見ていると
まさに畑の韮のようだ
毎日、葉っぱを切り取られても
ちゃんと生きているではないか
人をだます者は、物やお金を得ても代わりにどんどん自分の徳を失っていき、
だまされた者は物やお金を失っても徳は減らないのだ。
徳を失えば虚しさばかりが残るのだ。
詐欺師は実に悲しい人である。
最期には何も残らないのだから
お金や物はあの世には持っていけないが悪いことをしたという事実だけは残るのだから