野々池周辺散策

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JEFF “Chicken”MATIASEVICH・・・懐かしい写真!

2013-04-24 06:30:42 | モータースポーツ
    「’95~‘97年全日本モトクロス選手権チャンピオン:JEFF MATIASEVICH」
先日、RacerXonline(http://www.racerxonline.com/)に、JEFF MATIASEVICHとのインタビュー 記事「BETWEEN THE MOTOS: JEFF MATIASEVICH」があった。カワサキマシンで全日本モトクロス選手権の最高峰クラスに出場し、’95~’97年の3年間チャンピオンを獲得、誰にもチャンピオンを譲ることがなかった、優れたモトクロス選手だ。しかも、当時カワサキモトクロス開発担当者で、現アメリカカワサキ(KMC)でR&Dの責任者となっている横山 眞一郎さんとのツーショットだったので、なおさら懐かしさがこみあげてきた。
             
            「JEFF MATIASEVICH と Bassmasterこと横山 眞一郎さん」
今年の1月、 Anaheimでの Supercross レースを観戦していた JEFF MATIASEVICHを見かけたRacerX 記者がインタビューを申込、その後、直接インタビューした記事だ。JEFF MATIASEVICHは、1988年と‘89年のアメリカ125 West Supercross Championで、その後、1998年にモトクロスレースから引退している。インタビューは、家族の事、仕事の事、モトクロスを楽しんでいる事、そして今もなお、カワサキレースチームとの関係が続いており、特にカワサキチームのReid Nordin や Bassmasterこと横山眞一郎さんとは親密な付き合いが続いている事、Bassmasterを日本人の兄弟と呼んでいる事等を話している。横山さんはJEFFが全日本選手権レース参戦時に芯からサポートをしてくれた事、そして横山さんがアメリカに来てもその友情は続いている事などをざっくばらんに話した。それらの中から、日本のカワサキとの関係を、JEFF MATIASEVICHが語った内容の一部を抜き出してみた。
「あなたのキャリアで突出したハイライトはなんですか?」との記者質問に、JEFF MATIASEVICは次の様に答えている。
「カワサキでレースに専念できたことが一番素晴らしい時代だった。特に1995、‘96、’97と日本のカワサキワークスチームと契約し全日本のチャンピオンシップに勝ったこと。 日本でレースに専念できた3年間は、私の経験したなかでも最高の時間だった。日本のサポート体制は最高だった。カワサキのワークスバイク驚くほど素晴らしく、 要求するものはなんでもカワサキはトライしてくれた。 他のカワサキワークスバイクより2年も先行する優れた仕様を採用してくれた。それは5年後量産移行する仕様だ。 驚くほど素晴らしいバイクをカワサキは用意してくれた」
「私は1986年にプロに転向し、1998年に引退した。この間、最高の契約条件は日本のカワサキとの契約だった。私のキャリアの中で最高の3年間だった」
「最後の質問として、タトゥー(刺青)が日本のカワサキとの契約で大きな障害になっていると、ある雑誌にあったが本当か?」との質問に対し、
「それは真実ではない。確かに日本ではタトゥーはマフィアのイメージがあるのは確かだが、日本のカワサキがそれを契約条件にしたことはない」と答えている。
           
          「JEFF MATIASEVICH:‘96年全日本MXチャンピオン獲得祝勝会」                 
JEFF MATIASEVICHがこれ程までに、日本カワサキと契約し全日本チャンピオンになったことを誇りに思っていたことを改めて聞くと、泣けてくる。これは、多分、JEFF MATIASEVICHを全日本チャンピオンにすべく一生懸命親身になってサポートした、当時の横山さん、その上司の安井さん、彼のマシンを勝てるマシンに仕上げてくれた、担当メカニックの河野さん、井上さん等の功績が彼の記憶に残る大部分を占めるほどに大きく、彼を支えてきたカワサキの人情味を何時までも忘れることが出来ぬほど嬉しかったのだろう。


★竹沢選手がカワサキでチャンピオンになったのは1976年、その後チャンピオン獲得は岡部選手の1985年、その間の9年間、カワサキはチャンピオンから遠ざかっていた。岡部選手は4年間チャンピオンを獲得してくれたが、1990年にホンダの東福寺選手にチャンピオンを譲り、チームとして悔しい思いをしていた。岡部選手に続く選手を育てるべく、技術部で契約し開発テストや実践レースで将来のチャンピオン候補として育成してきた選手も岡部選手に取って代るだけの実力を備えておらず、かと言って時期を失すると、また暗黒の数年を過ごさざるを得ない危機感が非常にあった。これは一度でもチャンピオンを維持したチームだけが持つ何とも言い難い焦燥感であった。

