行雲流水

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きたろうの戯れ言

2020年01月10日 | 仏の心
○本当に賢い人というのは、物知りだとか数学がよくできるということではなく、情報の真偽を見極める能力のある人だと思う。私はまだまだであるが。

○仏教において八正道は大切であるが、要は情報の真偽を見極めて伝えていくことではなかろうか。デマを拡散しないことかな。

○信仰とか信心というものは、こちらが信じるものではなく、向こうの世界から信じさせていただいているものだと実感した。

○私の場合宗教に対する目覚めは、死の恐怖が原点になっている。

○子どもの頃、夏休みが始まると、2学期は永遠に来ないような感覚があったけど、若い頃は死が無縁のように感じられたのは、これに似ている。

○浄土真宗で「檀家」より「門徒」というのは、個人の宗教としての意味があると思います。例えば家の宗教が真言宗だから真言宗だというのではなく、弘法大師の教えがいいから真言宗だというのがいいと思います。(もちろん「家の宗教」はそれで意義があるとは思いますが)
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