そこで熟慮した結論は外人ライダーとの契約だった。
カワサキの全日本モトクロス参戦史の中に、アメリカンライダーを起用した時期は、'92~'94年のEddie Warren、'95~'97年のJEFF MATIASEVICHの二名。カワサキKXマシンの事業性が確立し、かつ勝利にこだわる姿勢を明確に打ち出した時期だったが、この経緯は「kawasaki DIRT.CHRONICLES vol09」に記載されている。全日本選手権にアメリカンライダーを採用する是非についての異論は甘んじて受けるが、しかし、これを機に日本人ライダーの技量は確実にUPし、レースも活性化たことは事実だ。更に言えば、Eddie Warrenが全日本選手権から引退する最終戦の菅生で、当時のホンダファクトリー東福寺選手が全ライダを代表してEddieに感謝の挨拶をしてくれたことで、カワサキの選択が正解だったことが結果的に証明されている。菅生での出来事は予期せぬ事だっただけに感無量の思いがした。

「kawasaki DIRT.CHRONICLES vol09」の一節から。
「外国人ライダーの起用には、チャンピオン獲得という使命以外にも目的がありました。
当時からレース活動は量産車の先行開発の場という位置付けでしたが、日本人より速いペースで走れるアメリカンライダーを介せば、もっと高い次元での開発が行える。そしてマシン開発だけでなく、日本のモトクロス界に刺激を与え、全体のレベルアップにも貢献できる。そんな理想を掲げていたのですが、ただトップアメリカンを呼んでも、日本のレベルとは差がありすぎるという懸念がありました。
ぶっちぎりで勝ちまくっては意味がない。程よく競り合いながら勝ち、日本人から見ても手が届くぐらいのライダーが理想でした。
ちょうどいいのは誰か。この人選が難しかった部分でした」
 
「日本人は限界まで無理していないし、一方アメリカンたちは倒れる寸前まで攻めているんだなと、レースに対する姿勢の違いを痛感しました。みなさんはアメリカンなら全日本で勝てて当然だと思われるかもしれませんが、彼らがどれほど真剣に取り組んでいたのか、再認識してもいいのではないでしょうか。優等生だったウォーレンでも、負けた悔しさからトランスポーターの中でヘルメットを叩きつけていたことがありました。マタセビッチの場合は、2位のトロフィーをゴミ箱に投げ捨てていました。行儀は決してよくありませんが、彼らはとことん本気だったのです」

★当時、全日本選手権GP大会に出場する世界のトップライダーを見る度に、日本人と外人ライダーとの技量差は歴然とあり、何とかこの差を詰めたいと考えていた。そのために、日本の契約ライダーをアメリカに長期出張させアメリカンライダーと競争させる試み等を何度もトライしてきた。が、最も効果が認められたのは、外人ライダーを全日本選手権に出場させて、全日本選手権の場で直に競争させることであった。ラップ寸前程の差があった技量差が、これを機にアメリカンライダーとも競合できるレベルに成長したのは事実で、全日本選手権が盛り上がった事も幸いし、結果的には前述したように、全日本の選手会長からも感謝された。

一方、後で小耳に挟んだことだが、全日本にアメリカンライダーを走らせることは、余りにも冷たい組織の奴らだとの声が一部にあったらしい。それは一部の声ではあったが、日本人を優先しないことのやっかみでもあったのだろうか、モトクロスの責任者は冷酷な奴だと言われたらしい。ルールに則った競争世界で、国粋主義でもあるまいしと思いながらも、日本人は異文化を上手に取り込むことで、文化的にも経済的にも成長してきた歴史があるのに、何とも情けない話を風評に流す暇な人種もいるのかと思ったが、色んな理由も考えられるので一抹の寂しい気がしたものだ。

だけど、日本の二輪企業は技術優先の車を開発し続けた結果、市場に認知され世界を牽引する頂点に立ってきた歴史がある。そして技術優先を誇示する最適な方法が競争である。会社の組織として予算をもらい、量産車開発を目的とする開発部によるレース運営だからこそ、勝ちにこだわった結論は正しかった。レースとは競争だから、勝つために最も優れた作戦を合理的に模索し、冷徹に実行すべしとは、旧日本軍がアメリカ軍に徹底して敗退させられた太平洋戦争の教訓のはずである。

★そんな思いで、全日本選手権を戦っていたことを、JEFF MATIASEVICHの写真を見て思い出した。 懐かしい!!
もう25年前後まえの昔の話だ。
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